誰もが、なぜ勉強しなければいけないのかと思ったことはあると思います。
歴史を学んだところで、何になる。
数学を、何に使うの。
僕もそう思っていた時期がありました。
苦しんでまで勉強する価値って何?と。
いや、実際今でもまだ考えていますし、その答えが見つかったわけではありません。
でも、昔よりは意味を感じるようにはなってきました。
一言で言うと、教養と可能性ですね。
たとえば、医者になるには勉強をしっかりしなければいけません。
それは皆さんご存知だと思います。
しかし、医者に限らず、勉強ができると、選択肢が増えるわけです。
自分の将来の可能性は、小さいより大きいほうが良いに決まっています。
もうひとつは、教養です。
何か、話をするときに教養があると役に立つものです。
話に重みが出てきますから。
僕は、漠然とこのような意義を見出してはいましたが、やはり勉強の必然性は未だに理解できません。
アルバイトをして社会経験を積むのも、教養の一つであってもいいと思うし、何も学校の勉強のみが全てというわけではないと思うのです。
ただ、今の日本のシステム上といいますか、社会ではやはり、勉強ができる、良い大学を出ているということは一つの武器になりますし、評価対象になります。
そういう意味でも勉強は必要だなと思ったりもするわけです。
僕は、ずっとこのように勉強の意義を見出していましたが、京大出身の芸人、ロザンの宇治原が先日テレビで、次のようなことを言っていて、とても感心しました。
「どんなに丈夫な鉄柱でも、長くしていけば、絶対折れる。でも、柔らかい土でできた富士山は3700メートルを超える標高をもち、崩れない。この違いは、すそ野の広さにあり、すそ野が広いことはとても大切だ。学校の勉強というのは、将来どのような方向に進もうとも、折れないようにするために、このすそ野を丈夫に盛っている段階だ」
要約すると、このような感じでした。
学校の勉強は、土台を作っている段階で、その土台が何の土台であるかはまだ分からないかもしれません。
でも、将来、伸びるためには、その土台はしっかりしたものでなくてはならないのです。
自分なりに、勉強する意味をしっかりと持てば、勉強も捗ります。
これは小手先の勉強法ではなく、勉強法の王道だと思います。
なぜ、勉強するのか。
それをしっかりと考えて前に進みましょう。
(東大生の効率的勉強法引用)
