詩の心に生きる

 私は独りよがりの歌を作って生甲斐や喜びや慰めを味わっているものです。

考えたり作ったりしている時は、生活の煩雑さを忘れ無我の境にひたれます。

茶道華道書道俳句川柳等も皆無我の境が味わえるので人々がこれを学び励むのだと思います。

 私は芸術的純文学的価値の高い歌よりも、寧ろ世俗的でもいいから一般の人々の共感を得る素直な真実のある判りやすい歌が好きです。  例えば啄木の

 働けど働けどわが暮らし楽にならざり じっと手を見る  

 たわむれに母を背負いてその余り 軽きに泣きて三歩あゆまず     

など中学生にも理解できて共感を呼び、見栄も外聞もなく自分をさらけ出した、

素直な真実が歌の生命だと思います。 

良寛さんの歌にもいつわりのない真実がにじみ出ているので私は好きです。 

 俳句では、義母に育てられ不遇な一生を終わった一茶の人間味溢れる多くの作品が共感をよびます。  

 われと来て遊べや親のない雀  

 ふる里はよるもさわるも茨かな など

生活の中から気取らず飾らず、真実を詠みあげたものは人の心を打たずにはおきません。

 

  私も及ばずながらこんな詩を作りたいといつも心に念じ、折にふれ時に応じて心に浮かんだものを素直に書きとめて楽しんでいます。 

 時折読み返してみると、その生きてきた時代を背景にした自分の生活や感情がまざまざと蘇って懐かしく思います。

他人にはつまらぬものかもしれませんが、私にとってはかけがえのない生活の記録であり、

こよない生甲斐であります。 

 これからも命ある限り、ささやかな暮らしの中から生まれた判り易くて共感をよぶような真実の作りたいと思っています。