​事故紹介

うちの彼氏は、還暦間近

どうも。こんにちは平成生まれの25さいです。


突然ですが彼氏アリの同じ年齢の人に質問です。


Q.あなたの彼氏は何歳ですか。


だいたいの人はこう答えるでしょう。


『は?あたしと、同い年に決まってるじゃん。あ、年下彼氏も犬感あってもいいよね。歳上は、だいたい10くらい離れてるのもいいけど。』


ええ。ええ。あなた達考え好みは年相応だと思います。私の理想もそうです。なんなら、妄想の中の彼氏はイケメン高収入、タワマンに住んでて犬がいて……なんて果てしなく叶わない妄想なんかしちゃってますが、現実は58の彼氏で、アパート暮しでナマポを頼りにバイトをしている還暦間近のおじさんです。


え?不満なら彼氏にしなきゃいい。

わざわざここに書くくらいなら別れちまえ?

いいえ。今から書くのは、私の25年間です。

近々結婚するので、私の25年間を振り返りたくてブログでまとめてみようかと……


振り返りたいだけなので、読みにくいところも多々あるかと思いますが、暖かい目で見てください。

  私、誕生。

生まれたのは病院。赤ちゃんの時は孤児院。

はい。孤児院です。親なしです。親無しなんて可哀想になんて思わないでくださいね?孤児院でよかったと思ったんですから。なぜかって?後の養母さんに出会えたからですよ!

  ​私、母に出会う。

 その養母(以下母)は、孤児院の職員さんでした。母は、赤ちゃんしかいないところ(赤ちゃんホーム)で、働いていました。私の担当みたいにあたしに付きっきりでそれはそれは、可愛い可愛いとお世話をしてくれました。私が1歳くらいの頃に、同年代とそれより上の歳の子がいるところに移動しました。(はぐくみホーム)母は、追いかけるように私が移動したホームに異動になりました。(なんのシャレや。)赤ちゃんの頃から知っていたので私はそんな母にべったり。母がどこに行くにも着いていきました。

母と一緒に、ディズニーに行ったり母の実家にも遊びに行ったり……母も懐いてくれる私の事が他の子より特別に大好きだったと言っていました。


 そんなある日、幼稚園の帰り道。母の漕ぐ自転車に揺られながら、私は母に言いました。


『お姉ちゃんが、お母さんだったら良かったのに。』(そこの孤児院は、職員をお兄ちゃんお姉ちゃんと呼んでいた。)

そんな何気ない私の言葉に母は、胸きゅん。速攻で養母になるための手続きのために動いたと、言っていました。


そんな何気ない一言で母が裏で動き回ってるなんて露知らず。そんな言葉を言ったことなんて忘れた頃の小一。


母から急に、『今日からあたしがお母さんだよ。』って言われました。


                え!?


その時は本当に驚きました。

でもそれよりも、嬉しいが勝ってたかな。何度も母に、『ねえ、ほんま?ほんまのほんま?』

としつこく聞いていた事を覚えています。


  ​私、小学生。

私は、小学生の頃手帳持ちではなかったものの他の子とは明らかに違う、キチガイ行動が多かったのを覚えています。夏の暑い日は、授業中廊下でお昼寝をして台車で校長先生に教室まで運んでもらったり、素手で窓ガラスを割ったり、彫刻刀をいじめてくる男子に投げたり……そんな私に友達が出来るはずもなく特別学級でひとりで過ごしていました。

母は、そんな私のキチガイ行動のせいでいつも周りに謝ってばかりで、私はそんな母を当時はなんとも思わずただ、ボケーッと眺めていました。


中学生の頃からです。

私は反抗期、と言っていいのか分からないのですが、母に突っかかることが多くなりました。

  ​私、中学生。

そんなキチガイ行動をしてきたアタシも時だけは経つもので、体だけは中学生になりました。そんなキチガイ行動をしてきた私。中学入学早々に、早くもキチガイ行動をしてしまいます。


気に入らない男子のカバンを2階から投げました。


そこから私は、教室での居場所を無くしてしまいます。自業自得ですね。キチガイ行動の末、特別学級に入浸るように。授業には出ず、一日中特別学級でPCゲームをしていました。そんな状況に、私は母に合わせる顔がないと思い、夜遅くまで帰らないことは当たり前、夜中まで街中を徘徊。朝方に帰ってからは、ゲームを始め母なんか居ないように生活をしていました。


そんな生活を続けていた私に、母はストレスが溜まり私にとうとう、手を出してしまいます。優しい母がまさか私に手を挙げるなんて思ってもおらず、鼻血を流してマンションの共有部分に逃げました。それを見たマンションの人が児相に通報。私は2ヶ月くらい児相で生活しました。

  ​私、児相での生活。

 一時保護所に来る前まで、夜中徘徊等の自由気ままな生活に慣れていた私は、がんじがらめの1時保護施設のルールに耐えられるはずもなく。1時保護所の職員さんにも反抗しまくってました。2ヶ月後、めでたく出ることが決まり、職員さんから一言。

『もう来るなよ。』これは、励ましの言葉なのか、それともほんとにもう来て欲しくないのか。

私は後者だったと思います……


一時保護所の当時の職員さん手を焼かせてしまい大変申し訳ありませんでした。

  ​私、高校生。

そんな私も、母が猛烈に頑張り、見事推薦で私立校に入ることが出来ました。母も小学、中学と見てきたんだから私の周りに合わせれないキチガイを分かればいいのに今思います。


私立校生活は、3ヶ月。


短いですか?私の中では持った方だと思います。

クラスメイトの実名と共に死ねと書いたメモが見つかり、退学。私は、笑う場面ではないのに大爆笑。そりゃそうだ。あたしが普通の子たちとやっていけるわけないんだから!そら、死ねと書きたくなるくらいストレス溜まりますよ。

そんなことがあった私は、次に通う学校を探しました。

  私、特別支援学校。

中学の終わり頃に手帳をとっていた私は支援学校に無事(?)転入。

はい。またやらかします。

教師を殴りました。

特別支援学校では、珍しい停学ですね。

周りの同級生とは、ほんとに仲良く出来てたんですよ。今までとは比べ物にならないくらいみんな私を変な目で見てこないし、なんでも話せる『親友』もこの時初めて出来ました。

ただ、大人には不信感が多かった。

こいつどうせ、転入した私をよく思ってないだろうと実際はそんなことは無いのに、勝手に思い込んでいました。

当然学校は停学。

修学旅行にも行けませんでした。

先生ごめんなさい。

もったいないことしたなあ…


  ​私、祖母を殴る。

高校2年生。この時期はもう、荒れてました。

母にも手を出し、祖母にも手を出し、もう無敵状態。いわずもがなです。再び児相へ行きました。

児相から、施設へと私は行くことになりました。

ここまで読んだ人なら私の性格はわかっていると思います。

人と関わるのが苦手なことを

その施設でもやらかしまくります。

2ヶ月で出ていくように言われました。

この時の私は、他人だけでなく、自分も嫌いになっていました。


どうして、自分はほかの人みたいに人上手く付き合えないんだろう……


ずっとずっと悩んでました。

  私、グループホームに入る。

その施設を出てから、私はグループホームに入りました。グループホームは、色々な障害のある方が入る施設です。母のお金では、グループホームのお金が払えないので、生活保護申請のために、養子縁組解消。


ここから地獄の日々が始まるのでした。


そこでも私は、職員さんとウマが合わず……

ついに私にキレた施設長が、私に手を挙げ出し、挙句の果てには、部屋の鍵を外からロック。軟禁状態に。

嘘だと思うでしょ?『本当のことなんです

でも今思えば、そこまでさせてしまった私の素行にも問題がありますよね。。


でもその当時は、必死でなんでそんな事をされるんだろうとか考える余裕がなかった。グループホームのルールと、職員の私への当たりが辛くて、身一つで飛び出しました。

  ​私、ホームレスになる。

女の子って便利ですよね。体を売れば金になるんですから。グループホームを飛び出してから、拠点となる駅周辺で援交をして、生活費を稼いでいました。夏の暑い時期でしたので、稼ぎがない日は、路上で寝てました。役所とかに行けばよかったんでしょうけど、また施設に連れ戻されたらとか思うと行けなかったです。駅前で男を釣っては、2.5万でホテルへ行き……路上か、お金があればネカフェで寝る……

でもね、辛いとは思わなかった。

むしろ、今までの施設でのがんじがらめのルール生活より、楽しく感じてました。

でもそんな日々も、長くは続かない。

万引きと援交で、お縄になってしまいました。

  ​私、少年院へ行く。

お金がなかった。でもお腹がすいた。さあ、どうしよう。気づいていたらコンビニの商品が、私の手の中に……秒でバレて警察を呼ばれ、初犯だけど、帰るところはないので少年院へ行くことになりました。

  ​私と少年院での生活。

最初は、慣れなかった。普通の施設のルールも嫌だったのに、少年院は、その倍のルールがあるんですから。当然、少年院の先生にも反抗。少年院から出るのに普通は1年のところ、私は出所するのに1年半かかりました。

でも他の施設の職員さんとは明らかに違った。

反抗する私にも根気強く向き合ってくれました。


少年院に入ってよかった。

そう心から思います。

少年院の先生方へありがとうございました。

少年院の先生方がいなかったら礼儀知らずのままでした。

  ​私、出所する

出所してからは、施設にまた入るんですけど施設のルール嫌いと、人付き合いが苦手なのはは少年院では治りませんでした。少年院で身につけたのは最低限の礼儀だけ。。自分の自由が奪われるのが苦手なのも治らなかった。

施設にいたら嫌でもほかの利用者さんと関わらなきゃ行けないし嫌でも施設のルールを守らないといけない。それが嫌でその施設1ヶ月くらいで出ました。あ、でもホームレスはもうなりたくないので即役所に行きましたよ。学んだ。

金がなければ生きていけないと。

  ​私、ナマポハウス

サポートホームをおすすめされました。

ナマポハウス

って呼ばれてます。家がない人が一人暮らしに向けて再構築する場所です。

職員さんは……ガラ悪いです笑

利用者さんも……ガラ悪いです笑

でもみんないい人です。人付き合いが苦手な私もそこの職員さんとは付き合いが4年くらい続いてます。

ルールも他の施設よりも厳しくなく、私にめっちゃ合ってました。

そこで今の彼氏にも会えました。

  ​終わりに。

今振り返ってみると、とんでもキチガイ人生を送ってきたなとおもいます。でも、そんな私でも私の中身を見てくれる人はいるんだなと。学びました。ありがとう。

私の今の彼氏も中身を見てくれます。58で、還暦間近だけど、私の中身を好きだと言ってくれました。好きに年齢なんて関係ないんだなって思いました。そういう風に思えるようになったのも今まで出会っできた人たちのおかげだと思います。

今人生がとても楽しいです。

昔はよく死にたいと思っていましたが、今は思わなくなりました。

結婚を機にもう一度人生やり直したいと思います。

ここまでありがとうございました。