自分の勘の鋭さが、妄想なのか、事実なのかの見極めが難しかった。

多分、分かる人には分かる話のような気がするので、ここに書き記す。

多分、私と同じ感覚の人は、まわりに

「考えすぎ」「気にしすぎ」と言われている筈だ。でも心の中でそれを「合ってる」と思っているだろう。まわりにそう言われる中で、自分の感じている事に自信が持てなくなり、感じている事は、妄想なのか本当の事なのかわからなくなっていく。この苦しみを理解できるのは、多分、同じ感覚を持った人に出会うしかないんだと思う。

匂い。音。人の痛み。叫びのようなもの。

キャッチして、そういう人たちを吸い寄せる。そういう人たちは、不思議と私たちのような人間を嗅ぎ分けて寄ってくる。

次々と近づいてくる傷ついた人たち。ほっておけず関わり、共にどこまでも深く深く入り込んで行く。でも、多分、その人たちは途中で降りるだろう。

自分たちの精神が落ち着く先を見つけて「立ち直った」ふりをして、多分、離れていく。そうやって、感覚に蓋をして元の世界に戻っていく。

その繰り返しだ。

私は、自分の感覚に自信を失ってきた。
でも、多分、違う。やっぱり、私が感じ取っている事は、そこに「在る」んだと思う。

理解を誰かに求めたり、これを共有してくれる人を探すのは難しいだろう。でも、多分、出会ってないだけで必ずたくさんいる。

ここに書き記す。

自分の感じている事に自信を持って。
受け止めるのはとてもつらい事をたくさんキャッチしてるのに、それを妄想だ、考えすぎだと否定される事に傷つく事までしなくていい。
 大事なのは、自分を信じる事。ただでさえ、キャッチしすぎてしんどいのに、それすら理解されず否定され、頭のおかしい人だと言われると、分からなくなるよ。

そういう人たちには見えないだけ。分からないだけ。感じ取れないだけ。人は、自分の感じ取れるもののだけで自分の世界を作る。

もう、誰かの基準で作られた世界に自分を当てはめるのはやめよう。

私は、自分の感覚を信じる。感じ取ったものにもう潰されない。
幼い頃にずっと思ってた事忘れてた。

「強くなるしかない」

私は、自分の感覚に潰されないために、強くなるしかなかった。全部、受け止める。そうやって生きてきたのに。忘れてた。あまりにも、理解されない年月の中で、忘れてた。

自分に見えているものをもう疑わない。