おはようございます!
AYAMIです
今日も日常の気づき・感じたことをアウトプットしていきます
最近、自分観察をしている中で感じたことがあった
私は(昔からだな…)
血が出ている状況や痛そうにしている状況を見ていると
自分も同じような状況になる
ドラマなどではその人の状況になったりして
時には目を伏せてしまったりする
だから看護師さんになりたいという気持ちも
自分には出来ないな…と思って
諦めたこともあったな
昔小さい頃
妹が扉のガラスの部分に勢いよくぶつかってしまい
腕にガラスの破片が刺さって結構な血が出ている場面にいた時のことを今思い出した
その時も自分は特に怪我をしていたわけでないのに
自分も痛くなってきて、気持ち悪くなってきて
吐いてしまったこともあった
他にも
その人が私の時は何も考えずに話しているように見えるのに
違う誰かと話をしているときに私の前で話している時とは違う態度だったり、声色になっているのを見るとなんか恥ずかしくなる
誰かが1人で何か小さい失敗をしている時でも
自分が恥ずかしくなって
見ないふりをしてしまうこともある
芸人さんが一生懸命何かをして笑かそうとしているのに
周りが笑ってない時、うまくいっていない時は
見てられなくなる
昔からそうだ
誰かの気持ちを勝手に想像して
自分もそのような気持ちになってしまうことがある
その人がそんな気持ちになっているのかどうかはわからないけど
ただ考えすぎなのか
でも別に考えたくて考えているわけではないんだけど
そんな中、最近知った言葉がある
【共感性羞恥(心)】
共感性羞恥(心)とは
他人が恥をかいていたり、笑われていたりしている様子を見ると、まるで自分が同じ目にあっているように恥ずかしさや居た堪れなさを感じるという心の状態のこと。
心理学の言葉であるようです
共感性羞恥は
研究によって羞恥感情と共感性には関係があるとされてできた言葉のようです
羞恥心(恥ずかしさ)はなぜ起こるのか?
恥ずかしさは自分のイメージを守るためのもの
周囲の評価や信用を失いかけた時に羞恥心は出てくる
人間は社会的動物であり
社会の中にいるために、居場所を作るために
人の役に立ち、信頼を得て、周りに不快な思いをさせないようにして行こうとする
その中で
羞恥心はそのギャップに対して出てくる
“自分の自己イメージどうなのか”によって羞恥心が出てくる場面だったり、強さが違うんだろうな
以前に書いた自分のイメージはどうやって作り上げられているか
この記事も一緒に読んでくれたら嬉しいです
共感性羞恥は
相手の羞恥心を受け取ってしまう…
でも、逆を言えば
共感力が高く相手の気持ちを汲み取る能力があるということ
想像力が高いということ
あとは
他人のことを自分ごとに捉えることが“できる”能力があるということ
これはもう特殊能力
私の周りの人に
「こんな気持ちになったりするんよ…」と言っても
『考えすぎじゃない?』と
返されることが多かったけど
でも、これは私に身についている特殊能力であり
これを活用していかないわけにはいかない!
私の共感力の高さ
上手く使っていくぞ