病院で事務職として働いていた僕は「言語聴覚士になりたい」と一念発起!…46歳の時でした。
そして48歳で国家試験に合格し、言語聴覚士として同じ病院で働き始めました。
今回のブログ記事では、当時のことを振り返りながら綴っていきます。
言語聴覚士の資格を取得後、僕の病院におけるセカンドステージが始まりました。
当然のことながら、実習の時とは仕事内容の質と量が大違いでした。
実習の時は、ひとりの症例に対し、数週間かけてじっくり向き合えましたが、プロになるとそうそう悠長にしてはいられません。
病院における資格職の存在意義のひとつに、医業収益をあげることがあります。
決められた勤務時間内で、できるだけ多くの患者様にリハビリを提供することが大切なのです。
当然、リハビリは、やりっぱなしではなく、カルテの記載、リハビリ実施計画書の作成といった、その前後の事務作業がもれなく付いてきます。
多職種間で連携をとりながら、そうした書類まで適正に作成・管理してはじめて診療報酬がいただけるのです。
入職2月目には担当患者様が2桁になり、目がまわる日々を送っていました。
いざ、臨床現場においては、学校で学んできた事がほとんどが通用しませんでした。
学生時代のそれは、全て想定内のシュミレーションにすぎませんので当然です。
まさに、現場は生ものでした。
当時の患者様は寝たきり若しくはそれに近い方ばかり。
平均年齢は80代の後半で、ほぼ認知症を患っていらっしゃいます。
こちらの期待通りには反応を返してくれません。
指示が入らず、失語症や構音障害の検査がまともに取れる患者様が少なかったのです。
そうした患者様をどのように評価してどういうリハビリに繋げていくのかが難しい問題でした。
入院患者様の在宅復帰は稀で(当時の当院の状況です)病棟で人生を終える患者様も多く、そうした人に対してのリハビリの意義だとか、ゴール設定だとか、とても悩ましかったのです。
人生の終末期において、なかなか面会に来れないご家族よりも、密度の濃い関わりを持つセラピストとしての自分。
訓練室で(個室です)涙を流しながら、胸の内を吐露される患者様がいらっしゃったり。
特に言語聴覚士の場合は言語・非言語に拘らず、コミュニケーションを大切にします。
互いのやり取りを大切にしながらの個室での訓練では、そのような状況になりやすいのだとも思いました。
自分の気持ちの置きどころを何処に置いて、セラピストとして、患者様とどのような関わりをするのか?
そんなことをずっと考えていました。
病気の影響で自由に動き回れない入院生活の中、お話するのは限られた人(病棟スタッフや他の患者様)といった環境の中で
患者様は
「なにも楽しみがない」
と、よく仰っていました。
やがて、だんだんと弱っていき、病院のベッドの上で息を引き取る。
そんな患者様を何人も見てきました。
もちろん患者様の全身状態に応じた適切なリハビリの提供は大切です。
しかし、いわゆる維持期の患者様に対し行う「とことん機能回復を追求すること」がどれだけの意義があるのだろうか?
などとも考えたりもしていました。
リハビリは、患者様にとって、決して楽なものではないことだと承知しています。
そんなリハビリのなかに、患者様に合わせた「少しの楽しみ(レクレーションの要素)」を自分なりに配分していきたいと考えました。
歌だったり、花だったり、新聞の記事についてだったり、そうした「患者様の興味を引くオリジナルなもの」を題材にした言語訓練を組み立てようと思ったのです。
日々の病院生活の中での言語訓練を少しでも楽しみにしていただけるように。
そうした思いを胸に臨床と向き合っていた新人時代でした。