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ひらけごま

あたまもこころもひらけごま。
不思議で愉快な日常??
主夫やりつつ小説書きつつ猫や草花と話しつつ。

文学って芸術なんです。

 

 

っていってもちゃんと伝わらないんだって、

気づいたのは、大学卒業間際(笑)。

 

 

あの、ボクは理物出身なので、

大学では芸術も文学も関わってはいないです。

 

 

ただ、昔から習慣的に芸術に接していたというか、

日常的に、そういうのが必要になる渇きみたいなのがあって、

 

 

思い立ったら行くみたいなことが、昔から多い。

 

 

だから、芸術活動の意義は何かとか、何してる人なのかっていうのは、

 

普通分かってるものだと思ってたけれど、

実際はそうではないのかーと、

 

 

結構大人になってから知ることに。。。

 

 

 

某ブログに触発されて、

文学とか文体とか、この芸術の基本について、

最近は頻繁に、考えるようになりました。

 

 

どうなんだろう。

いまだに誰なら文学が芸術だとわかっているのかわからない。

 

 

近代に入ってからは、特に純文学と呼ばれるもの。

これは芸術です。

真心から湧き上がる対象を、

純文学という表現形式で求め、極めようとする行為。

 

 

文体はその対象を純粋な形で表現するために、

定まるべくして定まる表現技法。

 

絵画でいえば、使うべくして使う画材の種類に当たるもの。

 

 

だから、対象を見失わなければ、

洗練に向かうものだと、思います。

 

 

ここでいう対象は、今では世界と呼ばれてると思います。

或いは真理。或いは真善美。

 

 

各作品のモチーフは、

その世界からほんのちょっとだけ抜き出したものです。

 

 

 

加えて、文学は商業芸術です。

お金を払って読んでもらわなければ、意味がない。

 

 

単なる娯楽とは、

刺激の強さではなく、質の高さを楽しむところが違います。

 

 

 

一方エンタメ文芸は、

ここでいう、刺激の強さを楽しむために書かれたものなので、

 

それはそれで、そのための文体に必然的になるのでしょう。

 

 

(純文よりのエンタメと言われる小説は、

トレンドで生まれた亜種として説明できると思う。)

 

 

 

この道を極めた先に、可能な限り近づいていきたいですね。

 

 

最後になりますが、

道を極めるとは、すなわち極道と言った中学の国語の先生は、

 

頭をつるつるにして、色付きの眼鏡をしていました。

(そういうひとじゃないですよ!)

 

あと後ろにいた別の国語の先生は、

その話の時、竹刀をもって立っていました。

(だからそういう人じゃないって!)

 

 

(どう考えてもやばい学校にしか聞こえないけど、

竹刀は「道」の説明のために持ってただけで、

その先生は、剣道の有段者です)