この記事は、穂吉のブログの「2013-01-05 16:36:47」にUPした『日本の神話235. ~第四部 大和朝廷~ =第二三章 顕宗(けんぞう)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話234』
この回も、大君、袁祁王(をけのおおきみ)
(顕宗天皇(けんぞうてんのう))様の御世のお話しです。
天皇、袁祁王様は、
父上、市辺忍歯王(いちのへのおしはのおおきみ)様の命日に、
毎年欠かさず花を手向け、
そしてその場所を忘れずにいた、
置目の老媼(おぎめのおみな)をたいそう気に入られ、
皇居のお近くに住まわせました。
さらに、宮中に召し抱え、
大層な待遇をなさったのです。
天皇は、日に一度かかすことなく
置目をお側に呼ばれました。
大きな鈴を、御殿の戸にかけられ
この老婆を呼ばれる時には、
必ずこの紐を引き鈴を鳴らされたのです。
しかし、天皇からのお召しが
老婆には、日に日に負担となっていったのです。
『私は、年を取りました。
故郷に帰りたくなりました。』
そう、天皇に願い出たのです。
袁祁王様は、その願いどおりに
置目を引退させました。
帰路には、沢山の供を付けさせ、
沢山の褒美をもたせ、
その姿が見えなくなるまで、
袁祁王様は、置目を見送ったのでございました。
- 追 記 -
『置目の老媼(おぎめのおみな)』は、『韓袋宿禰(からぶくろのすくね)』という者の妹です。
実は、この『韓袋宿禰』とは、天皇『袁祁王』様と、兄君の『意祁王(おけのおおきみ)』様の父上、『市辺忍歯王(いちのへのおしはのおおきみ)』様を殺害した、『雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)』と共に狩りに出ていた『雄略天皇』の供の一人でした。
天皇、『袁祁王』様は、この者を処刑しようとしたのですが、土下座をし深々と頭を下げる姿、そして何より、父の埋められた場所に、毎年の命日に花を手向け続けてくれた『置目の老媼』の兄であると云うことで、 命をとることまではせず、領地を没収し官籍を剥奪し、さらには、父、『市辺忍歯王』様の墓守とするのみで、許されたのでした。
それから、この『置目』のお話しの部分の最後には、続きがあるのです。ただ、『置目』の事ではなく、『山城の猪飼(いかい)』の事です。
皆さんは、この『山城の猪飼(いかい)』を覚えているでしょうか?
幼き日の天皇『袁祁王』様と、兄の『意祁命』様が、御即位前の『雄略天皇』の追っ手から逃げている途中で、『山城国(やましろのくに)の苅羽井(かりはゐ)』という場所でお弁当を食べた時の事。
この時、目の縁に入れ墨をした男があらわれ、お二人の弁当を奪い去ったこと、そして、その男の名が『山城の猪飼(いかい)』という名だったことを。
参照 : 『日本の神話216「意祁王と袁祁王」』
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天皇が幼き頃、父君が亡くなられた直後にお逃げになった時、天皇と兄のお弁当を奪い去った『猪飼(いかい)』と云う男の事も、ほうぼうに人手を出して探していたのです。
そして見つけ出され、飛鳥川の河原で斬首されたのでした。また、その一族全員の、膝の筋をお切りになったのです。
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という話が古事記の『置目の老婆』という書き出しの、最後の部分には書かれています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。