白いご飯について。好きな食べ物に対して書くことは、相対的に自分について書くことだと村上春樹が言っていたのでやってみます。白いご飯という表現は不思議だ。ごはんというと飯全体なのか、コメ自体を指すのかよくわからない。その差別化なのか。差別化という言葉をごはんについての話題で使うのはいささか不敵な気もする。柔らかい言葉ではなそ。白いご飯というとふっくら炊きたて、つやつやでほくほく、自然な甘みが感じられて、カメラでズームになっているCMの様な場面を想像できる。昔は粋な食べ物と聞かれて白いご飯と答えていた。周りと違う自分!という意味もあった。でも、ほんとに好きだった。うちは母親が朝から鮭やたらこを焼いてくれるありがたい家だったので、毎日違うお供と食べるのが楽しみだった。ぎゃくにふりかけはほとんど使っていない。なんて贅沢なが子供だ。将来のお嫁さんには同じことを要求しないようにしよう(母に忠告された)白いまま?食べるのも好きだった。甘さを感じられるし、さっぱりするからだ。

そんなこんなで小さいころからお米大好きだった少年はぷっくらしていた。パンはほとんど食べなかったし、ひたすらご飯が好きだった。でも、お代わりをするわけではなかった。ただ当たり前の様に食べていただけ。お米も良く研いでいた。自分がといだお米はおいしく感じる、というわけでは全然ないけれど、リズミカルにしゃっしゃと手を動かすのが楽しかった。