「ちんちんかもかも」

 この言葉を見て卑猥だと感じた諸君に対し、「一体どういった国語教育をうけてきたのか」と叱咤しなければならないのが非常に残念である。

 まあ古風な言葉なので常用言葉ではないかもしれないが、男女が仲睦まじくしている様という意味だ。
現代風に言い換えるならイチャこいてる様子と言うべきか。

 それを聞いて「あれ、やっぱり卑猥なんじゃん」という考えに至った諸君に対し、「どういった倫理観を学んできたのか」と問いただし、返答によっては拳という手段を持ち出さなければならないのが非常に残念だ。
男女が手をつないで、街中を歩きながらでえとをしているイメージが正解である。

 まさか、そびえ立つ男性器を前に金髪美女が股を広げて「カモンカモン!」などといっている様子を脳裏に描いてるわけではあるまいな。
もしくは「かもかも」という部分は精液のスラングである「Cum」から来ているのではないかなどと、一歩も二歩も上の知識を持って答えを導こうとしたエロ博士の名を恣(ほしいまま)にしている者も居るかもしれぬ。

「どんな和製英語だよ」と突っこみたい。

ふと、教室を同じくした友人の女子やアルバイト先の後輩女子に何くわぬ顔で使ってみたところ、その反応に軽蔑と驚き、焦りなど様々な感情が見て取れたため、なるほど、この言葉から何やら疚しい(やましい)ことを脳裏に浮かべたのは私だけではないのだなと安心したのであるが、よく考えればセクハラまがいのことをしたなと反省する次第である。
女子トイレで小川のせせらぎと、小鳥のさえずりが聞こえるようになったのはいつの頃からだろう。
私は普段から全く女子トイレというものに関わりがない身分ではあるが、レストランなどの男女共有トイレでもたまにあの音を耳にすることがある為、最近ではそこまで縁遠いモノではないと感じるようになった。

それどころか友人の家のトイレにあの機能が付いていることを知ると、もう日本では標準装備になりつつあるのかと驚かされるばかりである。

私があの音姫という機能を初めて体験した時は、嗚呼、こんな身近な厠という場所で風流を感じることができるのかと感動したものだ。

便器に腰掛け目を閉じてみると、翠緑の木々から溢れ出す木漏れ日を受けて水面でゆらゆらと輝いて揺れる光、その傍らで気持ちよく愛の歌を歌う小鳥たちの可愛らしい姿が浮かんでくる。

日本人というものはなんと雅な物を作ったのだろう。こういった実用性に捕われない趣というものが人間の精神を遥か高みへと導くのである。私は人間の精神の高みをとにかく追い求めていたルネサンス期、人文主義の精神を受け継いだ大発明だとさえ思ったのである。


まさかその時は己の垂れた糞の音をかき消すために発明されたとは露ほども思わなかったのだ。
後にそれを聞かされるにあたり、私はただただ煌びやかな物をただあしらっただけのフランス、ブルボン王朝のヴェルサイユ宮殿のような見栄っ張りばかりで実用性のかけらもないと認識を改めた。

もう便器に腰掛けて目を閉じたところで、あの新緑はさむざむとし、可愛らしい小鳥もどこぞへと飛んでいってしまい、空には暗雲が立ち込めているばかりである。

その代わりにといってはなんだが、小汚い鳥がどこで覚えたのか綺麗な声を擬態し、排水にまみれたドブ川の泡がぶくぶくといっている様が脳裏に浮かんでくるのだった。おまけに人糞の臭いもするではないか。
これでは糞のキレが悪くなるのも当然だろう。

しかし、自信過剰というべきか、被害妄想というべきか。誰も己の小便の音など聞き耳を立てておる物などおらぬと言うのに。

だけどもそれを慎み深い態度だと思えば急に話は違ってくる。
要するに自分が垂れる糞の音をそのままにしているような女に我々は魅力を感じぬといった逆説的な捉え方である。

まあ何が言いたいかと言えば気の持ちようによって物事はなんとでも解釈できるということだ。
屁理屈に頭がキレる人間ほど人に嫌われる傾向があるのは言うまでもないが、私がそのことに気づいた時には既にかなりのポイントをそこに振り込んでいたのである。

そんなとりとめもないことをつらつらと書いてみた。
たまには思ったことを書き溜めて置くのも良いのではないか。

何ヶ月か前からそんなことを考えてはいたのだが、はてさていったいどういった理由なのだろうか、それを実行しようと思うのは大抵布団の中であり、もう既に半分眠りに入っているときなのである。

明日やろう。
そう思って眠りに付くのが日課なわけで、「今日できぬものに明日出来るわけがないだろう」という誰かの名言、もしくは漫画のセリフだったかを思い出しつつ、「長いことこうやってで生きてきてんだ、今更変えられるか」と悪態をつきつつ意識を飛ばすのである。

私の頭には、アスヤロの木という大樹が力強く根を下ろしている。
これをまだ小さな苗だったうちに刈り取っておけばよかったのだが、成長するのがとても早い木だったことを知らなかったばかりに、まあ良いだろうと放って置いた結果、気が付けば辺りいったいの養分を吸って大木に成り果てていたのだった。
この木が私のやる気や明日への活力という養分をぐんぐん吸って育つのだから、近くに生えている才能の芽が育たないというのも至極当然であり、日々を残り少ないやる気で生きているわけなのだ。まあそういった理由でたまには何か日々思ったことや感じたことを文字に起こして書いてみよう、たまには見返すのも何か創作のヒントになるだろうという発想が実行に至るまで、長い月 日を費やすことになったのである。

さて、残り少ない気力で生きていると、どうにも自主的に何か動こうという気がさらさら起きないわけで、この辺はとにかく人に依存して生きている。
「~に行きたい」とは言うが行こうとは言わない。「~やりたい」も同様。
画期的な発想は生み出すかもしれないが、背中を押されない限り一歩たりとも動かんというガンジーも驚きの無抵抗、無気力主義を貫いている。
まあそんなこんなで休みの日というのはもっぱら投稿用の小説の執筆を進めつつ、昼寝をするという自堕落な生活を送っている。気分転換に外出をすることはあって もあまり遠くへ行く事は無い為、私をどこか遠くへ連れていって欲しいわ、などと乙女の様な妄想に取り付かれつつも、リビングの定位置で昔の恋人に貰ったクッションを枕に、夢の世界へと旅立つのだった。

友人は多いほうではないが、同じような仲間から「ギターセッションしようぜwww」など と声をかけてもらうこともあるし、そんな私を心配してか、「飲みに行こう」や「どこかへ遊びに行こう」と一週間に一回程度のペースで誘ってくらえるくらい には友人に恵まれている。

一時期はやれ、バンドだ、野球だと手が回らないくらいに友人関係を広げすぎたが、どうにも私にはそれ ら全ての友人を管理できるほどの能力は無かったようで、正直毎日のように来る誘いが鬱陶しく、辛く感じることが多くなっていた。今ほどの人数で深い付き合いをするといったほうが私にはあっているようである。

そういったわけで昨日も外に連れ出してもらったわけなのだが、それは「某バラエティ番組の収録の閲覧に行こう」といった誘い文句だった。
あまり見れる機会もないし、何かの経験にと二つ返事で了承したのだが、了承してから、6時間収録枠をとってあると聞かされて、すぐに発言を撤回したい気持ちでいっぱいになった。

都内の収録スタジオにつくと、そこには既に長い行列ができあがっており、ほとんど全て女性だった。
私はその浮かれきった行列を、見に耐えないという皮肉を込めて節足動物のようだと思った。
私はあの列に加わり節足動物の一部になってしまうのかと、尚更気落ちしそうになったが、どうやらそれはファンクラブの列らしく、私たちは別の枠で入るからという一言でなんとかモチベーションを保ったのだった。

スタジオ内は眩い光で満たされており、ギラギラと光るLEDパネルをあしらえた煌びやかなスタジオセットはまさに豪華絢爛を尽くした限りであった。

誘導されるがまま、客席に移動し、某国民的男性アイドルグループとゲスト達がずらずらとスタジオ入りし、それを客席から拍手をして迎えるのだった。ファンで もなんでもない私は半ば強要されるように手を叩いた。事前に芸能人がスタジオ入りするときや、なにかアクションがあったときは黄色い声を上げるようにと ディレクターから要請があり、この時、私も声を出したほうが良いのではないかという、なんとも周りに同調する典型的日本人よろしくの雑念に駆られ、 少し声を出すのだが、あの大歓声の中でも一オクターブ低い音というのはやけに目立つので、私は終始ぽかんと口をあけていた。
私は思春期の頃声変わりを失敗したせいで、男性にしては高く細い声であったが、あそこまで、私の声が浮くとは思ってもみなかったのだ。

収録中は、皆同じようにしてキラキラとした視線をアイドル達に贈る女性たちを私が訝しげな顔で眺めるという何か食物連鎖の一つ上の位置にいるような気分だった。
あとは目の前に座ったアイドルの後頭部を、「まだ流石に大丈夫か」と心配してみたり、「思ったよりトーク力がないな」や「声が通ってないな」などと持ち前の優しさをいかんなく発揮し、良いところ探しをしていた。
人のいいところを探させたら私の右に出るものはいないだろう。こういう育ちの良さは隠しても滲み出てしまうのである。

客席は私が想像していた通りにかたく、何ども座り直したり、右や左と重心を移していた。その尻の辛さたるや、帰ってから尻が真っ黒になったのではないかと確かめたくらいである。
隣の人からすると終始落ち着きがないように見えたかもしれない。だが彼女たちも休憩時間になるとスタジオ内で流れるアイドルの音源に夢うつつの顔をしながら左右に揺れてトランスしているのだから、お相子様だ。
言うまでもないが、終始とんでもないアウェー感というものを感じていた。

ま あここでアイドルソングではなく、deep purpleの「Burn」なんかが流れると私も激しくトランスせずにはいられないので、やはり根は似た者同士のようだ。だが、いかんせん分野が対極に位 置するだけあって同族嫌悪の念というものが心の奥底から湧き上がってくるのだった。

まあ二度と行くことはないと思うが、珍しい経験をした時の感想を温かいうちに文章に起こしてみた。
いつか当時の新鮮な感覚を思い出せると良い。