私は、30年以上も信心生活させて頂いてるが、その間の
知り合いの中には、「この人物、信心なんか全然してない!
エセ信心者だ!論語読みの論語知らずとはコイツのこと
言うんだ!」ってのも結構いた。もう、平成一桁の話しだが、
その人物は、「ウチの教団は誰でも平等に差別なく受け入れる
組織だ」と、エラそうなことばかり言ってる癖に、人の悪口ばかり
言うのだ。口の聞き方を知らないのだ。人の肉体上のハンディを
よく、あげつらったことをいう。そういう件の人物も禿茶瓶なのだ。
その上、ホラもよく吹く。仮にも、信心者たるもの、日常生活で
真・善・美にのっとった生き方をするべきなのに、言ってることと
やってることは裏腹である。私は、この人物に見切りを付けた。
言行不一致の信心者は、この時に始まったことじゃなかった。
私は、18の時、北大病院精神科、閉鎖された3Fの病棟に
いたが、当時アラサー位の女性にもいた。口では、愛だの、平和だの
真心だのクサいことばかり言ってるくせに、患者同士で争いがあったら
煽ったりするのだ。60年代頃のアメリカの政治家でいえば、私は
聖書を毎日愛読している、と言ってる割りには原水爆実験ばかり
やっている自分の矛盾に気付かないで、テンで恥じないでいる人物
がいる、という話しは聞いたことあるが、まったく、とぼけ屋だ。
思いやりなんか何もない。だから、宗教は色眼鏡で見られる処もあるのだ。
斯くいう私も、未だ、宗教は難しいことはよく分からないが、自戒怠り
なくしたい。