46歳の春、それまで病院に勤務していた僕は、一念発起!某医療専門学校の言語聴覚学科に入学しました。
言語聴覚士になりたい一心で
起床:朝4時半
帰宅:午後8時
通学:片道2時間半
といった生活を2年間続け、国試に合格することができました。
今回のブログ記事は、当時の自分を振り返りながらの臨床実習についての雑感です。
2年制の言語聴覚療法学科では、2年次の夏から秋にかけて4週と8週の2回に分けて、計12週間480時間の臨床実習期間に入ります。
週に換算すると40時間。
1日8時間の実習と考えると、月〜金の5日間ということになります。
しかし、土曜日の実習の有無は、バイザー(実習指導者)の考えや、受け入れ側の病院・施設の事情によって異なっていました。
僕がお世話になった病院では(4週と8週の2カ所)「担当バイザーが公休の土曜日は実習生も休み」のパターンと「土曜日は午後からお休み」のふた通りでした。
クラスメートに話を聴くと、完全週休2日のところもあれば、週休は日曜日だけのところもあったようです。
そうした時期を過ごした僕も、いまでは実習生を受け入れ、指導する立場になりました。
当然のことながら、臨床実習について、「学生」と「実習指導者」それぞれの立場で、見たり考えたりできるようになりました。
また「実習指導者」の側に立つと、学生時代には考えきれなかった、受け入れ側の事情や思いに多々気付かされました。
学生にとっては
「自分の実習先がどこなのか?」
「どんな人が自分の指導者になるか?」
は実習先が決まるまでわかりません。
そして、先輩たちから
「あそこの病院はどうだ」
「あのバイザーは気分屋だ」
「あの施設では過去に実習中止の学生が出た」
などの情報を得ます。
ですので、自分の実習先がどこに決まるかは一大事でした。
学生にとっては、実習先の『当たり外れ』があったのです。
「何事もなく平穏無事に(できれば楽して)実習を済ませたい」
というのが学生の本音だったのです。
敢えて『当たり外れ』という言葉を使うのなら、
『当たり外れ』は病院・施設といった受け入れ側の実習指導者の気持ちの中にもあると思います。
受け入れ側の本音は
「ただでさえ忙しいのに、学生の面倒をみてる余裕なんてないよ」
というところではないのでしょうか?
また、学生が実習先を選べないのと同様に、実習指導者も学生を選べません。
優秀な学生であれば指導がスムースに進みます。
そうでない学生でも素直で真面目に頑張る人であれば、指導のしがいがあります。
しかし、そうでなかった場合に、想定外の時間が割かれ、いろんなやりとりが増えて、仕事を圧迫し、それがストレスになったりもします。
このように学生側から見ても、受け入れ側の実習指導者から見ても『当たり外れ』があるわけです。
それでも僕ら言語聴覚士は(接してみないとわからない)実習生を受け入れて、実になる実習にするべく、誠心誠意対応します。
その理由は、自分が実習でお世話になった方々への「恩返し」の気持ちがあるからです。
実習生を受け入れ、指導者として関わる際に感じるさまざまな複雑な思い。
そうした思いを、きっと、僕らの指導に関わった方々も抱えながらも、指導者として適切に対応してくださっていたのだと思います。
その結果、無事に実習を終了することができ、国試を経て、こうして臨床に立てている自分がいるのです。
10年以上経過してもなお、実習当時の指導者とのやりとりは鮮明に覚えていますし、指導していただいたことが、間違いなく今の自分の臨床活動のベースとなっています。
そうした方々に直接「恩返し」することはできません。
しかし、実習生を指導し、多少なりとも良い影響を与えて、将来の言語聴覚士として臨床に立ってもらうこと。
そして、より多くの言語聴覚療法を必要とする患者様を救うこと。
これが、大きな意味での「恩返し」に繋がると僕は考えていますし、僕のもとで実習を経験した学生達には、そうした思いを持って欲しいといった願いがあるのです。
言ってみれば、自分の受けた恩の未来への投資です。
そうした思いは伝えるものではありません。
その後の時間の経過とともに、自分の中に芽生えるもの、自分で気付くものなのです。
自分が関わった実習生がそう思えるようになってくれたら、僕の実習指導は成功だったと考えています。
アラフィフで言語聴覚士になって、アラカンを迎えた現在ですが、年齢を重ねるごとにそうした思いが強くなっています。
僕の定年までの年数は、片手では足りませんが、両手では余るようになりました。
僕も歳ですかね(笑)