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今回私が最も豊かに受け取ったのは、普段使いのNVC、カジュアルなNVCの在り方です。
そしてなにより、誠司さんの在り方。
基礎から発展まで一気に駆け抜けました。
本当に豊かな時間となりました。
参考に、私のノートをペタッと貼っておきます。
2018.07.11~13の間、献さんと重子さんが福岡にお越しになりました。
おおよそ1日半の間、お二人と共に時間を過ごしました。
沢山の豊かな時間を持てたこと、それが本当にお祝いです。
それがとっても大きなギフトになっていて、上手く言語化できないのですが、その熱感・感覚が薄れてしまう前に文章を起します。
車で移動する時間が結構長くありました。
その時間の多くを、重子さんと、ゆったりとした感覚と共におしゃべりしました。
なぜ私がNVCを始めたのか。
今、どんなことを喜んでいたり、気にかけていたりするのか。
福岡のコミュニティの道のり、これからのこと。
夢や希望であったり、人生のこと。
悲しみであったり、葛藤であったり、お祝いであったり、博多山笠であったり(笑)
そして、重子さんも同じように、話をしてくださいました。
やがて、私が重子さんや献さんに、勝手に抱いていた遠く高いランクが、溶け出していきました。
たとえて言うなら、ホームページや印刷物に掲載された略歴と写真から、目の前で生きている同じ人としての息遣いへとシフトしたのです。
「ああ、仲間なんだな。」そう感じました。
そして同時に、重子さんの創る、ふわっと暖かで愛情深い空気感の中で、少年のような献さんが生き生きと目を輝かせているのを見ていました。
パートナーシップの美しさ、素晴らしさ、ありがたさを感じました。
(もちろん、喧嘩することもあるとは聞いています(笑))
そこには、NVCをやっているという気負いもなく、自然に繋がりや分かち合いの質があるように私は感じました。
そんな関係性が身近にあるというのは、本当にかけがえのないことだなと思います。
(うらやましい!)
13日の夜には、福岡のメンバーと共に身にワークショップを受講し、それもまた、豊かな時間となりました。(このことは、機会を見て別の記事にできたらと思います。)
全ての日程が終わって、私は、一緒に過ごせた1日半の時間に郷愁(サウダージ)を感じています。
ワークショップのためでなく、何かの企画のためでなく、ただただ、同じ時間を楽しく過ごすという事のために来福してくれた。
私に会うということ自体が、目的の一つになっていた。
そして、それこそが、何よりも大きなギフトの一つだったと、言葉になる前の深み、胸の奥のさらに深いところで、ずしんと受け取れました。
本当にお祝いです。
ほんとうに、ありがとう。
献さん、重子さん、また遊びましょう!
愛をこめて。
まさ
いわゆる5月病なのか、息子が大学に行くのがしんどいと言っていました。
そして、今日、私は代休(4時間)を使える日でもあったので、少し早めに帰宅しました。
お昼ご飯を食べ、机を片付けて、少しワークをしてみようと息子に声を掛けました。
取り出したものは、インナーアクティブカードと共感カード。
インナーアクティブカードで選んだのは、
(1)今の自分の気持ちに近いネガティブなカード
(2)自分の好きなポジティブなカード
次に、共感カードへ。
ネガティブなカードの感情を丁寧に受けとめていきます。
不安、無気力な、・・・・などなど
その気持ちは、何が満たされないから生まれるのか、ニーズのカードから共に探していきます。
そして、今度はポジティブなカードの感情と、満たされているニーズに繋がっていきます。
ポジティブな自分のイメージに繋がり、ネガティブな自分へサポートの言葉を投げかける。
ネガティブな自分で、その言葉を受取って味わう・・・・
ロールをスイッチするガイドをし、ゆっくりと丁寧にプロセスしていくと・・・・・
今は疲れていて休息が必要なんだな
でも、本当は、人とコミュニケーションすること、所属することがとっても大切なんだ、と自己理解が進んだようです。
プロセスを終えたあとは、二人で買い物に行って、家に帰って一緒に焼肉を食べました。
うん、幸せ。
NVCプロセスを使えるというのは、とってもパワフルで、楽しいです。
今朝、とっても腹立たしい出来事があって、怒りのエネルギーが爆発的に湧きました。
NVCの友人グループに、共感的に聴いてほしいとのヘルプを出したところ、おっけーの返事が!!
この瞬間に、とっても救われました。
先ほど、無事に聴いてもらって、私の大地に私がグラウンドできました。
最初に湧いてきたのは、激しい怒り。
これまでのストーリーを語り、「ふざけんな!!」と、めちゃくちゃ激しい怒りが噴出しました。
この怒りを聞いてもらう中でもらったフィードバックが
「怒りの奥に、『悲しみ』があるのかな?『がっかり』してる?」
すると、激怒モードがだいぶ落ち着いてきました。
私の心の目線が、少し私の内側を向きます。
「悲しいな~」 「がっかりしてるな~」 と気づいて涙が出てきます。
「そうだねー、裏切られた!って思いもあるね、これは評価も交じってるけど。」と私。
「そっかー、まささんは『信頼』が大切なんだね。」
おういえ!!そう、そうなんですよ、裏切られたじゃなくて、信頼が大切なのにそれが無い(と私が感じている)ことの嘆きなんだよね。
ここで、激怒のエネルギーは落ち着き、いつもの、とっても愛しいかわいいジャッカル君に変容しました。
「もう、出入り禁止にしちゃうぞ!」
「やられたらやり返せ、倍返しだ!!」
などなど、とってもひどいことを、キャンキャンとわめきます。
やがて、そのプロセスを聴いてもらいながら、私の内側深くに入っていきます。
「ああ、一緒に楽しむこと、人と人を引き合わせる時に弾けるスパークを見たかったんだな」
「私は、とっても、その人を大切に思っていて、配慮をしてきたのが受け入れられないように感じて、とても悲しいんだな。なんだか、片思いしているみたい。」
「共に場を過ごし、分かち合い、喜び合いたいと、私がとっても強く思っていたんだな~」
ここまで来て、やっと私は、私の大地にグラウンドしました。
ハートと、そして下腹部のあたりに、「愛」から生まれる暖かなエネルギーを感じました。
それは全身を駆け巡り、喜びで私を満たします。
この一件に関するすべての怒りが消え、スペースが生まれました。
きっと、その日程をホールドしていてくれたからこそ、今になって、そこだけが余白として残っていたんだろうな。
私に伝える時、きっと何かの葛藤があっただろうな。
その日程をこれまでホールドしてきてくれたことへの感謝が芽生えました。
そして、私の中には、私の行うことを、喜びで満たして、多くの人と分かち合いたいという強い強いエネルギーが生まれました。
そう、すでに、相手の方やその人たちが行うことを祝福したい気持ちもあります。
混ざりっけなしのエールとして、そう思います。
私は、今いるみんなと、思いっきり喜びに満ちたことを、創っていこうと思います。
聴いてくれてありがとう、私は私に帰ってきた。
そして、創造と仲間のいる喜び、なにより深い愛のエネルギーで満ち足りています。
相当な衝撃を受けました。
むしろ、怖い、とてもとても怖い。
色即是空
空即是色
このことは、これまで私はよく耳にしてきたし、なんだか難しいなと思ってきました。
この、「空」について、ティク・ナット・ハン師は明確に定義をしてくれました。
空とは「独立した実体がない」という事なのです。
「そして、私たちの体には、分離して独立した実態はありませんが、宇宙のすべてがいっぱいに詰まっています。」
そして、私も、ここまでは、なるほどなーと読んでいたのですが、ある一節を見て凍り付きました。
P182
「あなたの言う「我」が不死の魂などではなくて、多くの原因と条件が寄せ集まってあらわれたものだとわかっているなら、あなたは大丈夫です。実体をどう呼ぶかの名前ではなく、目覚めた心こそが一番大事なことです。」
P62
「仏陀在世の時代、神聖なる真我の概念は、インド精神修行の伝統に共通して見られた信仰でした。人々は、私たち中を観察して見ることができる変化のすべての底には、変わらないもの、不死の魂のようなもの、つまり何か根本的な要素があると信じて、それを「アートマン」(真我)と呼びました。肉体が朽ち果てても、魂は別の肉体の中に存続し、必要なことを学ぼうとして、生と死のサイクルを繰り返す、と信じました。精神修行の目的は、「ブラフマン」(梵)という絶対的で崇高な大きな我に、小さな我であるアートマンを再び結合させることでした。(梵我一如)
しかしブッダは説法を始めたころに、この考え方に異議を唱えました。「我」と呼ぶようなものはない、と説いたのです。これが革命の始まりでした。現象はさまざまな原因と条件が形になって表れたものであると、ブッダは指摘しました。永遠で不変の減少はひとつもないのです。」
私のこれまでのベースとなってきた考えと、真っ向から異なる考え方です。
私の小さなエゴは、ブッダから「お前は幻に過ぎない」と言い渡されたと感じで、怯えています。
これはちょっと、恐ろしい、そして深い深い本です。
時間をかけて読み返そうと思います。
参加者ゼロだった、NVC(非暴力コミュニケーション)の体験会。
このことを、フェイスブックでシェアしたことを通じて、ずいぶん多くのものを受取りました。
お祝いとして
・多くの方が気にかけてくださったこと。
・コメントを通じて励ましてくださる方が、たくさんいらっしゃったこと。
・メッセージで励ましてくださった方がいたこと。
・私自身が、それでもなお、この楽しい遊びをシェアしたい願いがあることに気づいたこと。
そして、実際に職場の掲示板を読んだ方から、こうしてみたら?というフィードバックもいただきました。
・非暴力コミュニケーションというとイメージが湧かないので、共感的コミュニケーションにしては?
・何も知らないところにいきなり飛び込むのはハードルが高いから、事前申込制にして、自分の席があることを明確にしてみては?
・プリント代がドネーションと言うのは、分かりにくいから、明示するか、プリント代が要らない形にしては?
・定員を明確にして、行う内容ももっとわかりやすく書いてみては?
再び、場を持ってみようという気持ちが湧いています。
定員を10人、先着順にして募集してみようと思います。
※0人だったんだから、定員6人ぐらいにしたらいいじゃない?という恐れの声もあるのですが・・・
最初にふっと浮かんだ数字は10人でした、そして、その数字は私もワクワクするサイズ。
もちろん、固執はしません。
私のイメージとして、抱いてみたいと思います。
さて、週開けたら、もう一度チャレンジしてみます。
職場で、NVC(非暴力コミュニケーション)の体験会を2018.5.23に企画しました。
ちなみに職員の総数は16,139人。
職場で使っている、オンラインの掲示板で募集をかけました。
繋がっている人は、恐らく6千人ぐらい、いるんじゃないかな~。
開始前、10人ぐらい集まるかな?なんて期待をしていました。
20人来たら、ホールドするのが難しいかも?なんて。
定刻の10分前で人が誰も来ていない・・・・
定刻になっても居ない。
やがて10分が過ぎ、20分が過ぎ、一人で片づけをして撤収しました。
この時に浮かんだ感情は・・・実は最初は、ほとんど無感情。
つまり感情を感じる事への拒絶がありました。
次に、思ったのは、このことをフェイスブックでシェアするかどうか・・・・
出来たことをシェアするのはとても簡単。
でも、出来なかった恥のような出来事も、正直にシェアしたいなと思い、投稿することに決めました。
すると思いがけず、多くの方からフォローのメッセージをいただく事ができて、とてもうれしくなりました。
コメントやメッセージをくださった方、そして、そこまで表現しないまでも思いを寄せてくださった皆さん、本当にありがとうございます。
さて、今夜は、この出来事を、NVCでプロセスしていきます。
まず、ジャッカルの外側の耳、外の世界を責める声。
・なんで誰も来ないんだろう。興味がないのかな?こんな事じゃだめだよ。
※このエネルギーは弱い・・・私は、外を責める声を使わない傾向があるのです。
次に、ジャッカル内側の耳、自分を責める声。これはとってもパワフル。
・こんなことを企画した罰を受けてるんだ
・私の贈り物なんて、誰も受け取らない。
・私は無価値だ。
これはかなり痛い。
そして、キリンの内側の耳、私への思いやり。
・私が、悲しく、寂しく、孤独なのは、仲間、分かち合い、知ってもらうことがとても大切だから。
じっくりと味わっていると、分かち合いたかったな~、貢献したい思いがあるな~、表現すること、受け入れてもらうことが大切だったんだな~、という思いが湧いてきます。
自分自身の深い願いと繋がりが持てました。
沈んでいた思いから、再浮上できる感じ。
私へケアや、サポートを提供してくださる方がいる。
それは、ジャッカル内側の耳から復帰するのに、とても大きな力添えになりました。
本当にありがとうございました。
これからも、また、分かち合う事のチャレンジを続けていきたいと思います。