ぞーゆきょう | H-MANオフィシャルブログ「H-MANのナカナカナイブログ」Powered by Ameba

ぞーゆきょう

いやいや、コメント答えだしたら、なんか限がなくなってきましたが。まぁ、乗りかかった舟、なんて言葉もありますし、もうちょっとやってみますかね。

おっと、そういえば、高橋信次先生の本を読んだというコメントも一つ来ていました。ウレシ~ですね~。どれどれ、ふむふむ、、、わかりました。

まず、高橋先生の書かれた事は全てが真実なのか?とのことですが。そうですよ、全て真実です。でも予言的なものは多少のずれがあるかもしれませんね。

高橋先生が健全で完璧か?、、、、、、、、?いや~、私も会った事がないのでなんともいえませんが。色々な逸話なども聞いてますが、私の知る限りでは悪い話は聞いたことないですよ。ただ、高橋先生の説かれた正法を実践する上で先生が完璧かどうかという事を知らなくては、実践できないというのはあまり理由にならない気もします。しかも今となっては、確かめようも無い事ですしね。しかも、それを言い出したら、私は完璧でも、それほど健全でもないのですから私がいくら高橋先生は素晴らしい、先生の書いた事はすべて真実と言っても意味がないということになってしましますよね。ただ、私も色々な本を読んでいますが、あなたの読まれた『心の原点』や、その中に書かれた「心行」のような文章は、チョット見当たらないです。次元が違うとでも言えばいいですかね。

もう一つ言いますと。例えば、「調和が大事である」という教えは、どこの宗教でも言われていますし、道徳でもそうですよね。「調和は大事」という事は真理ですから、たとえ胡散臭い新興宗教の教祖が言っても、夫婦が不調和な学校の先生が言っても、高橋先生が言っても正しいのです。そういう意味では、不調和な人が言った「調和は大事」は説得力はないのですが、それを実践するかしないかは、あくまでも本人の問題、という事になりますよね。

え~と、それから、それから、、、「霊」というものについて疑問がありますか。まぁ、目に見えないということですよね。でも目に見えないものなんて一杯ありますよ。大体私達の肉眼で見える範囲は、紫色から赤色までの七色の虹の範囲だけで、その外側の紫外線やら、X線やら、γ線やら、よく分かりま線まで見えないけれどあるわけですよね?きっと、、、。音とか匂いも同じです。では心はどうでしょう、見えないけれどありますよね。いわゆる、煩悩というのは、私達の五感が全てだと思い、それに翻弄されている状態、状況を言います。そしてそうなった時に苦しみを感じるわけです。ですから煩悩を無くすなんていうと大変で、禁欲的な気がしますが、そういうことではないんですよ。かといって翻弄されなきゃ何しても良いということでもありませんが。ですから正法では中道(八正道)と言う事が説かれているわけですね。チョット話がそれたかな、、、「霊」なんていうと、とっつきにくいのなら「心」と考えても良いのではないでしょうか。

この後今回の本題に入りますが、「霊」についての理解にもなるかもしれませんので暇ならつづきも読んでみて下さい。



皆さん『象喩経(ぞうゆきょう)』ってきいたことあります?「群盲象を評する」なんていうことわざにもなっていますが。どういうことかと言いますと、、、

視覚を失った人たちが、象とはどういう生き物か?という事になり、ある日、象を連れて来て、各々触ってみた。ある人は象の鼻を触って「象ってのは轅のようなものだ」と言い。耳を触った人は「像は風呂敷のような生き物だ」、腹に触れた人は「穀物を入れる倉みたい」、足の人は「柱みたい」、毛の生えた尻尾を持った人は「はたき、みたいだ」と言ったという話。



では本題に入りましょう、前回取り上げた”猿さん”から返事のコメントが来ましたので、それを元に今回も進めていこうと思います。”猿さん”丁寧なコメントありがとうございます、こういう方は好感が持てますね。今回はコメントはアップしませんので興味のある方は前回のコメント欄を見てね。

まず、人のゲノム(遺伝子情報)はチンパンジーのゲノムとほぼ同じ、という話なのですが。これはまさに「群盲 象を評する」ってやつです。先程書いた霊とか魂とか怪しいというのと一緒で、現代人が陥っているのが科学万能主義、科学信仰、唯物論です。科学的に認められたものは正しい、とか、それは非科学的だから怪しいってのはよく言われていますが、果たしてどうなのでしょう?

科学的に証明された事は正しい事というのはある意味、ある局面、ある角度からは正しいというだけの事です。しかも科学的に証明された事は、証明されても証明されなくても、元々あったものです。例えば重力はリンゴが落ちるのを見て「あっ!重力がある!!!」と気が付く前からあるのであって、ズ~ッと昔からリンゴは落っこちていたのです。人間が飛行機で空を飛ぶ前から鳥は空を飛んでいます。

しかも科学ってのは~科、~科とあるように物事を細かく分けて分析、研究していく学問ですよね。まさに象喩経の世界です。ただ全て間違っているというのはまた別の話で、部分的には正しいし、本人にとっては正しいという事になります。

では話を人間とチンパンジーのゲノムにもどしましょう。私は良く知りませんが、両者のゲノムがほぼ同じというのは科学的にそうなら正しいのでしょう。さて、ここで問題になってくるのは、それを発見した科学者の考え方です。もしその人がダーウィンの進化論を正しいと考えているのなら、人とチンパンはやはりゲノムが限りなく近い、人間はやはり猿から進化したと考えるかもしれません。それって本当に科学的なんですかね?ただ単に、感情的、主観的、希望的な感想を言ってるだけなんじゃないですかね?

例えば、A、B、二台の同じ車種の車があるとします。Aはまぁ普通です。Bはタイヤが一つありません、でも後は全て一緒です。二台の車は同じですが性能においてかなり違いがあります、なぜならBは動かないのですから。または、その二台はベンツだとします、でもBにはエンブレムがついていません、後は一緒、値段も同じ、どちらを買うか、科学的に考えたらどちらでしょう?ほぼ一緒なのですから、どちらでも良いですよね、、、なんて人は科学的じゃないでしょ、、、

人間とチンパンジーのゲノムは、ほぼ一緒、ほとんど違わない、というのもチョット違うというのも言い方が違うだけですが。ほぼ一緒でも、ちょっと違うのも、違うものは永遠に違う、どこまで行っても違うという事です。ここに進化論ということが入ると、その違いが時間とともに進し、変化するという考え方になって行くのではないでしょうか。

もう一つ科学がなぜ万能でないのかというと、それは「心」というものを無視しているからです。よく分かりませんがゲノムとか、DNAっていうんですか?それはきっと肉体を切り刻んで、凄~~~く小さくしたのを観察してるんだと思いますが。いくら肉体をよ~く見ても人間の心を解明する所までは科学は進んでいないのです。しかも、ゲノムが極微の世界ならその中では小さな違いでも、大きな違い何ではないでしょうか。

さて前々回から”猿さん”が主張している猿の同性愛の話(いい加減トピックを変えたいところですが)ですが。前回のブログの後に私ももう一度考えてみたのですが。食欲、性欲は二大本能ですから猿にも人間にもあります。ただ人間は個人差がありますがその二つをコントロールする事が出来ます。ただ猿は猿ですから、人間がえさを一杯やればドンドン食べると思いますし、野生の猿も何かの拍子にセンズリを覚えるとコキ続けるなんて聞いたことかきいたことがあるので、雄同士で慰めあう(この表現もキモイですが)事もあるかもしれません。”猿さん”の提示してくれたサイトにも書いてあるそうです。ただ、これをもって同性愛は自然界のルール(法則という事だと思いますが)であるとするのは無理があると思います。法則というのは例外がないという意味ですから、猿以外の動物も全て一定の確率で同性愛にならければなりません。しかも”猿さん”によると「雄が増えすぎたら」という事だったので前回のように答えてみました。

そして先程のゲノムの話と一緒でそこには、「心」というものが抜け落ちています。その同性愛の猿は人間の様に悩んだりしないでしょ。ましてや性転換手術なんてしようとは思わないし、猿が猿を手術したり出来るようにならないですよね。これもまた進化論が絡んできますが。



いや~、長~くなっちゃいました、また難しいって言われちゃうかな?はははは、、、、、、


話は元に戻りますが、高橋先生の説かれた正法は「心」を科学したものです。因果応報というのは物理では因果律といいますしね。ですから正法は科学と一致します、ただし今の科学が唯物論の立場を取り続けるのなら、いつまでたっても「心」は解明できないし、正法には追いつけないでしょう。ゲノムの話も、そのゲノムという仕組みを作ったのは誰なのかという事は今の科学では何も解明されていないということです。

高橋先生の本は「疑って疑って疑いきれなくなったら」信じましょう。正法も科学も疑問を持つ事が大切ですね。”猿さん”も一度読んでみてはどうですか?

ではでは。