倶知安神社(北海道) | ~現世の神仏達~

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素戔嗚尊により世界中から全ての神・仏が集められた
人間に入った悪魔達と戦うために神仏も現世の人間に生まれたのだ
そして魔界との戦いは今も続いている!

俱知安神社

 (くっちゃん)

 

北海道虻田郡倶知安町字八幡476番地

 

 

 

【祭神】

誉田別尊(ほんだわけのみこと)
安倍比羅夫将軍(あべのひらふしょうぐん)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大山祗神(おおやまつみのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)

 

 


【旧社格】
郷社

 

 

【由緒】
 クッチャン原野に入植した縫部兼次郎・萬代佐太郎・山本保次郎・山本弥平は、明治29年4月2日入植者達と協議し、開拓の守護神として石清水八幡宮より誉田別尊の御分霊を勧請、ブイタウス(現豊岡)の小祠に祀ったが、同年9月3日に現在地に遷座した。

翌年9月1日に、八幡神社の創立を出願。翌年1月24日に許可される。大正7年、村社に昇格し、神饌幣帛料供進神社に指定される。

 

大正11月、郷社に昇格。同14年に社務所焼失。翌年再建。昭和17年、石造大鳥居を建設し、斉明天皇の御代に「安倍引田臣比羅夫、後方羊蹄に郡領を置く。」とあることから、後志開拓の祖神、安倍比羅夫将軍を増祀する。

 

昭和22年、北4西1に頓宮氏子集会所設置、同社殿他を30年迄に建設、34年に南1東2に移設。

27年、倶知安八幡神社に改称。

40年11月5日、浮浪者の焚火不始末で社殿を全焼失したが、48年に再建。41年、現社名に改称した。
 合併により合祀された歴史をもつ御祭神
 比羅夫神社 大山祗神、天照大御神、保食神 明治31年頃創祀 昭和41年10月27日合祀・天満宮 菅原道真公、天之鈿女命 明治31年頃創祀 昭和41年10月27日合祀・山陰神社(後に出雲神社) 大国主神、事代主神 明治31年9月創祀 昭和41年10月27日合祀

  

 

倶知安町は私が小学校2年~高校卒業まで住んでいた町で、この神社のことは八幡神社と呼んでいました。

街中から離れていたため、私も3度ほど参拝に行っただけです。  街中に倶知安神社の頓宮が

あり、そちらへ参拝したり子供の頃は遊び場になっておりました。

頓宮はまた後日紹介いたします。

 

現在はこの倶知安神社には多くの神様が入っており、参拝をお勧め致します。

 

※駐車場あり

 

 

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