この記事は、穂吉のブログの「2013-01-08 16:30:31」にUPした『日本の神話238. ~第四部 大和朝廷~ =第二四章 仁賢(にんけん)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話237』
先の天皇、袁祁王(をけのみこと)
(顕宗天皇(けんぞうてんのう))様の
同母兄君の、意祁王(おけのみこと)様は、
石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)(奈良県天理市)にて、
天の下をお治めになられて
後に、仁賢天皇(にんけんてんのう)と呼ばれます。
この天皇が、
雄略天皇(ゆうりゃく)の皇女の、
春日大郎女(かすがのおおいらつめ)様とご結婚をなさり、
その間に生まれました御子様は、
高木郎女(たかぎのいらつめ)様、
財郎女(たからのいらつめ)様
久須毘郎女(くすびのいらつめ)様
手白髪郎女(たしらがのいらつめ)様
小長谷若雀命(をはつせのわかさざきのみこと)様
それから真若王(まわかのおおきみ)様の
2皇子、4皇女でございます。
また、和邇(わに)の日爪臣(ひつまのおみ)の娘で、
糠若子郎女(ぬかのわくこのいらつめ)様とご結婚なさって、
お生みになった御子様は、
春日小田郎女(かすがのおだのいらつめ)様の1皇女でございます。
この天皇の御子様は2皇子、5皇女で
合わせて御7柱でございます。
このうち、小長谷若雀命(をはつせのわかさざきのみこと)様は、
後に天を治められ、
武烈天皇(ぶれつ)と呼ばれます。
- 追 記 -
「古事記」に記されている、『仁賢天皇(にんけんてんのう)』の章は、これのみです。
しかし、ものの本には
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「『意祁命』様には、後継ぎとなる皇子様が なかなかお生まれになられずにおりました。皇室の血筋が絶えることを恐れ、別の后(側室)を迎えいるれる事となったのです。
新たに后(側室)を迎え入れ、間もなく、天皇がご即位して2年目にして、皇后の『春日大郎女(かすがのおおいらつめ)』様に、待望の皇子様がお生まれになるのです。
『意祁命』様は、たいそうお喜びになられ、仁政を敷いた『仁徳天皇(にんとくてんのう)』にあやかり、その御名の『大雀命(おおさざくのみこと)』様より名を頂戴し、『小長谷若雀命(をはつせのわかさざきのみこと)』と名づけられました。
『小長谷若雀命』様が5歳におなりになると、「立太子の礼」を執り行い日嗣を定めたのです。
しかし、『小長谷若雀命』様は、たいへんな我が儘に育った上、祖父の『雄略天皇』の血を濃く引継ぎ、気性の荒い性質だったのです。
皇太子がまだ年端もいかぬ頃、意祁王様は、宝算50でご崩御あそばすのです。御世も11年と云う年月でございまいました。
そして埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)に納められ、送り名を 『仁賢天皇』とされるのでございました。
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と途中、端折ったり付け足したりいたしましたが、このような部分も書かれておりました。
さて、明日は 次の章 『= 第二五章 武烈(ぶれつ)天皇 =』に突入です。がこれ又、明日一日で終了っす。
そんなこんなで、日本の神話も残すところ、あと9柱の天皇を残すばかりでございます。
第33代の『推古天皇』をもって終了です。
さて、その次からの神話や物語の記事・・・どうしましょう?
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。