ぼくは、宮沢賢治の「よだかの星」は、たぶんアンデルセン

童話の、みにくいあひるの子のアンチテーゼとして書かれた

のだと思います。

 

本編の主人公のよだかは、善良な鳥であるのに関わらず

風貌がみにくく、鋭いくちばしも爪もないので、仲間の鳥

にまるで相手にされません。そしてかれは羽虫を常食に

してますが、じぶんが生きるために他の生命を犠牲に

することになんか罪悪感を持ってるらしい。

 

かれは、自害を考え、寒い真冬の夜空を兎に角あても

なく飛びつづけます。そして様々な星座の神様に

「わたしを、あなたの側に就かせてください」と、哀願

するように言いますが、神様にさえも門前払いで

ありました。安い神様もいたものですが、よだかは

飛びつづけました。するとやがて、かれはいつの間にか

じぶんのからだが静かに青く燃えていたのに気づきました。

くちばしはわずかではありますが、笑っていました。

かれは小さな星になったのだ。静かに静かにいつまでも

もえつづけました。いまでももえています。・・

と、最後はしめくくってあったのでした。

 

感想は、もはや言葉にできません。

 

宮沢賢治は超ユニークな純文学者ですな。

ふつう、童話は子どもの読むものですが、大抵の子ども

は、かれの童話読んだら、たいくつだと本を捨てて

しまうだろう。わたしもそのひとりだった。ただ、よだか

の星だけは、小学生の時読んだときは主人公の

よだかが、ただ憐れだった。

 

60年代から、哲学者、日本古代史研究家で知られる

梅原 猛氏は、ぼくは若い頃からファンで本も沢山

読んだが、氏は「私は、明治時代もっとも仏教的な

人物は誰だと思いますか?と聞かれたら躊躇なく、

宮沢賢治です。と答えることにしている。」と言って

いる。

 

宮沢賢治も生涯ひとりみだった。しかし、かれは

じぶんより先に夭折した実妹を溺愛してたとな。

かれが、妹のことをしのんだ詩も読んだことあるが、

よくできてた詩だと思った。