60年代末頃、僕は小学校高学年でした。

僕はそろそろ女性に関心持ち出す頃でした。

僕は親戚のかたから40グラムくらいの量のねんどを

頼みに頼んでようやくもらいました。色は緑色・・だったと

思います。

僕はなんとか女の子をこしらえようとしました。

つまり今で言うフィギュアですね。

僕なりに一生懸命とりくみました。毎日少しずつ

やりました。僕の部屋で作ってましたが、毎日40分

くらいああでもない、こうでもないとやってました。

大体当時の学校の給食のコッペパン位の大きさでした。

髪はロングヘア、顔も一応眼、鼻、唇とこさえました。

そして一日にやれるだけのことやると、押入れに

段ボール箱にしまってました。


ところが何日目かの時、学校から下校して続きを

やろうとすると、彼女(?)の左目の下のあたりに

小さな水滴がついてました・・?

押入れの湿り気の水滴がたまたまフィギュアの左目の

とこについたのでしょうが、なんだかその粘土人形が

泣いてるみたいなのです。僕は当時ヤンチャ坊主で

あり、母、姉、祖母、叔母にもぞんざいな口を聞き、

クラスメートの女の子や、近所のおねえさん、奥さん

方にもよく悪態ついてました。僕は何だか薄気味わるい

のでその粘土人形をくしゃくしゃに丸めてしまいました。

そして、そのねんど自体処分してしまいました。


理屈と膏薬はどこにでもつく・・ って話でしょうが、

当時僕の部屋は押入れの向かって右側にむかし

から仏壇がありました。ちなみに僕の家は浄土宗です。

仏壇の主が僕に、「お前はもっと女性をいたわってあげな

さい・・」、「こんな面白半分で女の子の人形作るもんじゃ

ない・・いくら人形ったって彼女が可愛そうだろう・・」と、

僕をたしなめて下さったのだろうか


僕は小学生当時からスピチュアリストだったのだろう。

そして、僕がフェミニズムについて考えだすきっかけに

なったのだろう


みなさん、あまりにのくだらなさに病気になったらごめんね。

でも、少なくとも、現在の僕は女性は老若問わず温和で有名です。