私は東京大学2年生です。私は東京大学に合格しましたが、入学後に謎の虚無感に襲われ、二年間本当に無駄な時間を過ごしました。私なりに自己分析をした結果が以下の少し長めの文章です。受験に必死になればなるほど、私のような人が幾度となく生まれると思います。そのような人たちが私の二の舞にならないようにこのブログを書きました。
今受験勉強をしている方や、私のように大学に入って自らの意思に反しやる気が全く出なくなった方に是非読んでもらいたいです。また受験界に携わっている教育者にもこの文章が伝われば幸いです。
私が大学受験を終えてから2年が経とうとしています。私の夢は幼い頃から研究者で、それは今もこれからも変わりません。それにもかかわらず私はこの二年間完全に勉強をしませんでした。勉強をやめたというより全くやる気が起きなかったと言う表現が適切かもしれません。勉強をしようと思っても心と体が動かないのです。
皆誰しもが夢を持っています。しかしほとんどの人間が夢を叶えられず終わってしまう一番の原因は、諦めてしまう意志の弱さだと思います。一見私も同じくただ意志が弱いから勉強をしていないように思えます。確かにそうかもしれませんが、自分としてはどうもそのような感じではないのです。大学受験を終えてから何か心にすっぽり穴が開いたような感じがするのです。私はこの原因は何なのかをこの二年間思索し続けてきました。そしてその結果がこちらです。
私は小学5年生から8年間ずっと厳しい受験戦争の中で生きてきました。完全な受験小僧でしたが、それでも私のゴールは研究者であることをきちんと認識して受験勉強をしていましたし、大学受験はただの通過点にすぎないことも重々承知していました。なのに受験戦争で一番大きな関門であった大学受験が終了した時、私は燃え尽きたのです。悔しいながらこれが現実です。その後2年間私にあったのは虚無感と喪失感だけです。何もしたくない、勉強の2文字すら見たくない、ただぼーっと映画を見たりゲームをしていたい、人と話したくない。2016年は本当にこの心境そのままに何もせず1年を過ごしました。本当に苦しかったです。まるで精神的な重い病を抱えた気分でした。2017年はさすがにおかしくなりそうで、でも勉強はしたくないから、代わりに筋トレを始めました。筋トレだけは死力を尽くして本気でやり通し、何か一つを真剣にやり続けることで何とか正気が戻りました。しかし、2年経った今でもこのような気持ちが完全に消え去ったわけではありません。2年前に比べれば大きく改善はしましたが、まだまだ時間がかかりそうです。
実は私は大学入学直後、親との不仲から一人暮らしを始め、今も続けています。この慣れない一人暮らしを始めたことが運良くか必然的か、私の虚無感の原因に対して大きなヒントをくれました。自分の意思で何もかもしなければならない一人暮らしをしていく中で、「私の性格が突然怠慢に変わったわけではなく、やる気を失った今の私がもともとの本当の私であり、自分の化けの皮が剥がれた結果だということに気づけたのです。」
生まれてから大学に入るまでは、恵まれた環境のおかげで、親や教員の全面的なバックアップと、敷かれたエリートへの道がありました。稚拙な私は2年前まで、自分の力でここまで来たと勘違いしていましたが、この2年でよくわかりました。私はすでに親や教員に敷かれたレールを、親と教員に走らされていたのです。もちろんこのレールを最後まで走りきるのは難しく、多くの人が途中で脱落していくか自分の興味に合った違う道を行きます。世間は勉強のレールから脱落し他の道で成功を収めることも叶わなかった人々と違って、最後まで敷かれた勉強のレールを完走した人をエリートと呼びます。私は自分を後者のエリートだと思っていましたし、実際そうなのかもしれません。しかし、くしくもレールを完走しきったエリートの中には「敷かれた」レールを言われるがままに完走したただけの従順な作品みたいな人も多くいることに気づきました。
大人が敷いたレールにちゃんと従って走ってきたということは従順性が高い、裏返せば自己性(個々特有の性格)がないことにもなります。いいえ、自己性を消されたという表現が正しいでしょう。生まれつき自己性のない子供はいません。エリートを育てる家庭では幼い頃からしつけは厳しく、従順性を高め、自己性を消すように教育されます。遊び盛りの小学生の時から塾に通わされ、恋愛や部活に打ち込む中高生の時期も勉強を優先します。生まれてから常にやりたいことを我慢し、ただ勉強をするように鍛え上げられるのです。こんな教育を受ければ自己性がどんどんなくなっていきます。自己性から生まれる興味は親や教員そして教育された自分からも消しさられ、勉強という自己性もクソもないものだけを半ば強制的にやらされるのです。
ただもちろん勉強も楽しい部分はあります。何と言ってもわからなかったことがわかった時の達成感。これは本当に別格です。また私の夢にも関係することですが、こんな壮大な宇宙での現象を自分が理解している物理法則で書き表せた時の喜び。このように勉強をしていく中で喜びを見出し、研究に夢を持ち始める人も多くいます。そして現代の科学技術を作り上げたのはまさにこういう人たちのおかげですから、研究者様様ですよね。僕もこのような過程で研究職を志せたので僕は親や先生方に今でも感謝しています。もし子供に戻って人生をやり直せたとしてもまた同じ人生を選びます。
ただ問題なのは夢があることと大学に入ってからそれに対する努力ができるかどうかは別だったということです。人間は目標を持っていたとしてもそれに対して努力することは難しいですよね。勉強重視の家庭や学校はそんな努力を「強制的に」やらせていた。つまり、受験勉強での努力は確かにまぎれもない努力でも、「自らの努力」ではなく「強制された努力」なのです。この違いはあまりにも違う努力なのです。「強制された努力」で手に入った東大生という称号よりも、「自らの努力」で勝ち取った高卒の公務員の資格の価値の方が比べられないほど高いのです。だから「強制された努力」ばかりしてきたエリート大学生が、突然「自らの努力」をできるわけがないのです。そして「強制された努力」ばかりしてきた私は、「強制された努力」が当たり前すぎて「自らの努力」に気づくことさえ思索し続けて2年かかりました。もし一人暮らしをしていなかったら、「強制された努力」のままで大人になり、いわば「勉強しかできない、使えない東大生」になっていたかもしれません。私の夢への本当の挑戦は今からがスタートなのです。
私は正直自分はエリートだと驕り、恥ずかしながら学歴の低い人たちに対して優越感を持っていました。深く反省し申し訳ない気持ちで一杯です。「強制された努力」を私からとったら何も残らないのですから。
そして今受験勉強をしている人たちにメッセージがあります。私は大学に入って2年が経ってやっとこのことに気づけ夢へのスタートに立つことができました。この2年は人生でおそらくもっとも有意義な2年でしたが、それと引き換えに人生で最も大切な時期の2年を勉学に費やすことができませんでした。このことは大学に入ってから気づく必要は全くありません。早ければ早いほど時間を有意義に過ごせるのです。中高生のみなさんはこれを読んでも、俺私はお前みたいなザコとは違う、と思うかもしれません笑。私もそうでした。私も自分は周りと違って夢のために勉強しているし、親や先生に縛られず勉強しているんだと思っていました。でもそれは見かけの思い込みであって、本当の「自らの努力」ができている人はほんの一握りだと思います。そして「自らの努力」ができるようになった人が、分野かかわらず「作られた成功」ではなく「自ら作り出した成功」をし、まだ誰も成し遂げたことのない貢献をするのだと思います。もしみなさんが「強制された努力」のみで大学にはいると必ず私のように苦労しますし、自ら努力のできない人間のままです。何度失敗しても融通のきく中高生の間に試行錯誤して「自らの努力」ができるように頑張りましょう。
最後に受験界に携わる教育者へのコメントです。欧州の大学は日本ほど大学入試の競争が激しくありませんし、内容もそれほど難しくありません。何よりそのおかげで受験戦争も起きず、子供の時に「強制された努力」をさせられる可能性も必然的に低くなります。親や教員に努力を強制されなければ、子供達は自ら努力するしかありません。つまり欧州の大学生は自然に「自らの努力」ができる状態で入学してくる可能性が高いのです。「欧州の大学生は勉強し、日本の大学生は勉強しない」と言う決まり文句はそこに要因があるのではないでしょうか。とはいえ、受験体制を突然変えることは無理ですし、だからと言って親が子供に「自らの努力」をするように待ったところで、大学受験時点では「強制された努力」をした生徒の方が強いのですから、結局当分は日本から受験戦争は消えないでしょう。
しかし、受験勉強を教える中でも「自らの努力」をするように促すことはできると思います。教員にとっては、確かに担当している科目の点数をあげたり生徒を合格させることが一番の目標であると思います。ですがみなさんは受験勉強をする生徒にとって「教科の先生」であるとともに、「人生の先生」でもあります。残念ながら私には「教科の先生」はいても「人生の先生」はほとんどいなかったように思えます。私も今塾講師のアルバイトをしているので、受験界の教員には結果がシビアに求められ、あまり余裕がないことは非常にわかります。しかし、受験生にとってみなさんは唯一の「先生」です。私はアルバイトの身でみなさんのようなプロの講義はできませんが、生徒が自ら努力したくなるような授業にしようと頑張っています。みなさんも私のような受験マシーンが生まれないように、ただ点数アップを図った授業を展開するのではなく、生徒が自ら努力したくなるような授業展開をしていただけることを望んでいます。
このブログを読んでくれる人はほんの一握りでしょうが、一人でもこのブログを読んでいただければ幸いです。