こんにちは

 

わたしには後悔していることがあります

 

高校生の頃のおはなしです

 

今から10年くらい前なのに

 

今でも後悔していますし

 

ときどき当時を思い出したり

 

夢にまでしょっちゅう出てきます

 

部活での出来事です

 

わたしは吹奏楽部のパーカッションでした

 

わたしの学校は当時

 

県内でも有数の吹奏楽強豪校でした

 

わたしは中学校のときも

 

吹奏楽部パーカッションであり

 

腕前には多少の自信がありました

 

中学校の時も大変大所帯な部活で

 

学校から一人しか出場できないソロコンテストで

 

金賞を受賞したり、

 

パーカッションのアンサンブルコンテストでも

 

三重奏ながら県大会まで出場し金賞

 

わたしはマリンバが大好きで得意です

 

吹奏楽の世界なんて上には上がいくらでもいる

 

だから自信があるというよりは

 

ただただ打たくことが大好き

 

そんな思いで高校でも吹奏楽を続けました

 

ただし吹奏楽強豪校ということもあり

 

部員は中学校からの推薦や特待生が集められていました

 

特待生は中学校卒業後の春休みの段階で高校にいき、

 

入学前から学校の中で練習している状態

 

わたしは公立校の受験に落ち、この私立校に入学したので

 

わたしが初めて体験入部にいったときには

 

同じ学年の特待生の子がもう何人も

 

先輩たちと仲良くし、楽器を演奏していました

 

当然、夏の大会の自由曲も練習していて

 

わたしは遅れをとっていると感じました

 

自然と、特待生のほうが偉い

 

優等生であるという空気が部内に出来上がっていました

 

その後吹奏楽部に正式入部しますが

 

初めてパーカッションの部員と顔合わせをしたとき

 

わたしは今までにないくらい衝撃を受けたことを

 

今でも覚えています

 

先輩は2人

 

3年生の大変気が強い、でも上手い先輩

 

2年生の大変気が弱い、あまり上手でない先輩

 

同学年の大変気が強い、特待入部の2人

 

一人ひとりの個性の強さに驚きましたが

 

なんといっても同学年の2人は

 

気が強い

 

我が強い

 

自信であふれている

 

といった感じでした

 

そのうちの1人(ふみよ(仮名))は

 

どんな楽器でも上手にこなす、本当にうまい子

 

もう1人の(さおり(仮名))は

 

正直いってあまりうまいと感じませんでした

 

手首のスナップを使わずすべての楽器を扱うから

 

さおりはマリンバが得意と言っていたけれど

 

いつも腕が棒のようになっていて

 

たたくときの姿は大変不格好でしたから

 

でも彼女は自信に満ち満ちていました

 

特待で入学した ということからくるものだと思いますが

 

あとおまけに髪まで染めていました 笑

 

そして大変お金持ちのおうちで育ったようです

 

わたしはこれまでの自信がなくなるようでした

 

それと同時に

 

人間関係が大変になりそうだ…と思いました

 

その後わたしの予想は的中しました

 

ふみよと3年の先輩はいつも対立していました

 

ふみよのスティックの持ち方やたたき方が

 

気に入らないという理由からでした

 

そして

 

さおりはなぜか、わたしのことを敵視しているようでした

 

わたしへの当たりがとても強かったです

 

自然とわたしはさおりのことが苦手になっていきます

 

きっと

 

わたしはマリンバをたたくことが得意でしたから

 

ライバル視されていたんだと思います

 

いつかこんなことがありました

 

わたしは学校内の階段で足を滑らせ

 

足を骨折してしまったことがありました

 

それで少しの期間

 

部活に顔を出せなくなってしまいました

 

治るまではギプスに松葉杖でしたが

 

しばらくして部活にいけるようになりました

 

そこでさおりに初めて顔を合わせたとき

 

こんなふうに言われました

 

「一体なにやってたの?!」と大声で…

 

大変な剣幕だったことを今でも覚えています

 

すこしの間部活を休んでいたことは謝罪しますが

 

同じ仲間がケガをしたことに対して

 

最初にかける言葉がそれ?

 

驚きましたし、こんな人初めて見たという感じでした

 

そして

 

完全にさおりに嫌われているな…と確信しました

 

その後のさおりとの最悪な関係は続きました

 

大会の自由曲の担当楽器を

 

メインはさおりですが、

 

サブとしてわたしも演奏できるようにしておかなければいけない

 

ということで、わたしも練習することになったのです

 

ですが譜面を持っているのはさおりだけ

 

譜面をさおりから貸してもらってコピーしなければいけないのに

 

一向にさおりは譜面を貸してくれませんでした

 

ちなみにその譜面はピアノです

 

ある日、全体合奏をする日に

 

さおりは諸事情で遅れて部活に来ることになっていたのですが

 

ピアノの音はほしいということで

 

サブのわたしが合奏に駆り出されました

 

でもわたしはさおりから譜面をもらっていません

 

それを顧問に説明すると

 

ピアノ譜面の原譜をもってこられました

 

「これみて今すぐ弾いて」とのこと

 

わたしは大変焦りました

 

わたしはピアノの初見演奏が苦手です

 

というより出来ないに等しいです

 

ピアノ自体は得意ですし演奏できるんですが

 

わたしは絶対音感なので

 

いつも耳で聞いて

 

ある程度の流れを覚えて

 

苦手な譜読みをして弾いていく

 

というスタイルでしたから

 

突然譜面を渡されても、弾けないのです

 

しかも渡されたのは原譜なので

 

譜読みの何かを書き込んだりできないのです

 

しかし原譜を持ったまま

 

ピアノの前に座り

 

固まってしまいました

 

合奏練習は始まっていき

 

それでも動かない私の手

 

先生はすぐに演奏をとめ

 

「なんで弾かないの?弾けないの?」

 

言葉がありませんでした

 

部員全員はみんなわたしに注目状態

 

先生はもう呆れ顔でした

 

しばらくこんなわたしをよそに

 

合奏は続いていきました

 

するとさおりが部活にやってきました

 

先生はさおりを見るなり

 

「さおり、早く代わって弾いて」

 

わたしは椅子をさおりにゆずり

 

さおりは自分の持っている譜面を譜面台に広げ

 

合奏に参加し、ピアノを弾いていました

 

わたしはその様子をさおりのすぐ

 

右斜め後ろで立ちながら

 

手はスカートを握りながら

 

見ていたことを覚えています

 

泣きそうでした

 

恥ずかしかったです

 

涙をこらえることで精いっぱい

 

顔はどうなっていたかな

 

眉間にしわをよせていたかな

 

それは見えないのでわかりません

 

合奏が終わるまでの数時間

 

ずっとその状態でした

 

先生の目には

 

わたしは下手な子

 

シンプルにそう映ったでしょう

 

誰にも事情を話せませんでした

 

さおりからの風当たりや

 

譜面の貸し借りの話や

 

立っているあいだずっと

 

「誰もなにも分かっていないんだ」

 

そう思っていました

 

その後もしばらくの期間

 

誰にも打ち明けられない

 

さおりとのいざこざは続いていましたが

 

3年の先輩とふみよの間の関係も悪化していたようで

 

いつしか2人の間にとある問題がおきてしまい

 

特待生のふみよが

 

部活を辞めるといいだしました

 

それは顧問の耳にとどき

 

2人は顧問から呼び出され事情聴取

 

その他パーカッションメンバーも

 

2人の問題を解決するために

 

顧問からヒアリングされたりしました

 

もう今やパーカッションは

 

先輩とふみよの仲を良好にすること

 

ふみよが辞めずに続けられること

 

それがパーカッションの課題になっており

 

実力のあるふみよを辞めさせたくない

 

先生の気持ちもこちらにひしひし伝わってきていました

 

わたしはふみよと仲がよかったです

 

ですので

 

その先輩の悩みをきいていたり

 

辞めたいという意思も直接相談されたことがありました

 

同時期にわたしはさおりとの仲が良くありませんでしたが

 

ふみよにそのことを相談しても

 

あまり良いアドバイスは返ってきませんでした

 

ふみよは八方美人というわけではありませんが

 

自分とさおりのいい関係は保っていたかったのだと思います

 

ふみよが部活を辞めたいという気持ちの一方

 

わたしも楽しく部活をすることが出来なくなっていました

 

全然楽しくないんです

 

さおりは私のやることなすこと

 

すべてを否定、というより文句というか

 

いちゃもんをつけてくるというか

 

耐えられなくなってきていました

 

それでも

 

夏の大会や、どこかで演奏するイベントは

 

自分のベストを尽くした演奏をして

 

楽しかったです

 

大好きなマリンバを任されることもあったし

 

逆に誰もやりたがらない重いシンバルをやらされたり

 

半ば強引にさおりに押し付けられた感じでしたが…

 

楽しめる時間もあったということです

 

しばらくして

 

顧問からのパーカッション部員ヒアリングを数回重ねて

 

3年の先輩とふみよは和解して、仲直り

 

ふみよは部活を続けることになりました

 

顧問の先生からすると

 

これでパーカッション内の問題はクリアになった

 

という気持ちだったでしょう

 

わたしはさおりからの仕打ちを

 

顧問に打ち明けることはありませんでしたが…

 

さおりからの圧にだんだんと耐えられなくなっていました

 

部活終わり、家に帰っても泣いてばかり

 

授業が終わった後も部活に行くのが気が重い

 

この繰り返し

 

今まで耐えてきたけれど、突然気持ちが切れました

 

ふみよの件が解決したんだし、

 

もうわたしは辞めてもいい

 

そんな開き直ったような気持ちになりました

 

ある日顧問に話に行きました

 

「話があります」と

 

先生は夕方だれも使っていない教室をさがして

 

わたしと面談を始めました

 

わたしははっきりと

 

部活を辞めたいです

 

こう伝えると先生は

 

「この前ふみよの件が解決したばかりだぞ?」

 

「もう誰も欠けることないと思っていたのに」

 

「なんで今更そんなこと言えるんだ」

 

と。

 

なんというか

 

先生は怒っていました

 

お前は身勝手だと言わんばかりの態度でした

 

「本当にいいんだな?」ときかれ

 

「はい、いいです」と答えました

 

それだけの短い会話をして

 

先生は部屋を出ていき

 

わたしは部屋に一人になりました

 

5分も経っていない会話が終了しました

 

わたしの頭のなかは

 

『大好きな吹奏楽をやめてしまった』

 

『大好きな吹奏楽をやめてしまった』

 

『大好きな吹奏楽をやめてしまった』

 

『大好きな吹奏楽をやめてしまった』

 

『大好きな吹奏楽をやめてしまった』

 

これだけでした

 

辞めたい理由は聞かれませんでした

 

わたしも話しませんでした

 

引き止められることもありませんでした

 

先生に引き止めてほしかったわけではないけれど

 

ふみよのときはあんなに必死になって退部を阻止したのに

 

わたしのときはいとも簡単に許可されたな

 

と、こんなことを考えていました

 

そしたら涙があふれてあふれて…

 

表情は固まったままだったと思います

 

やめてしまった

 

逃げてしまった

 

先生にも見放された

 

頭の中がごちゃごちゃに…

 

そうしたらしばらくして

 

わたしの担任の先生が偶然その教室に入ってきました

 

泣いているところを見られました

 

担任は驚いていて、事情をきいてくれました

 

さおりの名前などは出しませんでしたが

 

ここ最近どんな気持ちで部活に取り組んでいたのか

 

話すことができました

 

先生は話を聞き終わると

 

「俺から顧問の先生に言ってあげようか?」

 

と聞いてくれました

 

なんて優しいんだろうと思いましたが

 

わたしは断りました

 

どうせ言ったところで

 

面倒くさいやつだと思われてしまう

 

そう思うと、

 

もういっそ事情なんか話さずにいなくなったほうが楽

 

あんなところ、こっちから願い下げだと

 

わたしはそうやって部活を辞めました

 

あんなに苦労していた部活だったのに

 

辞め方はいとも簡単に

 

そのギャップに

 

また悲しくなる

 

次の日から私は部活に行かなくなりました

 

部員の子からは心配されました

 

「急にどうしたの?」

 

わたしからすると

 

急じゃないんだよ

 

ずっとずっと苦しくて

 

誰にも言えなかっただけだよ

 

わたしは

 

毎日泣いていたと思います

 

授業中も思い出して下を向いて泣いて

 

部活の時間になると

 

部活にいくみんなの姿をみて泣いて

 

学校にいることも苦しくて

 

大好きな吹奏楽を自ら辞めたという罪悪感で

 

頭がおかしくなりそうでした

 

それを忘れたくて

 

一時期よくない友達と付き合うようにもなりました

 

きっと

 

急にわたしが辞めたことに対して

 

ふみよやさおりは怒ったことでしょう

 

その後校内ですれ違っても

 

口もききませんでしたから

 

 

 

しばらくして

 

 

 

わたしはあることをきっかけに

 

合唱部に入部することになります

 

それも

 

歌を歌う要員としてではなく

 

伴奏者としての入部でした

 

ある日

 

放課後教室に残って

 

友達とおしゃべりをしていたとき

 

急に隣のクラスの子が教室にきて

 

私に話しかけました

 

「そういえば、ピアノ弾けたよね?!」

 

急なことに驚きましたが

 

その子は幼稚園にいたころ同じクラスで

 

私が園内にあるピアノで

 

難しい曲をみんなの前で弾いていたのを

 

見たことがあったらしいのです

 

正直、

 

わたしはその子と同じクラスだったことも

 

園内でピアノも弾いていたことも

 

全く覚えていませんでした 笑

 

「弾けるよ」

 

そう答えると、

 

合唱部への入部を誘われました

 

その子は歌がうまくて

 

合唱部の中でもリーダー的な存在

 

よくわたしのことなんて覚えていたな

 

率直にそう思いました

 

一瞬戸惑いましたが

 

『まずは話だけ』ってことで

 

ちょくちょく合唱部へ行きました

 

話を聞いてみると

 

NHKのコンクールで歌う曲の伴奏者がほしい

 

ということでした

 

わたしは

 

また部活をできる

 

というよりは

 

音楽に触れられる

 

そのことに

 

胸が震えるようにうれしかったことを

 

今でも覚えています

 

まあでも

 

譜読みが苦手なわたしは

 

いつものように音源をまず耳できいて

 

そこから譜読みをはじめる

 

といったスタイルは変わりませんでした

 

中学生のときから思っていましたが

 

コンクールにむけて真剣に練習することは

 

とてもだいすきです

 

コンクールやコンテストが大好きでしたから

 

競う事

 

負けたくない気持ち

 

レベルアップしたい技術

 

わたしの高校の合唱部も

 

毎年かなりいい成績を残していましたから

 

練習は大変ストイックでした

 

その点と温度感を合わせることは

 

難しくありませんでした

 

でも

 

吹奏楽部への突然の退部を

 

申し訳なく思う気持ちがずっとあり

 

すぐに入部はできませんでした

 

しばらくは『お手伝い』という形でした

 

ほどなくして

 

合唱部へ入部を決めましたが

 

吹奏楽部の顧問の先生は

 

わたしが合唱部へ入ったことなど

 

きっと何も気にもしていないし

 

知りもしないし

 

なんの感情もないと思います

 

すべてわたしの勝手な推測なので

 

ほんとうのところは分かりません

 

だけど頭が勝手にそんなことを考えて

 

卒業するまでのあいだ

 

卒業してからも

 

何年たっても

 

後ろめたさが消えることはありません

 

合唱部の友人へは

 

感謝してもしきれない恩があります

 

誘ってくれたあの子も

 

合唱部入部を躊躇してたとき

 

「入ろうよ」と誘ってくれたみんなも

 

歌なんて全然上手じゃないわたしを

 

伴奏だけでなくパートメンバーにしてくれたこと

 

高校時代ほとんどいい思い出がないけど

 

それだけは

 

心の中で温かい小さな光の点として

 

今でも目をつむるとそこだけまぶしく見えます

 

 

 

当時からもう10年ほど経ちます

 

それでも

 

嫌な記憶は昨日のことのように思い出し

 

突然夢にまで出てくることがあります

 

夢に見た次の日は

 

最悪な気持ちです

 

もう昔の話だと割り切ることが出来なくて

 

思い出しながら泣いたりします

 

きっと顧問の先生も

 

当時の吹奏楽部の同級生も

 

みんな大人になり成長し

 

社会に出て働いて結婚して子供もいて

 

みんなそれぞれの生活を送っているでしょう

 

それなのに

 

わたしの記憶は当時から動けないまま

 

いつまでもいつまでも

 

昔のことを思い出して

 

勝手に悲しくなって

 

勝手に後悔して

 

時間の無駄と分かっていても

 

マイナスな考えはとまりません

 

 

 

 

わたしはあのとき

 

どうしたらよかったんだろう?

 

あのときどんな行動をとっていたら

 

後悔せずに今の暮らしを送れていたんだろう?

 

つらいことも耐えて耐えて耐えしのいで

 

吹奏楽を続けていればよかった?

 

そうすれば最後には

 

続けてよかったと思えていたのかな?

 

わからない

 

わからないけれど

 

たぶんわたしは

 

誰かに聞いてほしかったんだと思います

 

あのつらかったとき

 

誰にも相談しなかった

 

吹奏楽部をやめたいと思った

 

本当の理由も誰にも言わなかった

 

本当は知ってほしかった

 

先生に、私も悩んでることがありますと

 

きっとあのとき正直に打ち明けられれば

 

いまこんなに悩むことはなかったのではないかと

 

きっと

 

私自身が今の生活をもっと充実させたり

 

当時を思い出す暇もないほど充実していれば

 

嫌な記憶を思い出すことはないのだと思います

 

今のじぶんに満足できていないから

 

昔のじぶんや記憶も受け入れられない

 

乗り越えられない

 

そう思います

 

 

 

 

わたしが卒業した高校の吹奏楽部は

 

いまはさらにレベルアップし

 

毎年全国大会で金賞をとるような

 

全国常連校になったそうです

 

県内のニュースでもよく取り上げられ

 

テレビの取材なんかも受けているようです

 

顧問の先生も当時のまま続けられています

 

わたしの代が卒業したあとも

 

何人もの生徒が吹奏楽部に入り

 

卒業していった生徒は数えきれないほど

 

たぶん先生は

 

わたしのことを覚えていないでしょう

 

それでもわたしは

 

死ぬまで

 

ボケて記憶が曖昧になってしまうまで

 

ずっと覚えているでしょう

 

でも人とはそういうものです

 

たとえば

 

意地悪した本人は忘れるけれど

 

されたほうは一生忘れない と

 

今でも卒業校の吹奏楽部がニュースで映っていたり

 

全然関係のない日本のどこかの吹奏楽部のニュースだったり

 

テレビで見かけるたびにチャンネルを変えます

 

見るだけで心臓がギュッとなって

 

つらいんです

 

 

 

10年たった今だからこそ気付くのは

 

『あのとき誰かに聞いてほしかった』

 

ということ

 

でも実際に現実では

 

今更もう話せる人はいません

 

つらいけれど

 

身近な旦那にも

 

もういちいち口で説明したいとは思いません

 

でも

 

『聞いてほしい』

 

これは変わらないからこそ

 

いまだに夢でみたりする

 

だからわたしは

 

ブログで文字にして

 

通りすがりの誰かに見てもらうことを考えました

 

わたしは影響力のある人ではありません

 

誰かの目を引くような記事も書けません

 

もともとたくさんの人に見てもらいたいとは

 

思っていなかったので問題ないのですが

 

長文でだらだらと

 

当時の嫌な記憶をわざわざ文字にして

 

何をやってるんだろうと

 

正直いってこれを書いている最中にも

 

何度も思いました

 

何度も

 

『やっぱり削除しちゃおう』

 

思ったけれど

 

それでもいいです

 

言うなれば

 

つらい記憶を

 

誰かに見てもらって

 

記憶を成仏させたい

 

そんなところです

 

ですので

 

もし偶然に通りかかって

 

この記事を見てくれた方がいたなら

 

どこの誰とも分からなくても

 

わたしの記憶は慰められると思います

 

もう今は見ることのできない高校生の頃の自分が

 

だれかに『つらかったね』と慰められている

 

気持ちを共有することは

 

それだけで誰かの心や記憶を救うと

 

そう思います

 

 

 

 

それと

 

こんなことも思います

 

高校生のころわたしの家は

 

父親がとある事情で失業し

 

私立に通うわたしの学費を稼ぐため

 

母はトリプルワーク

 

3歳上の姉は大学進学をあきらめ就職

 

みんなお金を稼ぐために必死でした

 

そのせいか

 

日々の生活は全員不規則

 

わたしはお小遣いをもらえませんでした

 

母は働きづめだったため

 

毎日のお弁当も作ってもらえませんでした

 

吹奏楽部のころは毎日帰りがおそく

 

翌朝お弁当がつくれないこともあり

 

お昼ごはんが食べられないこともしょっちゅう

 

家の中で誰とも顔を合わせないのは当たり前

 

誕生日もお祝いはしない

 

自分すら自分の特別な日を忘れていました

 

おはようおやすみの挨拶

 

ただいまおかえりの挨拶

 

「今日こんなことがあってね…」の報告

 

我が家には一切ありませんでした

 

みんなバラバラの生活でしたから

 

だからわたしは

 

悩み事を親に相談するという習慣がありませんでした

 

昔はそれが当たり前だと思っていたけれど

 

そうじゃないと気づきました

 

親だからこそ助言できることがある

 

助けてあげられることがある

 

友達や先生じゃ理解しきれないことも

 

親ならわかってくれることもある

 

もしわたしが母親になったときには

 

自分のようになってほしくないと思っています

 

『悩んでもつらくても我慢するし相談しない』

 

そんな癖はついてほしいとは思いません

 

甘やかすこととはまた違って

 

親だからこそ甘えていいときがあると

 

知っていてほしい

 

大人になってそう考えることが増えました

 

 

 

 

わたしが経験したことは

 

自分にとっては嫌な記憶でしかないし

 

できることなら過去に戻りやり直したいと思う

 

でも

 

次の誰かのための教訓になるなら

 

それも無駄じゃない

 

そう考えることもできます

 

あくまでもそう思えるのは

 

冷静になれたときだけですが

 

 

 

ここまで読んでくれた方

 

心からお礼申し上げます

 

わたしの人生の記憶の一部を

 

読んで下さり

 

感謝いたします