孤独な時間が増えてしまって耐えることができない。インターネットを断つことができない。だって、そうしてしまったら一人になってしまうからだ。コロナ禍の前は、オフラインで人とかかわって、孤独を避ければいいのだが、今となっては、どうすればいいのかわからない。ひとりになったら、俺は生きている意味がないと思ってしまうんだ。答えは出ない。希望なんて、見出せるわけがない。苦しみしかない。死にたい。そう思ってしまうのも無理はないだろ。無理だろこんなの。誰にも会えないんだぞ。こんな状態でどうやってがんばれっていうんだ。そうか。がんvばれる人は頑張れるのか。そういう努力ができる人、いや孤独に耐えられる人は強いよな。俺には無理だ。遠距離の彼女とラインで話したって、正直その時は楽しくても、そのあとすぐに落ち込んでしまう。その楽しさは、行動が変わるほどのものにはならないんだ。解決策が分からない。友達は連絡が取れないし、彼女と図っと話しているわけにもいかないし、難しい話ができるわけではない。ずっと最低な気分だ。はあ。そんな細かいこと考えずにがんばれっていう人もいるかもしれないが、今まで十分頑張ってきたんだ。俺は大体、初めの1年は頑張れるものだ。大学はたぶん、こんなことにならなかったら単位を落とすことなどなかっただろうし、バイトをあんな形でやめることもなかった。どうしてこんなことになってしまったんだ。答えは出ないし、それを考えることにも意味はない。俺はきっとそういう意味のないこと、反芻思考になることを考えがちなんだろう。そんな人間がここまで頑張ったこと。さらに言えば、今年の前半頑張ってきたことを考えると、なかなか頑張ってきたと思っている。授業がなくなり、大学とのつながりもなくなり、何をすればいいかわからなくなってきた。タイトルをここで回収する。

 だが、ふと、ふと思った。じぶんで見つけ出すしかない。この気持ちにうそをついてごまかすことが最も無駄なことなんだ。どうすればいいかわからない状況で、気晴らしにYoutubeをみて、ゲームをして気持ちを紛らわせる。今こんなことになっているのは、ネットやゲームのせいではない。そうだ、そうかもしれない。つまりだ、ごまかして別のことをするのはそんなにいい選択肢ではないどころか、まったくもって問題解決になっていないんだ。それとさみしい孤独の気持ちはまた別問題なんだ。多分。なるほどな。ちなみにいうと、このブログにはとても助けられている。誰にも言えない感情を話せるし、誰かに言うことで余計にめんどくさいことになる危険を冒すことがない。ふう、にしてもとりあえず、外に出なければ始まらない。彼女と会うまで、残り10日ほどしかない。お金もないし、体もなまっているどころか、体調がとても悪い。常に頭痛がするし、ファーストフードに体を毒されてしまった。はあ、いやな気持は出すべきだ。そうだ、いやな気持を我慢することは、いやな気持を抱いていないこととは、また別のことなんだ。いやな気持を我慢したり、気を紛らわせたりすることで、俺は嫌な気持になっていない、もしくは楽しい気持ちで紛らわそうとするが、それはあまり効果がない。知識としては知っていたことだが、はやり人間の心理は興味深い。知識と体験に基づく知恵は同じではない。おれは、別のものを同じだと思ってしまう、というか概念同士の意味の境界をあいまいにしているようだ。というかたぶん、この闇期でかなり頭がぼけた気がする。これはやばいぞ。とりあえず何か話さなければ。絵本の読み聞かせでもやるべきだろうか。

 そういえば、話し方について興味がある。活舌や話し方、話の組み立て方などについてだ。話し方が良いと、気に入られやすかったり、説明がよく理解できたり、好意を抱かれやすかったりするのは俺の経験からだが、これに反論する人はいないだろう。正しい話し方を練習することで、人と話すときも自信を持って話すことができるのではないだろうか。

 とにかく、いやな気持になったときに、やれることをリスト化しよう。それで気持ちが楽になれることを徹底的にやろう。それはごまかしではない。例えば、youtubeを見たり、ひとりでゲームをしたりするのは、根本の解決にはならないし、ごまかしているからだ。俺は自分の心をごまかす傾向にあるから、しっかり向き合ったほうが、立ち直りが早いのではないかという仮説だ。うん、これは間違いなさそうだ。そして、解決策の中の大きな柱になるであろう行動が、このブログであろう。youtubeを見ても、ゲームをしても、マックを食べても晴れなかったこの気持ちがいま、このブログを書いていることで、未来がなぜか、なぜか明るくなっている。不思議だ。いやな感情を出さないと、減らないんだ。ごまかしの娯楽では、まったく減らないどころか、ネットに使う時間が増えることによって、様々な弊害を巻き起こす。これは、絶対にやってはいけない。何のメリットもない。だが、心が休まる最もお手頃な行為だとおれ自身学習しているのも事実だ。ネットは便利だ。それもyoutubeは見ているだけだから、受動的にいくらでも、何時間でも見ることができる。うまく言葉にできないが、こんなことで孤独がまぎれるわけがないと、客観的には思う。不安でどうしようもないときは、その気持ちを遠慮することなく、吐き出すことが重要なんだ。この気持ちをないことにするんじゃない。誰かにこの気持ちを知ってほしい気持ちでいっぱいだった。でも誰にも話せる状況ではなかった。一番話しやすい友人は連絡が取れないし、このことを彼女に話しても、力になれないと落ち込むだけである。だが、いま、俺は俺に俺の気持ちを理解してもらっている。俺が本当の意味でおれの気持ちを理解してあげることができている。これは、こどくではない。もしかして、俺が孤独だと思っていたこのもやもやは、ただの孤独とは少し違うものなのかもしれない。得体のしれない恐怖とか、不安を処理しきれない恐怖とか、解決策が浮かばない先行きのなさとか、そういうものに近いと思う。まだ言葉にはできないが。

うん、この行為は楽しい。なんだろう。恐らくネットが悪いわけではない。俺のよくないところと、ネットのよくない側面が悪い意味でかっちりはまっているんだ。というか、この日記は毎日書いたほうがいいのでは?めちゃめちゃ価値のある、自問自答だと思う。自分のことが知れるってすごい価値のあることだとおもう。それがこのようにたいぴんぐしているだけでできるのは、すごくいいな。ペンで書くのもいいけど、俺はタイピングのほうが好きだ。そもそも文字を書くのが好きではないのかもしれない。下手だし、たいぴんぐのほうがはやいんだよね。早いほうがストレス少なく書けるし、続けやすいし、速い分多くかけるから時間効率もよい、素晴らしいなタイピング。

とりあえずおれは、外に出ることが最優先ミッションだ。コンビニに行くべきか。10時になるまで、

さっきの考えから行くと、はやりゲームとyoutubeはやらないほうがいいのかもしれない。おれにはうまくつかえるしろものではない。うまく使えると自信ができるまで、やめていたほうがいいかもしれない。周囲には、ネット依存症になったと公言していたほうがいいかもしれない。まあ、そうだな、アマゾンプライムとかはいいよな。よくないのは、受動的にできてしまうことだ。あと、毎日変わることで、情報が目まぐるしく変わることで、快感を覚えてしまうから、SNSはやめておく。今もやってないけどね。あれは純粋に楽しくない。ネットを断ち切るわけではない。だが、時間を制限するべきだとは思う。いままでに、ゲームやyoutubeを禁止することがあったが、思っていたほどの効果がなかった。多分スマホを触ることがよくないのだ。意志力がきちんとしている人間でもスマホに吸い込まれてしまうわけだから、おれみたいなものは、ずっとこうそくされるにきまっている。だから、使う時間を決めよう。らいんは、こっちから送る時間を決めよう。おくられてきたものは、アップルウォッチで確認して返信しよう。スマホを時間外で使う場合は、その利用目的をスマホを使う前に入力し、それ以外のことをしてしまったら、減点する方式に使用。これなら、行動を変えられると思う。結局は習慣化なんだ。よし、これならいいとおもう。そしてアイディアは文章にしたほうがいいな。慣れていない人ほどやったほうがいいと思う。思考がくっきりするどころか、普通に見えるからな。書いたほうがいいに決まっているわ。