私が影響を受けた本と云えば、五井昌久先生の次は岸田 秀氏
を挙げる。氏をご存知ですか?心理学専攻の大学教授であり、
80年代なかば頃、氏の書籍「ものぐさ精神分析」が、ベストセラー
になり、人気作家になった方である。当時、総理大臣だった中曽根氏が
この書籍を絶賛して著名になったのだ。私は、岸田氏の四六判も
90年代は次々読んだ。30冊以上は読んだと思う。私は、氏の著書の
一体何処に魅力を感じたのかと云うと、にんげんは現生を生きるに
当たって、いかに、自分のこころをしっかり持つかが肝要だと啓蒙
されたのだ。例えば、ぼくらの日常生活では、自分の思ってることと、
現実に現れることは、必ず、激しく食い違う。これを、相手にしてあげたら
相手はとても喜ぶだろうな、感謝されるだろうな、と思ってやったことが、
相手は何も嬉しそうな顔をせず、当たり前だという顔をされたり、あるいは
余計なお世話だと怒られたり、このことを、あの人に頼んだら随分失礼だし、
件の人はカンカンに怒るだろうな、と恐る恐る頼んだら、あっさり笑顔で
「良いよ」と了解してくれたり・・。なぜ、ぼくらは、思ってることと現実に現れる
ことは逆に出るのだろう?要するに、にんげんは、生きるに当たって、常に
できるだけ、頭の中がピュアであれば、何をやっても上手く行くのである。
ピュアとは=純粋、つまり、頭の中がからっぽ状態という意味である。
私は、岸田 秀氏の書籍から、そういうことを随分学んだのだ。
私が、就学生の時、何処に行っても、まともな扱いされなかったのも、
私は、小さい頃から、父が割りと資産家であり、何ひとつ不自由なく
過ごしたため、私は、でれーっとし過ぎたのだ。甘い自己満足(ナルチシズム)
に長年浸り続けた為なのだ。私は、氏の書籍を拝読し続け、漸く真面目に
働くようになってから、仕事は本当に何もかも真剣にやった。人と人の和も
真摯に考えた。考えない人物が、相手から「ナメてんのか!」と談判決裂の
態度を表明されるのだから。頭の中がからっぽの状態を、古代中国哲学
では、無念無想の境地なんとか言うらしい。岸田氏が有名になってから、この
話しも、当時随分議論されてたと思う。前回、紹介した五井昌久先生のことば
を借りて言うと、人によっては、理屈屁理屈だ、詭弁だと言うかも知れないが、
例えば、夜中に輝く満月。満月はこうこうと綺麗に輝いてるが、これに黒い雲
とかが被さると満月の光を邪魔してしまう。これが、にんげんの不幸な運命
というものなのだ。満月はそのまま、ひとりでに輝いてればいいように、にん
げんのこころも、そのまま、あるがままに出していれば、いやが応にも、ひとは
平和なのだと。これが無念無想の境地とか、ピュアとかいうやつだ。
私も、この例え話しは、現在は、懐疑的になってるが、初めて、この教えを
聞いた時は、成程と感動したんですがね。
でも、その、無念無想の境地、ピュアな状態になるのは、物凄く難儀なこと
だから、みんな苦労してんですね。