この記事は、穂吉のブログの「2013-01-09 16:31:01」にUPした『日本の神話239. ~第四部 大和朝廷~ =第二五章 武烈(ぶれつ)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話238』
先の天皇、意祁王(おけのみこと)
(仁賢天皇(にんけんてんのう))様の皇子様の
小長谷若雀命(をはつせのわかさざきのみこと)様は、
長谷列木宮(はせのなみきのみや)にて、
天の下をお治めになられて
後に、武烈天皇(ぶれつてんのう)と呼ばれます。
天皇が天の下をお治められることは、
8年でございました。
この天皇は、日嗣の皇子がありませんでしたので、
皇子に替えて、その御世を後世に伝える為に、
小長谷部(おはせべ)をお定めになられました。
そして天皇の御陵は、
片岡之石坏岡(かたおかのいはつきのおか)の地にございます。
天皇が、ご崩御なさった後、
日嗣の皇子がありませんので、
第十五代、応神天皇(おうじんてんのう)(品陀和気命(ほむたわけのみこと)様)の、
5世の孫に当たる、袁本杼命(をほどのみこと)様に、
近江国(おうみのくに)より都へとお上り頂き、
意祁王(仁賢天皇)様の娘の、
手白髪郎女(たしらがのいらつめ)様との御結婚をとりはかられ、
そして天の下をおゆだね申し上げたのです。
- 追 記 -
「古事記」において『武烈天皇』の章は、これのみの記述しかありません。
しかし「日本書紀」には、この『武烈天皇』について、色々と細かく書かれています。
穂吉の「日本の神話」では、「古事記」の『武烈天皇』を選択し、書かせていただきました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。