10日に92歳で亡くなった女優、森光子さんの出世作でライフワークとなったのが、「放浪記」の作家、林芙美子(ふみこ)役。09年5月29日の最後の公演まで、2017回演じた。「放浪記」の雑誌掲載が決まった喜びを表現するでんぐり返しは名場面として親しまれ、晩年まで体当たりの演技を見せた。日本演劇史に残る名作でもあり、41歳にしての舞台初主演作でもあった。【小玉祥子】
◇体当たり演技、晩年まで
「いいお話が、それまで何度も私の前まで来ては消えました。(「放浪記」の脚本家)菊田一夫先生からも『ずっと脇役でいきなさい』と言われていたので、主役と聞かされても、企画会議でつぶれるだろうと思っていた」と、森さんは初演当時を振り返っている。だが、舞台は大評判に。東京で3カ月興行をする間に、名古屋、大阪での上演が決まり、翌年には東京での凱旋(がいせん)公演。8カ月の連続興行となった。遅咲きの主演女優の誕生である。
「奇跡としか言いようがない。何十年やっても、これと思える作品に出合えない方もいらっしゃる。それが初主役で来た私は幸せでした」。
演技者としての前半生は、決して順調ではなかった。長い下積み時代に詠んだ自作川柳を後年、しばしば笑いながら口にした。「あいつより、上手(うま)いはずだが、なぜ売れぬ」。複雑な心中がうかがえる。
だが、40歳を過ぎてからの活躍は目覚ましかった。小野田勇との「おもろい女」「雪まろげ」、小幡欣治との「桜月記」。菊田以外の劇作家とも次々にヒット作を生み出した。
自在のせりふ術と、巧みな間の取り方。役の解釈は深く、それが劇作家を刺激し、傑作を書かせる原動力ともなった。林芙美子役では、流行作家となってからの高慢さを表現。「おもろい女」の漫才師ミス・ワカナ役では、薬物におぼれる様子を壮絶に見せた。鬼気迫る演技が作品に光彩を与え、再演へと導いた。
特筆すべきは、年齢を重ねても変わらなかった若さ。精神のみずみずしさも失わず、後進の俳優たちとも広く交流した。個人的にも親しかった東山紀之さんとは、舞台での共演を重ねた。
10年1~2月の滝沢秀明さんとの東京・帝国劇場を最後に舞台活動を休止していた。今年9月、大事をとって入院したが、今月10日、眠るように亡くなったという。
ご冥福をお祈りいたします。