私にとっては、渡辺美里さんの「悲しいね」ですね。
本唄は87年(昭和62年)の年末にリリースされたシングル
であり、88年新春に、ザ・ベストテンにランキング入り致しました。
渡辺美里さんの「マィ レボリューション」に次ぐ、セカンド・ヒット
と記憶しております。勿論、本唄は小室哲哉氏作曲です。
私にとっては、非常に懐かしい唄です。私は、昭和末病気が
やっと直り・・(いや、もう、くどいから止めましょう)、やっと真面目に
働くようになり、そんな折、87年の夏季に母が亡くなり私は家業を
継いで、現在の定職に就任しました。私は、新鮮な気持ちで毎日
バリバリ働きました。私は、大の音楽好きにもなりました。
音楽以外では、プロレスでは、87年末、全日本最強タッグリーグ戦
に、稀代の名レスラー、A・T・ブッチャーが7年振りに戻って来ました。
かれは、81年に新日本プロレスにトレードされたのですが、かれは
そこでは2流レスラー扱いで人気ガタ落ち。長州、前田、浜口、藤原
と出てきたから、ブッチャーは出る幕なし。しかし、かれは全日本に
カムバックして、TV中継ではメインエベントで鶴田、谷津組と試合。
かれは全日本のリングでは、水を得た魚でした。私は、TV見てて
「ブッチャーが復活した!」と、手叩いて悦んじゃった。結局そのリーグ
戦は鶴田 谷津組の優勝だったけど、ブッチャーは実績買われて
88年の新春シリーズにも続けて参加。これまたTV中継でブッチャー
vs輪島、見たけど、これも面白かったなあ。私は、人生ノリノリ上昇気流
で、外なんかも悠々歩いていた。そして有線放送で美里さんの本唄
「悲しいね」が、よく流れていたんですね。この頃から、ゴジラ、ウルトラQ、
ウルトラマン、セブン、怪奇大作戦等が再評価され、数多くの情報誌に
盛んに記事が組まれるようになった。60年代怪獣映画のリアルタイムを
見て育った当時幼年の世代が、アラサー、会社で云えば係長クラスになった
ので、その消費者を対象に怪獣マーチャンダイジングが大爆発したのだ。
斯くして89年(平成元年)、「ゴジラvsビオランテ」が封切りになり、ゴジラ
の平成新作シリーズの登場となる。あの頃、私は「世の中は、ぼくらの
世代を中心に回っているんだ。」と、人生の春を謳歌してたっけなあ。
美里さんの本唄のシングルレコは、今でも「マイ レボリューション」と
共にシッカリ所持してますが、今でも、レコのジャケ見ると泣けてくるなあ。
あの時の私は、「これからは、僕の時代が始まるんだ!」と、大張り切りでした・・。