もう30にになるのに変わらず彼氏いない歴=年齢が続く。
結婚相談所、アプリ、パーティー、紹介で50人ほど会ったが何も起きない。
1人とても話が会う人がいて、ついに私も”付き合う”ことができると期待した矢先連絡がこなくなった。
"その人が好きで付き合える"よりも"男性と付き合う経験がある自分"になれることにとてもワクワクしていた。
待ち望んでいた"世の中のスタンダードになれる"ことに期待していた。
結局自分は男性からは好意を持たれない女性であることに深く失望した。
50人に会おうと自分がいいと思う人に出会えない
=自分に難がある、世間からかけ離れている絶望感
を感じる一方、
=1人で生きていくことに何の不安もないのでやはりアセクシュアルか
今自分が求めるのは【付き合ったことがある経験】
だけのような気がする。普通の人になりたくて。
自分は誰かから愛されることができる人であることを知りたくて。
上部だけでもいい、必要である証明を経験してみたい。
恋愛なんかに人生を振り回されるほうがよくない、それより大事な勉強や仕事と言うコメントにたくさんの人が賛同しているコメントを読んで。
小さい頃からスポーツ、音楽、勉強面で体が壊れるくらい必死にやってきて、満足いく実力・職業をもてて気がつけばアラサー。
恋愛経験がないというコンプレックスが絶望感と直結している人間もいることをわかってくれたら嬉しい。
恋愛なんかより趣味とか没頭できることをというのも。やっている好きな語学学習はさらに高みを目指しているし、大好きないろんな楽器だってストレス解消になるし、いろんな本も読むし、コーヒーも甘いものも好きだから友達とのカフェめぐりや旅行だって楽しい。
仕事もプライベートも幸せに満喫している中で
心の中に埋められない穴があるのは
【男性から必要とされたことがない女性】というレッテル。
いろんなことに全力投球してきたことに意味がないという虚無感。
トゲトゲしている女性をまるっと受け入れてくれる男性はいるのか。
『僕のなかの壊れていない部分』 白石一文 文藝春秋
を読んで、そんな考えがあるんだと思った部分。
「「どうして僕は自殺しないのだろう?」それは多分、自分に他人の命を奪う権利や資格がないように、自らの生命を奪う権利や資格もないからに過ぎないと僕には思える。ともすれば人は自分の力で生きていると錯覚しがちだが、そんな力は人間にはない。誕生それ自体が自分の意志や力とは無縁であり、生きているさなかは確かに思えるその意志や力も、死の前では生まれたときと同様にまったく無力なのだ。要するに人間は、最初から最後まで、自分のことを何も決めることができない。であるなら、自分の生を勝手に終わらせる権利などあるはずもないし、他人の命を奪う権利もあるわけがない。人は生きているのではなく、ただ生きさせられているだけなのだ。」
「人間がただひとつ意志を発揮する場があるとすれば、他人の生を創造するということだと僕には思える。しかし、なぜそんなことを人はやらかしてしまうのか、それが僕にはよく分からない。なぜなら他人の生を生み出すということは、そのままその他人の死を生み出すことと等しいからだ。人を生むことは、その人を殺すことでもある。自分がいずれは死んでしまうという事実の底深い意味を捉えない人間は、必ずや自らを殺すか、他人を殺すかのどちらかを選択しなければならなくなってしまうのだ。この世界のただならぬ無慈悲さの正体は、ひとえにそうした選択を迫られてしまうことにある。そのいい例が女性たちだ。かあちゃんがそうだったように、ほかの母親がそうだったように、思いつきで子供を作りたいといいだした大西昭子がそうであるように(中略)、女性たちは我が身の欲望に都取り憑かれて、自分を捨てることがどうしてもできない。彼女達たちは自分の死を閑却して、安直に他人の死を生み出しつづけている。子供を産むということが、その子をやがては死に至らしめる行為なのだと彼女たちは考えもしない。(中略)世界中のありとあらゆる人々は「生まれてこなければよかった」し「仕方なく生きている」のだ。」
難しくて本質は理解できていないと思うけど、ひとまず生きさせられているだけ、仕方なく生きているという言葉に安堵を覚えた。
子供がほしいと安直に考えるのもちょっと違うのかなと考えさせられた。育児放棄している知り合いを思い浮かべると上の文章はぴったり当て嵌まると思う。
またこの本の口コミで、1歳半のこどもを施設に預けるから、子供がちゃんと育たない的な意味合いの文章に対して、自分は生きるために子供を預けるのであって親側も預けたくて預けたいんじゃない、苦しんでいるからこの文章はむかついたというのがあった。この口コミの方もそういう意図で作者は書いたわけじゃないことを理解しているようだが、この口コミもそういう考えになる人がいるのだなと感じさせられた。
うろ覚えだがある動画で、現代は子供や家族に向ける愛着を推しに向けることで満足ができるといっていた。
特に推しとかなくても満足している、
でも親孝行のために子供がほしい、
でも相手は自分が満足できる人がいい、
でも相手がいなくても生活は楽しい、
自分が本当に望むものは結局【世の中のスタンダード】なだけで
あってそれに振り回されているような気がする。
毎日泣いて久しぶりに深く病んでいるこの頃。
優しい言葉やイラストの投稿を見たり、
愛を感じる作品に触れては泣けるし、
サウナで強制的に反芻思考をオフ(泣きたくても泣けなかった)にしたり、
突然会社を休んでみたり。
やはり【愛】を求める人生は私にはきっと向いていないのだろう。
【婚活】で新しい人に会うたびに精神が崩れて
時間薬を求めては、日々のメンタル調整に影響が出てしまう。
何も考えずに1人で平和に過ごすのが
私にとっての一番の幸せなのかも。
