例えば、阪急大阪梅田駅の二階改札を通るときは、いつかの思い出をなぞるようにふと後ろを振り返るし

ここ数日いきなり肌を撫でた冷えた秋風に、数年前に買ったベージュのコーディガンの重みを思い出す。

いつからかパスケースに忍ばせている折りたたんだ千円札が今日もなくなっていないか、手に取る度に点呼を取るのも習慣になったし

You Tubeをランダム再生していたら、決まった曲の決まった場所で、必ずあの笑顔が浮かぶ。


こんな私だけど

重岡くんに最後に会ってから もうすぐ2年が経ってしまうけど、私はまだしがみついてるよ。

ギリギリのところで。

 

自分の生き方に誇りと迷いがあるから、ドラマ見ていてしんどい

自分の好みが変わったから、変わらずにいてくれる重岡くんがときにしんどい

それらはすべてとても身勝手なことで、文句言うならファンを辞めたらいいだけだということも分かっている。

だけどこれは文句じゃなくて、シンプルに「合わない」「しんどい」という事実があるだけで、

だからといって重岡くんのことが好きじゃないわけではなく、【人間 重岡大毅】【男 重岡大毅】がいつまでも好きなのです。 

油断してると魅せられる

あいも変わらず、笑わせてくれる

だからやめたいなんて思えない。



芸能人とそのファンといえど、人間同士。

何でもかんでも大好き!OK!大正解!!と言えはしないし

それだけ私は彼に自己投影しすぎず、自分を生きているんだよね。

と、自分を肯定したいところです。



心にフィットしない部分は時々よそ見し気分転換しながら、細く長く連れ添っていけたらなぁって思う。

(永久に連れ添う夫婦でもすべてピッタリ合うことなんてないもん。)
 
そもそもアイドルを応援するということが、こんなにも自分の心を圧迫するのがおかしい。

楽しいものなのに、本末転倒なのでは?と思うこともあったから、こういう境地に至りました。


世の中のファンと呼べる方たちのような素敵さはないけれど、いざというときに押し上げられる底力と愛と執念は持っているつもり。

惰性とか馴れ合いじゃなく、愛と執念。

こういう感情を持つファンが一人くらいいても悪くはないはず。

……だなんて言い聞かせながら過ごしている。

(それでも、やっぱり、どこか自信ないよ。)



重岡くんと最後に会ってから、年月が経った分、私もそれだけ変化しているようです。

ファンになって5年になるのかな?

序盤から割と洗礼を受けたり、家庭のことで足踏みせざるを得なくなったりと、順風満帆ではないファン人生だったけど、最近は外的要因ではなく自分のせいで足踏みしているなぁと。

(きっと紐解くと「コロナのせい」なんだろうけど、それはみんなそうだからさておき。)

で、自分のせいだからこそ、もう潮時なのかなぁと結構真剣に考えました。

ただ、いろいろうまくいかないと言えど、いくら考えても自分が重岡くんから離れる選択はできないのです。


ちょうどまいまいちゃんと世間話をしていたときに、それとなく現状を話したら

「じゃあしげとしばらく距離を置いてみる?」

と聞いてくれたことがありました。

それに対する反射的な自分の感情が私の答えかな?と今は思います。


「距離を置く」

そのラインの字面を見ただけで血の気が引いたし、想像して悲しくなった。

私が?

重岡くんと??

距離を置く?!?!

無理無理無理無理絶対に無理。

想像しただけでゾッとする。


とっさにそれはいやだ!と伝えた。

親身にいろいろ考えてくれた彼女に感謝です。




私が重岡くんを必要とするように

私を必要としてくれる誰かがいて

芸能界が重岡くんを手放さないように

素敵な仕事が私を生かしてくれて

重岡くんが歳を重ねてますますいい男になるように

私も私なりに、色んな人と関わる中で、人として女性として成長して

…………

そのどれも、どれ一つとして、決して重なることも交差することもない、全部ねじれの関係の重岡くんと私だけど

いつかいつか

また会える日が来たら、素晴らしい重岡くんにふさわしい、素晴らしいファンでいられるように

人として・女性として、

私も努力を続けたいなと思います。








読み返したら冷たい感じのブログだなぁ。

でも、大好きは大好きなんだよ。。。