DAIブロ

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2019年からから書き始めましたが、れいわ新選組からの立候補の際、ほとんどの記事を非公開としました。
私の投稿は個人の主張であり、所属する団体等を代表する物ではありません。

僕は2015年4月に脳出血で倒れました。
土浦YEG副会長に承認された総会の翌々日でした。
そこから長い入院とリハビリが始まり、とにかく前を向けませんでした。
将来に悲観し、「人生は終わった」と感じていました。
いや、事実として一度人生が途切れたと思っています。
病気の前と後では、まるで全く別の人生を生きているような感覚です。
病気になる前は仕事に、遊びに、YEGに夢中でした。
2013年に副委員長になってからは、例会も役員会も一度も欠かさず、
主に街づくり委員会でさまざまなイベントを手がけてきました。
2014年の夏は、キラキラ祭りの委員長と「泳げる霞ヶ浦市民フェスティバルの運営専務を同時に引き受け、わずか2週間の間隔で2つの大きなイベントを仕切る立場でした。
大変だったけれど、とても充実した夏で、自信もつきました。
そして副会長となり、塚崎会長の下でさらに大きな経験をしたいと意気込んでいた矢先、突然脳の血管が破裂し、すべてを失いました。
大好きだったゴルフも、バイクに乗ることも、現場でお客様と話すことも、何もかも。
そんな喪失感を埋めるために、体が動かない僕が夢中になったのは国会の審議を観ることでした。
当時は民主党政権。未熟な政権運営と、野党・自民党のヤクザのようなイチャモンのつけ方に腹が立ちました。
第二次安倍政権になってからの強引な国会運営にもさらに腹が立ち、
「日本はどうなってしまうのか」と本気で思ったものです。
2019年、れいわ新選組が誕生し、山本太郎の積極財政に、身体障害者である僕の未来に一筋の光明が差した気がしました。
そこから国債や財政について深く調べることに没頭しました。
ただ、当時から山本太郎の危うさにも漠然とした危機感を抱いていました。
だから「国会議員になりたい」というより「山本太郎の相談相手になりたい」と無謀にも、2021年に衆院選公募に応募しました。書類審査で落ちましたが、
2022年秋に「来年の牛久市議選に出ないか」とれいわ新選組からお声をかけていただき、今に至っています。
今も身体は思うように動きませんし、以前のような趣味は何一つできません。それでも、大きなやりがいを感じながら、れいわ新選組所属・牛久市議会議員として毎日活動させていただいています。
現在、れいわ新選組は本当に大きな問題に直面しています。
ここで対応を誤れば、政党として存在し続けられないほどの危機だと認識しています。
僕はれいわ新選組の構成員の一人として、問題から逃げずに執行部にしっかり物を申し上げていくつもりです。
山本太郎とれいわ新選組の理念に突き動かされて、今の僕があります。
だからこそ、それが僕のやるべきことだと腹を括っています。
昨夜、帰宅してからそんなことを考えていたら朝6時まで眠れず、
今日も睡眠時間は1〜2時間です。
週明けには教育福祉委員会と予算委員会があるので、今日も準備を進めています。
とにかく僕は、僕のやるべきことをやるだけです。

we are れいわ新選組!
絶対に諦めない!

絶対に諦めない