こんばんわ
本日もご訪問&いいねありがとうございます

しばらくお休みさせてもらった間もご訪問頂いたりコメントやLINEなどでも
ご心配頂いたりでご連絡頂きました。
本当にありがとうございました

昔にも姉の病気の話は一度だけ載せた事あるんですが
自分の記録のためにも今回だけまたお話したいと思いますので
また重い話になるので嫌な方はもうここでやめていただいて全然大丈夫です。
しかも長くなります(笑)
私の姉は前回も書きましたが生まれながらの病気でした。
胆道閉鎖症という病気で、私も詳しい内容は今までちゃんと聞いたことは無いのですが
胆管が生まれつき完全に詰まってしまい、胆汁を腸管内に排泄できないらしいです。
20歳までは生きられないと言われて、母は初めて生んだ子供が病気で、ましてや自分より
先に死んでしまうという事実が受け入れられなくて
何度も姉と一緒に死のうとしてたと昔教えてくれました。
父はこの子が将来自分たちが亡くなった後一人にはさせられないので
兄弟を作ったほうがいいと。
でも母は姉の看病で手一杯でそんな余裕もなく、ましてやまた病気の子供が生まれたらと
怖くて子供は欲しくないと思ってたそうです。
私が生まれる一年前に母は妊娠しましたが、どうしても踏ん切りがつかず、流産したんだと子供のころ聞かされました。
その子がもし産まれてなかったらあんたは生まれてないからって。
そんなさらっと言うことかよ!と思いましたが(笑)
姉と私は6歳離れていて私が物心付いた頃には2歳下の妹と一緒にいる思いでしかなく。
私が幼稚園の年長の頃まで姉はほとんど病院にいたので姉がいるという事すら
知りませんでした。
そこからは年間の半分は病院で入院、半分は自宅という生活で
母は姉の病室にいるので妹と私は病院の待合室で2人だけで待つ生活が何年もありました。
知らないおばあちゃんたちに、「二人で待っててえらいねぇ~」とよく言われていたのに
その頃は人見知りもあったし妹を守らないといけないという勝手な使命感もありw
ずっと二人で片隅によって待合室で過ごして仕事帰りに父が車で迎えに来るのをただひたすらに待つ日々でした。
20歳までは生きられないと言われてた通り、どんどん体調は悪くなり、受験も受けれず
後は亡くなるのを待つだけ。。。
そんな時に1度目の肝臓移植の話でした。
母がドナーになり肝臓を提供するとのことでしたが、私はまだ中学生、妹に至っては
小学生でしたので、私たちの世話をどうするかもあり
実家は団地なのですが近所の方が晩御飯作ってくれたり、祖父母が愛媛から来てくれ、
お弁当を作ってくれたり周りがたくさん助けてくれました。
姉が19歳の時に1度目の肝臓移植。
母の肝臓を渡すも拒絶反応が酷く、移植から毎日のように緊急手術で11度お腹を開けていたそうです。
そんな姉を見ていた父は、直美(姉)は十分に痛い思いをした。これ以上しんどい思いを
させないでほしい、もうこれ以上傷をつけないでほしい。
父親としての気持ちも今となれば充分わかります。
でも医者は患者を助けてくれているのです。やめてもらうわけにはいかないんです。
やめたら死んでしまうんですから。
少しずつ状態も回復していき、この病気は治るものではなく、肝臓を取り換えても
一時的によくはなるもののまた少しずつ悪くなっていくもので
毎週京大病院に通院し、検査入院し、数値が悪ければまた入院の繰り返しでした。
まぁこんな生活でも慣れてしまうので入院と言われても、へぇーくらいになってました(笑)
病気の姉でも結婚することができ、23歳で嫁に行きました。
相手の方にはもちろん病気であること、治らないこと、子供もおそらく産めないであろうこと
伝えてもそれでも姉と結婚すると。
結婚したんで年に何回かしか会わなくなりましたが、元々姉とはそんなに仲いいわけでも
無かったんでちょうどよい距離くらいな感じでした。
一緒にあんまり育ってないと言う事と、どうしても病気なので病院でも看護師さんたちも甘やかすのでわがままに育ってしまってるので
姉と話すとイライラすることが多く、特に妹と二人で育ってきたので妹依存症みたいになっているので私は妹なしでは生きていけません(笑)
姉はなんとかそれでも30代までB型肝炎なども発症しながらも死ぬようなこともなく
なんとか頑張ってましたが姉が35歳の時、妹の結婚式を9月に控えていたのに
それに間に合わないくらいどんどん体調が悪くなってしまい、妹は結婚式の日取りを
変えてくれて6月になんとか生きて参加できるようにとしてくれました。
もうこの頃には長距離歩くことは難しく車いすでの参加でした。
記憶があいまいですが、この前後に姉が私の家に来て、私に肝臓を欲しいと頼んできました。
妹は結婚して相手もおるし、友(私)には申し訳ないんやけどお姉ちゃんもうちょっと生きたいねん。
即答出来ませんでした。
手術するとなるとどうしても副作用の事があり、何も出ない可能性ももちろんあるけど
もし出たらと思うと、その当時20代の私には子供も欲しいし結婚もしたいしと、すぐには言えませんでした。結局そのまま何も言えないまま何か月か経ったとき、姉に異変が見られ、記憶障害や言語障害が出始めました。
自分でも異変に気付いてはいるもののどうしていいのかわからず、そのまま頭から倒れ
病院に運ばれた時には余命一週間と通告されました。
私が姉を殺してしまったと思いました。
あの時すぐに肝臓あげると言えばこんなことにならんかったやろうに。
なんであの時言わんかったんやろう。見殺しにしてしまう。
でもそんな時に奇跡が起こり、脳死の方が出てドナー待ちの3名の方が皆さん辞退してくれて
姉に回ってきたんです。
そこから2度目の肝臓移植が24時間かかっておこなわれ、自分で息ができずノドを開いて
直接空気を送るパイプが通っていて両腕に何本も点滴が繋がれ、肌は黄土色になってガリガリのミイラみたいな姉の姿を見た時、涙が止まりませんでした。
それから前回とは違い拒絶反応もなくどんどん回復していき最近はバイトも結構できるようになって、正社員になってくれと話も出てきてたほどに元気でしたしなんの心配もしてませんでした。
4月26日が私の誕生日やったんですけど、その日が姉との最後のLINEになるとは思っても
見ませんでした。
5月8日突然家で口から鼻から出血しながら倒れ、私に倒れたという連絡があって2時間ほどで、亡くなったと連絡がきました。
直接の死因は出血性ショック死でした。
なんの前触れもなく倒れ、顔も見れないまま亡くなって突然居なくなったことに関して
理解できず、何をどうしたらいいかわからんくなりました。
もっと優しくしとけばよかった、もっと話しとけばよかった。
居なくなって初めて死ぬほど後悔しました。
珍しく父が今年みんなで旅行に行こうと計画を去年から立てており、コロナで行けなくはなりましたが、計画してた日が姉の亡くなった一週間後でした。
せめてその日までは生きててほしかった。
司法解剖から帰ってきた姉はきれいな顔をしてただそこに寝ているだけのようでした。
起こしたらすぐに起きてきそうな感じでただ寝てるだけ。
来週は姉の四十九日ですがまだ全然亡くなった実感がわきません。
突然だったので姉が一番びっくりしてるとは思いますが(笑)
40歳で亡くなってしまった姉の分まで残された私たちが全うしようと思います。
今までたくさんつらい思い、しんどい思いをしていたんやから今はゆっくり休んで
これからは見守ってくれてたらいいなぁと思います。
今まで姉、直美にたくさんの病院関係者の方々、職場の方々、仲良く知ってくださった方々、
最後もう一度直美に生きる道を与えてくれたドナーの方、
姉に代わりまして心から感謝申し上げます。
長くなってすみません。
もうこれで暗い話は終わりにしたいと思います!
今は私も仕事に追われて日常生活を送れてますし昨日初めて姉の夢をみました
夢の中で笑っていたので天国で楽しくしてるんじゃないかな?と思います
