何が大事

少し

自分の思いを綴らせてください


※文にまとまりはないです

ただ思いをのせます


自分は受験生です

今年は勉強の一年になるのでしょうかね



自分がしたいことは

大学に行ってもできる


大学には

直感的に行きたいんです


大学に行けば

大学卒の認定で

信頼度が増すというのが

学歴社会的考えでしょう


これも1つの考えです


自分の目的のために

大学が手段である

これは大いに結構です



自分がしたいことに

大学の有無は関係ありません

全力でやればなにだって

成し遂げられる

それは確固たる自信があります



文科省が学習要領を変えました

正解を探す型

⬇︎

自分の意見を正解にする型

(モンテッソーリ)

という考え方です


詳しくはこちら

https://sainou.or.jp/montessori/about-montessori/



人間は変化を嫌います

変化を好む人間は成長します


これも1つの意見

良いも悪いもTPO的に決まります



正解を探す考え方を

前的考え

正解にする考えを

後的考え

とします。



私の両親は前的考え

私の先生は後的考え



両者に良いも悪いもないでしょう



しかし

考えが変わるということは

需要が変わるということです

ということは

私的には

後的が重宝されるのは

必然だと感じます



再度伝えますが

人間は変化を拒みます

一度得た既知の枠は

胎内のように安心できます



私が苦悩しているのは

前的考えは

結果を

後的考えは

曖昧な世界で

正解に近づける


前的考えの方がこれに納得するには

実績、論理などといった

結果が大事なのです



しかし

後的考えには

なので結果も論理も得れていません



その二者をどう繋げればいいのか

私は悩んでいます

頭が痛いです

辛いです



前的には

『なんと無責任な』


成功するか成功しないかが

その人次第だとすれば



ネズミ講と同一視され

成功者もいるが

不成功者もいると

なると


詐欺まがいに聞こえます

実際前的にはそうでしょう


私もどちらかといえば

前的なので

そう考えてしまいます

後的は広まってないのに



新たな考えは

どう広がるのでしょうか

前的を利用するのでしょうか


交わらない二者を

どう繋がるのか?

繋げなくてもいいんじゃない?

成功したいよ、私は



そもそもなんで

後的が生まれたのか?

前的需要が終わったからでしょう



後的に

盲信的な態度だと

前的な人には

ある種の洗脳状態のように思えます

これは事実です


私は個人の見解なので

わかりませんが。



ならどうすればいいか

前的に結論を示す必要があります

それは釣っているイメージがあるので

好まないのですが、、、



前的、後的

自分なりに物申します



まず前的

前的が本質なのかもしれません

答えを探し

結果を大切にして



後的でも実績はあるのでは?

成功者が後的を語るのは

信じれます。

成功者の先見性なのですから

成功者の跡を辿るのでは無く

成功者が示す

成功に近いであろう道

一般の人が考えるよりも

圧倒的に有用でしょう



あー、少しわかってきたかもしれません



私の両親は

安定を目指します

将来の安定が

今の安定と合致するのか?

AIのイロハも知らないのに

安定を語る

経験から安定を語る

経験にも種類があり

その経験が将来の安定につながるかわからない



そういう時代になってる

じゃあ根拠は?

ここは、私的に

根拠は必要だと思います

それがないと

私的に納得できません



サンタクロースは存在するか?

存在しませんよね?



根拠は

誰かの作り話だから



そう言う時代になってる根拠は

絶対に必要です

無いと

机上の空論です



だって

基礎がないじゃん


土台が無いと

崩れますよね?

それと同じでは?



私は根拠を

説明されていません



だから後的を信頼しきれません

根拠がないのが後的だとすると

確率も統計も効かない世界は

本当にあり得るのか?

その根拠はなんなのか?


直感を信じていいわけがない



これはもはや価値観です



私は決して

後的を否定するわけではないです

根拠が有れば信じます


根拠がないと

自分を信じるしかありません



どんな根拠を出せばいいのか?



例えば

起業家、社長のご子息は

皆、モンテッソーリ教育

をしている、、、



これはモンテッソーリ教育の賜物か?

はたまた言葉が悪いですが親の力か?


教育は手段です

親の力と教育

どちらが優勢でしょう?


私は

親の力だと思います

人脈もお金も環境も

ノウハウも

一般人とは全く異なります



私は一般人です

成功して、幸せになりたいです

私は素直です

朱に交われば赤くなります

私は卑屈です

ネガティブな思考よくします



第3の道は

美しい


しかし

王道で戦うが故の

逃げ道と捉える方もいるでしょう



物事の見方は

多様です



自分がこう見えてるからといって

他人に強いてはいけません

他人に貶してはいけません



では何故第3の道は美しいのか?

普通と違うから

光って見える



誰かの第3の道を進むより

自分の第3の道を進みましょう



私は理想のために

自分軸を持ち

他人に侵されず

肉付けは柔軟にしていきたい



何を選んでも

それを正解にすればいい

誰かの成功は

誰かの成功だ

自分の成功ではない

自分の成功は自分でつくろう


その過程で

客観的手段として

考えを取り入れよう



インプットより

今の自分と向き合って

自分を信じて

自分を高めて



これからの人生を歩んでいきたいな