僕が大学を卒業してから医療職に就くまでの経歴は以下の通りです。
① コンピュータ会社に就職
② 体外診断薬メーカーへ転職
③ 新規事業に伴う別会社への転職〜退職
④ 紆余曲折の黒歴史
⑤ 病院へ転職
現在は、⑤の病院へ入職後のお話しです。
病院には、医師や看護師さんだけでなく、薬剤師、管理栄養士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床検査技師、放射線技師、社会福祉士、事務(医療・経理・人事・総務)など、さまざまな職業の人が働いています。
前面に立って患者様に直接医療を提供している人もいれば、裏方で病院を支えている人もいます。
病院独自の専門職だったり、病院以外でも働ける専門職だったり。
また、病院ならではの特殊な業務もあります。
当時の僕は事務職で、正に病院の裏方の仕事でした。
そうした中、病棟の患者様対象の行事ごと(誕生会やクリスマス会、秋祭りなど)に応援で駆り出されることがありました。
クリスマス会であれば、サンタクロースやトナカイになったりするのです。
それをきっかけに、僕の顔を覚えてくださる患者様もいらっしゃって
廊下ですれ違う時に
「〇〇さん、今日は寒いね」
と、自分の名前を呼んで挨拶してくれたり。
僕は、そうしたことが嬉しくてたまりませんでした。
また、ある時は、スタッフが足らない時にお呼びがかかって、病院車を運転して患者様と看護師さんを乗せて、受診や転院のお手伝いをしたり。
自分で介護車両を動かして、ストレッチャーや車椅子の患者様の対応をすることが嬉しかったり。
そうしたことを通して、あることに気がつきました。
自分は、裏方とはいえ、なんらかの形で患者様たちの役に立つことに喜びを感じていたのです。
その頃の当院の入院患者様の世代が、自分の親の世代に差しかかっていたこともあり、患者様たちに親近感を覚えたのかも知れません。
勤務先は自分が生まれ育った街の病院でしたので、知人や小中学校時代の恩師が入院してくることもありました。
「自分の故郷の患者様を自分ができることで支えたい」
そうした気持ちが次第に強くなっていきました。
一般的に事務職の人間は、行事ごとなどに駆り出されることに消極的ですが、僕は喜んでそうしたことに取り組んでいました。
間接部門の定めでしょうか?
そうした取り組みも間接的なものでした。
「もっと、積極的に患者様と関わりたい」
そんな気持ちが芽生えてきました。
そのためには専門職になるしかありません。
しかし、当時の自分の43歳という年齢を考えると
なかなか現実的とは思えず、そのために具体的な行動を起こすことは考えられませんでした。
とは言え、
「自分が医療専門職になるには」
という事を明確に考えるきっかけを掴んだ時期でもあったのです。
その時すでに、病院に入職して4年が経過していました。
そして、僕が、言語聴覚士の免許を手にするまで、さらに5年の月日を要すのです。