おはようございます!
AYAMIですニコニコ


今日も日常の気づき・感じたことをアウトプットしていこうと思いますグッ




11月19日は『国際男性デー』であったそうです



その存在すら知らなくて…
初めて知りましたびっくり




昨今はジェンダーレスや多様性と言われている中でも
まだまだ性別に対する偏見がある



「無意識の偏見」が根強い




男性は男らしく、強くいなくてはならない
だから、泣くのはダメだし、弱音を吐くなんてもってのほか


自分の力でどんどんと出世して家族を支えなければならない


誰かに相談して弱みを見せるのはダメだから
自分の中で解決して消化しなければならない


男の人はスマートにかっこよくいなくてはならない



そんなことを考えてしまう人もいるかもしれない



それは、周りからの目や言葉によるものもあるかもしれないが…

自分自身が持っている「男とはこういうものだ」というものに強く縛られていることもあるだろうなーって思った

その人の中で“男”としての理想像を強く持ってしまってるのだろうな




その人の今まで生きてきた中のどこで作り上げられたのかはわからないが

そう思っているということは
どこかで自分以外の男の人もそのような目で見ているんだろう




感じることは自由ではあるが…




その考えやプレッシャーから解放してほしいと思う



私も女性としていろんなことに縛られてきたと思う
というか自分自身の考えであるから
自分で自分を縛ってきてしまっていた




30歳になるまでは結婚しなければならない

何か重要な決断をするときは男の人にしてもらうべきだ

家事は出来るだけ女性がしなければならない

女の人は男の人を支えるべきだ



このような考えが自分隅の方にあった…




でもこう考える
こういうふうに自分の中での指標みたいなものを作ってしまって
逃げていたのかもしれないなって思う




この考えができない自分は情けない

と自分は“普通の女の人”ができることができないんだ
自分は“あかんやつ”なんだと
レッテルを貼っているのは実は自分自身であるのだと思った



でも、レッテルを貼ることで
楽になっていたのかもしれないなって




人とは違う(まあそれは当たり前なんだけど)
私は出来ない自分なんだと自分を卑下することで
逃げれるし、しなくて済むし、楽なんだ




苦しんでたけど
楽もしてたんだ



私の処世術だったんだ…って




なんか話がちょっと変わってしまった気がしますがニヤリ




自分で自分を縛ってきてしまっていることってないですか?
無意識の偏見はまだまだ根強く世間には残っていると思う
けど、自分の中でもあるんじゃないかな?



思うことは自由だし
そう考えてしまうことは自由ではあるけど
それを誰かに押し付けるのは違う
共感を求めるのは違う




誰もが同じ共通認識である必要はない



だからこそ
言葉があり、伝え合う必要があるのであろうな




私はこう思う!それだけでいいグッ




そういう世の中になればなって思う照れ