この記事は、穂吉のブログの「2013-01-14 16:31:21」にUPした『日本の神話244. ~第四部 大和朝廷~ =第三〇章 敏達(びだつ)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話243』
先の天皇
天国押波流岐広庭命(あまくにおしはるきひろにはのみこと)
(欽明天皇(きんめいてんのう))様の皇子様の、
沼名倉太玉敷命(ぬなくらふとたましきのみこと)様は、
他田宮(をさだのみや)(奈良県桜井市)にて
天の下をお治められること14年で、
後に、敏達天皇(びたつてんのう)と呼ばれました。
この天皇は、
異母妹君の、豊御気炊屋比売命(とよみけかしぎやひめのみこと)様と
ご結婚をされて、お生みになられた御子様は、
静貝王(しずかひのおおきみ)様、
竹田王(たけだのおおきみ)様、
小治田王(をはりだのおおきみ)様、
葛城王(かつらぎのおおきみ)様、
宇毛理王(うもりのおおきみ)様、
小張王(をはりのおおきみ)様、
多米王(ためのおおきみ)様、
① 桜井玄王(さくらいのゆみはりのおおきみ)様です。
又、伊勢大鹿首(いせのおおじかのおびと)の娘の、
小熊子郎女(をぐまこのいらつめ)様との間には、
布斗比売命(ふとひめのみこと)様、
② 宝王(たからのおおきみ)様の御二柱です。
息長手王(おきながてのおおきみ)様の娘、
比呂比売命(ひろひめのみこと)様との間には、
③ 忍坂日子人太子(おしさかのひこひとのひつぎのみこ)様、
坂騰王(さかのぼりのおおきみ)様、
宇遅王(うぢのおおきみ)様です。
又、春日中若子(かすがのなかのわくご)の娘、
老女子郎女(おみなこのいらつめ)様との間には、
難波王(なにはのおおきみ)様
桑田王(くはたのおおきみ)様
春日王(かすがのおおきみ)様
大俣王(おおまたのおおきみ)様の御四柱です。
この天皇の御子様は、合わせて御一七柱ですが、
その中の、
③ 忍坂日子人太子(おしさかのひこひとのひつぎのみこ)様が、
異母妹君の ② 宝王(たからのおおきみ)様とご結婚されて、
お生みになられた御子様は、
④ 田村王(たむらのおおきみ)様、
中津王(なかつのおおきみ)様、
多良王(たらのおおきみ)様の御三柱をお生みになられます。
その後、④ 田村王様は、岡本宮(おかもとのみや)にて、天の下を治められ、
第34代天皇の 舒明天皇(じょめいてんのう)と呼ばれます。
また、③ 忍坂日子人太子様が、
漢王(あやのおおきみ)の妹の、
大俣王(おおまたのおおきみ)様とご結婚され、
お生みになられた御子様は、
知奴王(ちぬのおおきみ)様、
桑田王(くわたのおおきみ)様と申します。
また、異母妹君の ① 玄王(ゆみはりのおおきみ)様との間には、
山代王(やましろのおおきみ)様、
それから笠縫王(かさぬいのおおきみ)様と申します。
③ 忍坂日子人太子様の御子様は、
合わせて御七柱です。
そして、この御世の天皇、
沼名倉太玉敷命(ぬなくらふとたましきのみこと)様
敏達天皇(びだつてんのう)の御陵は、
河内科長(かわちのしなが)にございます。
- 追 記 -
今回は、『敏達天皇(びたつてんのう)』の章なのですが、次の天皇の『舒明天皇』の御子様たちの紹介も記載されています。
この数日前の天皇の章から、「古事記」には、その天皇が行われた事などが書かれておらず、天皇のご紹介のみの文章だけになっています。
その為に、『「古事記」の編纂を急がれたのか?』と、勝手に想像とか推理をしてしまう穂吉です。
因みに「古事記』は、和銅5年(712年)に『太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)』が、『第43代天皇 元明天皇(げんめいてんのう)(女帝です)』に献上したとされています。
「神話」や、「天皇の歴史」の「言い伝え」を編纂されたのですから、どれほどの年月がかかったのか・・・。
大変なご苦労をされながら、書かれたものだと思われます。
明日は、『用明天皇』の章です。 また読みに来て下さ~い。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。