私は
中学生の時に 
カウンセリングを
受けたことがあるんだ


学校に
定期的にきてる
スクールカウンセラーの先生
いるじゃん?


そのカウンセラーの先生に
話を聞いてもらいに行ったんだ


めちゃくちゃ
勇気ふりしぼった


その先生がいる
教室の前を
行ったり来たり、、
ノックしようか
やっぱりやめようか、、


こわいな
勇気いるな
どうしよう


で、でも、、
この教室の前を
うろちょろしてると
誰かに目撃されちゃうかも


あいつ
カウンセリング受ける気か?
悩みをカウンセラーに相談するとか
だっせぇー


なんて
思われるかも


早く早く
誰かに見られる前に
もう入っちゃえ


えいっ!
コンコン



驚き驚き驚き驚き









という
懐かしい思い出




なにを
相談しに行ったかというと


母親のこと


ご飯作ってくれない
洗濯はくっさい泥水で洗われる
酔いつぶれていつも廊下で寝てる


などなど。





お母さんは普通じゃない

と気づいていた



でも
当時中学生だった私は無力で
何もできなかった
辛かった


給食で栄養をとっていたので
栄養不足じゃないかと
心配だった


妹もいたので
栄養不足で
私も妹も生理がとまるんじゃないかと
不安だった









コンコン

いざ
カウンセリング室に入ると


、、、
何も話せなかった
自分の気持ちを言えなかった



カウンセラーの先生は
とても優しそうだった



でも
何も話せなかった



相談するってさ


自分の傷をえぐるような、、
聞いてほしいようで
聞かれたくないというか、、
すごい勇気がいる、、





つらい苦しい

現状を変えたい
相談したい


その気持ちはあるのに、、

 


カウンセラーの先生は
そんな私に
何か聞き出すことはなかった
一度もなかった


ただただ
優しく見守ってくれた


にっこり
そこに居ていいよって
何も話さなくていいし
ただそこに居ていいよって

そんな風に
微笑んでくれた




優しい先生
その先生に
何をするわけでもなく
話を聞いてもらうわけでもなく
 


ただただ
その先生に
定期的に会いに教室まで足を運んだ



自分の
辛い思いを話すのは
勇気がいるから



黙って
紙に書いた


「お母さんがご飯を作ってくれない
つらい」



もうよく覚えていないけど
こんな感じのことを
紙に書いた 



カウンセラーの先生は
私に
何かアドバイスするとか
根掘り葉掘り聞くとか
そんなことは一度もなかった 



ただ
先生のそばで
私は
「虐待」って本を読んでいた
図書館で見つけて借りた本



あーなるほど
私は
虐待されてるのか
これは
虐待だな 

 
って冷静に気づいていた


客観的に自分の状況を見れていた


だから
虐待というタイトルにひかれて
読んでみようと思って




その本を読むことで
自分の現状を知った

そして
母親自身も辛いんだって知った





カウンセリングって
あったかいなぁ
って感じた


カウンセリングって

重度の
心の病の人が受けるもの
って思ってたけど 
 


そんなことない



今の時代は

カウンセラー
心理アドバイザー
認定心理士


いろんな方たちがいる



カウンセリング受けなくても
クリニックに行かなくても


ブログを読んで
心の仕組みを学べたり
自分の現状を知ることができたり


オンラインで
気軽に話を聞いてもらえたり
マインドの整え方を学べたり



心のプロの方の力を借りて
他力を使って



自分の心に向き合うことができる






自分の心に向き合うこと

なにがつらいか?
苦しいのか?
しんどいのか?


 
生きづらさを抱えている人は
自己肯定感が低いんだよね



じゃぁ

なぜ

自己肯定感が低くなったのか?



育った環境に
必ず何かがあったはず



とくに

母親との関係



私ほど
わかりやすく
母親に問題がない場合でも


母親に
否定されたのがつらかったとか
兄弟と比較されたこととか
いつも不機嫌な母親だった
不幸そうな母親だった


などなど
よーーーく深堀りしてみると


母親に
わかってほしかった気持ち
認めてほしかった気持ち
愛されたかった気持ち


何かあるんじゃないかな?



自分の生い立ちに目を向けてみる

 

そこに
必ずヒントがあるのよね


見たくないけど
認めたくないけど


そこがスタートだし
そこに向き合うのが
てっとり早いニヤリ