最近ビートルズにはまってまして。アコギで弾いたりしてると、凄さがよく分かります。オアシスなんかも、ビートルズのパッチワークみたいだなって思ったりして。でも、それでも好きですけど。
ビートルズではジョンレノンが好きなんですが、歌詞とかも凄く良いです。No Where Manなんて、ほっとします。今日はStrawberry fields foreverを弾いてたんですが、ちょっと興味が湧いて歌詞を調べてみました。たとえばこんなサイト。
http://ameblo.jp/arinko-beatles/entry-11149828877.html
(ブログの作者さんに深く感謝します。m__m)
で、自分ならこう解釈するなって思ったので、ちょっと書いてみました。これは別に僕の解釈が正しいというわけじゃありません。まぁ、いろんな解釈が出来るから楽しいんだと思います。
---------------------------------------------------------
一緒に連れて行ってもいいかな、
ストロベリーフィールズに行くんだけど。
そこにはリアルなんて無いけどね、時間のムダってことも無い。
ストロベリーフィールズは永遠だから。
なにも見なきゃ人生なんて簡単だよ。
見るものすべて誤解しちゃうしね。
何者かになるのは難しいけど、けっこう上手くいくもんだよ。
そんなのどうでもいいけどね。
誰も僕と同じ所にはいない。高いや低いの問題じゃないんだ。
それってつまり、僕と君は別って事だ、でもそれでいいんだよ。
そんなに悪いことじゃないしね。
いつだって、いや時々、これが僕だって思うんだ。
でもほら、夢みてる時に分かるんだ、
たぶん、いや、つまりそう、それって全部間違ってる。
それって賛成できないな。
ストロベリーフィールズは永遠だから。
ストロベリーフィールズは永遠だから。
ストロベリーフィールズは永遠だから。
------------------------------------------------------------
一番難しかったのがこの部分の二行目。
Always no sometimes think it's me,
but you know I know when it's a dream.
I think, er No, I mean, er Yes but it's all wrong.
That is I think I disagree.
直訳すると、「でも、あのさ、それが夢な時に(それが自分だって事が)分かるんだ」って感じですね。夢を見ている時に、自分が何者かが分かるってのは変ですよね。※
この部分、かなりぐちゃぐちゃしてますが、多分意図的ですね。自分を定義しようとする時の混乱というか、そういうのを表現してるのかなって思いました。ときたま、自分が分かったような気がしたり、夢の中で気付いたりするけど、それってやっぱり違うんじゃないかって言ってるのかなと。
上に張ったリンク先に書いてあったのですが、ストロベリーフィールズというのは、戦争孤児院の事だそうです。ジョンレノンはその近所を遊び場にしていたそうです。なんとなく、そこでは子供たちが現実を見すえないで、逃避しているというか、そういう状態だったんじゃないかと。「なのも~」と「誰も~」のパートは、そういう経験から得た人生観のような。「いつだって~」っていうのは、結局自己を定義するのは、どうやっても出来ないんじゃないかと、そう言ってるのかなと。どうせ定義しようとしても、混乱するだけだし、と。
こういう戦争孤児院に限らず、結局世の中は大変な事ばかりなので、多かれ少なかれ、現実を見てみないふりしないと、うまく生きられないですよね。なんで、現実を見据えられないんだったら、別に自分が何者であるか定義しなくても、別にいいんじゃないの?と、そういう事なのかなと思います。
そう解釈すると、なんだか随分、人生が楽になる気がしますね。No Where Manも、特に目的もなく、明確な哲学もなく生きている人に対して、「それでもいいんだよ」と歌いながら、「この人って、ちょっと僕らに似てません?」とも歌っています。ジョンレノンって政治的な活動をしたりとか、愛を歌ったりとか、そういうイメージが強いですが、こういう、普通の人をちょっとホッとさせるような歌もあるんだなって、改めて思いました。
※ちなみに、フロイトの夢判断みたいなのを否定してるのかもしれません。ただ、詳しくは知りませんが、フロイトの夢判断は自己を定義するための手法じゃないので、ちょっと別の話なんですが。ただ、夢から自分が分かるような事を主張する人もいますし。
ビートルズではジョンレノンが好きなんですが、歌詞とかも凄く良いです。No Where Manなんて、ほっとします。今日はStrawberry fields foreverを弾いてたんですが、ちょっと興味が湧いて歌詞を調べてみました。たとえばこんなサイト。
http://ameblo.jp/arinko-beatles/entry-11149828877.html
(ブログの作者さんに深く感謝します。m__m)
で、自分ならこう解釈するなって思ったので、ちょっと書いてみました。これは別に僕の解釈が正しいというわけじゃありません。まぁ、いろんな解釈が出来るから楽しいんだと思います。
---------------------------------------------------------
一緒に連れて行ってもいいかな、
ストロベリーフィールズに行くんだけど。
そこにはリアルなんて無いけどね、時間のムダってことも無い。
ストロベリーフィールズは永遠だから。
なにも見なきゃ人生なんて簡単だよ。
見るものすべて誤解しちゃうしね。
何者かになるのは難しいけど、けっこう上手くいくもんだよ。
そんなのどうでもいいけどね。
誰も僕と同じ所にはいない。高いや低いの問題じゃないんだ。
それってつまり、僕と君は別って事だ、でもそれでいいんだよ。
そんなに悪いことじゃないしね。
いつだって、いや時々、これが僕だって思うんだ。
でもほら、夢みてる時に分かるんだ、
たぶん、いや、つまりそう、それって全部間違ってる。
それって賛成できないな。
ストロベリーフィールズは永遠だから。
ストロベリーフィールズは永遠だから。
ストロベリーフィールズは永遠だから。
------------------------------------------------------------
一番難しかったのがこの部分の二行目。
Always no sometimes think it's me,
but you know I know when it's a dream.
I think, er No, I mean, er Yes but it's all wrong.
That is I think I disagree.
直訳すると、「でも、あのさ、それが夢な時に(それが自分だって事が)分かるんだ」って感じですね。夢を見ている時に、自分が何者かが分かるってのは変ですよね。※
この部分、かなりぐちゃぐちゃしてますが、多分意図的ですね。自分を定義しようとする時の混乱というか、そういうのを表現してるのかなって思いました。ときたま、自分が分かったような気がしたり、夢の中で気付いたりするけど、それってやっぱり違うんじゃないかって言ってるのかなと。
上に張ったリンク先に書いてあったのですが、ストロベリーフィールズというのは、戦争孤児院の事だそうです。ジョンレノンはその近所を遊び場にしていたそうです。なんとなく、そこでは子供たちが現実を見すえないで、逃避しているというか、そういう状態だったんじゃないかと。「なのも~」と「誰も~」のパートは、そういう経験から得た人生観のような。「いつだって~」っていうのは、結局自己を定義するのは、どうやっても出来ないんじゃないかと、そう言ってるのかなと。どうせ定義しようとしても、混乱するだけだし、と。
こういう戦争孤児院に限らず、結局世の中は大変な事ばかりなので、多かれ少なかれ、現実を見てみないふりしないと、うまく生きられないですよね。なんで、現実を見据えられないんだったら、別に自分が何者であるか定義しなくても、別にいいんじゃないの?と、そういう事なのかなと思います。
そう解釈すると、なんだか随分、人生が楽になる気がしますね。No Where Manも、特に目的もなく、明確な哲学もなく生きている人に対して、「それでもいいんだよ」と歌いながら、「この人って、ちょっと僕らに似てません?」とも歌っています。ジョンレノンって政治的な活動をしたりとか、愛を歌ったりとか、そういうイメージが強いですが、こういう、普通の人をちょっとホッとさせるような歌もあるんだなって、改めて思いました。
※ちなみに、フロイトの夢判断みたいなのを否定してるのかもしれません。ただ、詳しくは知りませんが、フロイトの夢判断は自己を定義するための手法じゃないので、ちょっと別の話なんですが。ただ、夢から自分が分かるような事を主張する人もいますし。