私は、相変わらず、舞 悦子さんに関する資料をヤフオクで

発掘し、コレし続けている。つい最近も「日劇MH物語」とか、

「日本ストリップ50年史」とかいった古い書籍を入手した。

いずれも90年代前後の出版である。

 

 舞さんは、67年(昭和42年)に、デビューなさったという。

 私は、当時小学校3年生で8歳、舞さんは18か19歳である。

 私は、映画の「ゴジラ」、TVの「ウルトラマン」「赤影」を熱心に

見てた。三億円事件が起きたのもこの頃である。私が小さい頃、

私の最愛の女(ひと)は、私の到底知らない世界で成人式前だっ

たのだ。私は、それを考えると涙がこぼれる想いだ。

 

 日劇MHのオーディション受けに来た女の人は、審査員の前で

裸になるよう言われると、大抵の女性が途端にモジモジし始め、

いつまで経っても脱ごうとせず、「やっぱり、やめます」と、Uターン

して帰ってくひとが殆どだったという。やはり、女性は男性たちの前で

裸になるのは、鉄則的に物凄く嫌なのですね。でも、舞さんはご自分

で売り込んで来られて、すんなり裸になって見せたとな。

 

 また、舞さんは、日劇MHに入れてもらったら、給料は4万8千円

でなきゃ絶対イヤだ、と言ったそうです。当時の4万8千ったら、現在は

その1/5に当たるかな?缶ジュース一個50円、週刊誌60円で買えた

時代である。なぜ、彼女は4万8千にこだわったかというと、彼女は

高校卒業後九州大分から、上京し、まず、喫茶店のウェイトレスに

就任したが、そこの支配人は、「ウチの従業員は凄い美人は4万8千

の給料だが、そこそこの美人は3万8千円だ」と決めており、舞さんは

なぜか、3万8千円クラスだったという。彼女はそれが面白くなかったのだ。

舞さんは、就学生の頃から、ご自分のフェロモンに余程自信があった

らしく、事実まったくその通りなのだが、・・。舞さんは、すんなり日劇MH

の専属踊り子になったが、元々日劇MHの新人の初任給は6万円と

決まっていたという。最初はそれを知らない舞さんは、毎月4万8千円

の給料もらって悦んでたという。舞さんは自分からフッてきちゃったわけ

ですね。だけど、それにしても、新人の初任給が6万円とは、日劇MHは

当時は凄い大手の営業法人だったんですね。

 

 私が、高等学校時代、三年間一緒のクラスだった女の子、H・Kさん。

 彼女も典型的な悪女タイプだった。当時の私のGFであり、両思い

だったが、彼女はよく私にご自分でご自分のスカートめくって見せて

くださっていたっけ。口を開けばHな話しばかりするやつで、学校でも

カマトト女で著名だった。舞 悦子さんも就学生の頃から、こんな女の子

だったのだろう。私は、こういう、ご自分のフェロモンに絶対の自信

持ってる女性が堪らなく好きである。

やがて、私は90年代に入ってから、AV女優の上村けいさんの

大ファンにもなった。彼女も先方2名と同じキャラなのだろう。

 

 舞さん、H・Kさん、上村けいさん、本当に有難う。

 

 特に、舞さん、私はあなたの存在知っただけで、この世に生まれて

来た甲斐が充分ありました。おれ、カッコつけてんじゃないけど、おれ、

あなたの存在確認するために生まれて来たんだと思います。