8月1日~8月5日という多少の弾丸日程でペルーまで旅行してきた。

マチュピチュは日本にいた頃から一度はいってみたいと思っていた場所なので念願が叶ったと言っていい。初めての南米、南半球ということもあり非常にいい経験になった。ポイントを挙げるとすると3点。マチュピチュ遺跡の素晴らしさ、観光産業への注力、交通事情だ。

まず1つ目、語るまでもないがメディアでも露出の多いマチュピチュ遺跡の美しさ。3000メートル級の山頂にある巨大な石造遺跡、石式建造物の規則的な黄土色と山々の自然曲線から成る緑が混じりあう美しくも独特な風景である。残存する資料が乏しく詳しいことがわかっていないということも手伝って神秘的な雰囲気を漂わせている。陳腐な表現だがここでしか見られない景色であり、興味がるなら実際に訪れることを強くお勧めする。テレビや写真の切り取られた映像ではみられない、周囲360°に広がる遺跡の光景は圧巻である。

2点目は観光産業に力を入れているペルーという国への感心。マチュピチュやナスカの地上絵をはじめ数多くの遺跡という観光資源を持っているだけでなく、観光客が訪れやすい環境を作り上げていると感じた。鉄道やホテル、レストランなどのハード面から、現地ツアー会社や英語、時には日本語までも話すといったソフト面まで、良いサービスがそろっていた。観光客の好みに合わせてランクを選べる鉄道やホテル、豊富なローカルフードだけでなく、アメリカナイズされたファーストフードなどの各国料理をだすレストランも多い。ツアー会社は観光客と地場産業のコミュニケーションをうまくサポートしていたし、その仲立ちを必要としない各国語を話す人々も多く見られた。このような注力のおかげだと思うが、年齢、国籍を問わず多くの観光客が訪れていた。

最後は交通事情について。車は多く運転は少し荒い。東南アジアと同じイメージだが、一点面白いところが。クスコから遺跡のある地区まで車で送ってもらったのだが、この道に数多くの段差が意図的につけてあった。そこを運転手はスピードを落として通過する。もちろん安全のためだろうと予想するが、これは非常にいい行政判断だなと思った。一部からは反対もあっだろうが、安全と移動効率を天秤にかけ安全をとったのであろう。やりかたの良し悪しよりも、判断して実行する、という点に感心した。
出張時の夜長の勢いで書き始めた前回は高校の話までを書き終えた。次は浪人時代である。

高校の卒業式を終えて数日、僕は第一志望の大学から敢え無く不合格を突き付けられ、進路を関西文理学院という予備校に決めた。この予備校は優秀な人材に対する授業料の大幅免除で知られていたが、1年目の結果が芳しくなかった僕はわざわざ入学試験・コース分け試験を受け授業を受けさせてもらうという、いわゆる搾取される側の生徒として勉学に勤しんだ。
バス、JR、地下鉄を乗り継いで鞍馬口駅まで1時間半かけて通い、授業と自習を合わせて8時間ほど、そしてまた1時間半の道のりを帰り自宅でまた勉強、というような毎日を過ごしていた。本当に勉強しかしていなかった。今もう一度やれといわれても絶対無理だという自信がある。
そんな荒んだ生活の癒しの一つがラーメン第一旭であった。京都駅たかばし地区、新福菜館の隣にあるこのラーメン屋は、関西各所にチェーン店をもつ第一旭の本店。京都有数の人気ラーメン店であり、店の前に列ができるのが珍しくなかった。
ここで僕が注文するのは学割ラーメン・500円。通常より少し多めのラーメンにチャーシューの切れ端がのる大変リーズナブルな一品である。河合塾や駿台の模試を受けたり、担任にいらついたりしたときはここのラーメンを食べることでなんとか平静を保っていた。おかげさまで志望校に合格し、それ以降ぱったりと行く機会がなくなったが、機会があればぜひ寄ってみたい。おっさん達は今も厨房の中でタバコを吸いながら調理をしているのだろうか。

無事大学に合格し、京都市左京区で一人暮らしを始めた僕は、原付を手に入れ、京都市内のラーメン屋をめぐる自由を手に入れた。そして講義の合間、ラグビーの練習後、深夜のバイト上がり、論文作成に飽きたときなど、暇を見つけてはラーメンを食べに黄色いリトルカブを走らせた。今思うと、僕のラーメン人生の中で一番輝いてた時代だと思う。大学卒業後愛知県に来てはみたものの、味はもちろん、800-1000円という京都のラーメン屋を見習え、と言いたくなるような値段、9時までとラーメン屋にあるまじき閉店時間などに悩まされ苦しんだし、カナダに来てからはもう、自分で豚骨10時間煮込むほどの禁断症状が現れたりもした。

とりとめもなく書いてきたが、これが僕とラーメンの歴史である。京都に住んでいたころの黄金時代をもう一度迎えるのは当分難しいだろう。いつか京都に戻ってマンガ喫茶を開くときまで、お預けになるかもしれない。だから高安と天宝と天一と東龍とあかつきとその他のラーメン屋がこの先数十年続くことを祈りながらこの回を終えることにしよう。
文章を書く練習に、毎回テーマを決めて綴ってみよう。
拙い文章を晒すのはみっともなくて恥ずかしい。
しかし、思いつたらやってみてアウトプットを出すことが肝要である。

言い訳はまあ置いといて、
第一回のテーマは「ラーメン」。

日本人の国民食と呼ばれて久しい、あれ。
僕の数少ない趣味の一つであり、友人との会話の頻出トピックでもある。
僕の生活を支え、友人関係をも円滑にする素晴らしい食べ物。
栄えある第一回のテーマとしては申し分ない。


せっかく書くのだからと形式ぶって出会いから印象的に書きたいところだが、僕とラーメンの出会いに明確な点はない。
気づいた時には、土曜日の午前授業から帰ってきて、吉本新喜劇を観ながら食べる日清カップヌードルが楽しみになっていた。もちろん一時間後のスポ少・サッカーの外周ランニングでそれらを戻したことも今となっては良い思い出だ。

小学校2年で交通事故に遭い足を折って山○整形に1ヶ月入院した時もラーメンを食べた。
僕は寝たきりで、右足に直径3ミリ程の金属の棒を通され、宙に釣られていた。
そんな僕に母親が好物のインスタントラーメンを食べさせてくれた。塩味だった。
寝たきりの病人に汁物のラーメンを食べさせるのは一苦労だったに違いない。
そんな母親の愛情に今はただ感謝するのみではあるが、その愛情が当時の僕の激太りの一因であったことは言うまでもない。
そしてこの頃から僕はいびきをかくようになった。


そんなラーメンと僕との長い付き合いではあるが、
中学生の部分はスッポリ抜けて落ちてしまっている。
中学生の頃にラーメンを食べた記憶が全くない。
もちろん食べたに決まってはいるが、印象に全く残ってないということだ。
おそらく、当時僕の前に華々しく現れた吉野家率いる牛丼勢に心を奪われていた所為だろう。
必至に貯めたお小遣いで、京阪電車に揺られ、浅草橋ヤング洋品店で古着を買い、特盛を食べる。
こんなささいなことがその頃の僕らには大人な振る舞いに感じられ、暇があれば京都へ足を延ばしていた。
気づいたら僕らももう30歳。今は何のためらいもなく「みよし」にだって一人で入れる。


ラーメンの話に戻ろう。


次に僕の記憶に登場するラーメンは「しるそば・たか」と「やむちゃ」である。
これらは高校ラグビー部の記憶とともに思い出される。
「しるそば・たか」とは京阪石坂線・浜大津駅を降りて1分のところにあったラーメン屋で、
白湯、みそ、しょうゆ、しおを出す当時ポピュラーなタイプのチェーン店だった。
終点・坂本駅と京阪膳所駅を電車通学していた僕は、よく部活の帰りに友人と2人で寄り道をして食べた。
他の味はともかく、そこの白湯は結構おいしく、そればかり注文していた。
「ご飯おかわり自由、漬物食べ放題」も3時間の練習を終えて帰宅する学生には有難かった。
路線が同じで毎日同じ電車で帰った友人とは山際淳司の「スローカープを、もう一球」の話などをした覚えがある。
分野は限定されていたが読書のことを話せる友人は希少だったので楽しかった。
その頃から彼はスポーツ関係のモノ書きを目指し、今はスポーツ新聞の記者をしている。
うちの母がスクラップした記事を読ませてくれるが、よい文章を書いては僕に刺激を与えてくれる。

「やむちゃ」とはこれまた京阪石坂線の石山駅周辺にあり、膳所高ラグビー部のご用達であった。
店長1人で切り盛りしており(たぶん)、その人が明るくて愛せるキャラクターだったのを覚えている。
試合前になるとパワーをつけるために、その店の油ぎったラーメンを食べに行った。
今から考えると炭水化物は良いが、油関係は試合直前には不適切でお勧めはできない。
しかし、当時はまじない的「パワー」を信じてはこぞって帰り道と逆方面まで電車にゆられた。
どんなメニューがあったのかはっきりと覚えてはいないが、「中国みそ」なる意味不明のメニューがあったような。たしか50円割高だった。
この店で重要なのはメニューではなく、注文の際「こってり」と言うと加えてくれる背脂のほうである。
これを増やしてもらろうと先輩たちが思考を凝らした修飾語をつけて注文していた。最終的には注文の言葉選び自体を楽しむようになったようで、その場にいるととてもおもしろかった。
「みなぎるようなこってり」とか「史上稀にみるこってり」とか思いつく限りを注文しては、店長がそれに乗って増量してくれていた。

2軒とも今はなくなったと噂で聞いたが、あっても二度と訪れることはないだろう。距離という障壁を乗り越えるほどのモチベーションにはならないということか。
本当に美味しいラーメンのためなら障壁は軽く越えられる。帰省するときは必ずすじラーメンを食べるために昼の時間帯に「高安」を目指して山中越えを走る。割高な駐車場代も平気で払える。そのまま御幸町周辺を散策後、イノダコーヒーというフルコースにしても一向に構わない。むしろ願ったりかなったりだ。今はそんな帰省もままならないが2年後帰ったときは必ず行くだろう。そのときには日吉台のメンツも帰省していることを切に願う。


この後、僕の人生は長くつらい暗黒時代に突入するわけではあるが、それとは反比例するように僕のラーメンへの情熱はここから右肩上がりに推移していく。

つかれたので、続きはまた。
最近の悩みはもっぱらこれ。

1、どのマンガを持っていくか?
2、どの本を持っていくか?
3、伊坂幸太郎の単行本を全て買っていくのか?

1、どのマンガを持っていくのか?
スラムダンク、ピンポン、花の慶次、、、、
マンガはかさばるので、抑える必要があるが、選ぶのが難しい。
ワンピースを全巻そろえて持っていくのか?
3ヶ月 or 6ヶ月 or 12ヶ月おきに発売される新刊はどうするのか?

2、どの本を持っていくか?
漫画にくらべてかさばらないので、好きな本を持っていけばいいかな。
もう一回読み直したいやつ。
あと、アマゾンとブックオフで適当におもしろそうなやつを物色して持っていこう。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」とか自動車関係・経済関係とか。

3、伊坂幸太郎の単行本を全て買っていくのか?
伊坂の本は文庫で購入することにしている。
単行本を買うのは高いし、図書館で借りて読んでももう一回読みたくなるからだ。
でも、現時点でかなりの数の単行本がでている。
正直読みたくて仕方がないが、悩みどころだ。

でも・・・・、どうせ全部買ってしまう気がする。


今日の一曲 織田裕二 over the trouble

最近「お金がない」が再放送してたが、いい曲だ。
PVの織田裕二の笑顔が凄い。
いやー、最高!

本田と中澤、トゥーリオすばらしかった。