それでも地球は回ってる | H-MANオフィシャルブログ「H-MANのナカナカナイブログ」Powered by Ameba

それでも地球は回ってる

ど~もH-MANで~す。前回のブログ、携帯の方は見れなくなってましたね。理由は多分ジャマイカ人はバティマンに対してこのように(37564的な表現)言っているというのを載せたためだと思います。すぐに削除したけど戻りませんでした。PCでは見れるようなので、興味のある方はPCでど~ぞ。

さて、賛否両論色々なコメントをいただきまして、私ごときのブログの中という狭い世界ながら、さながら世の中の縮図を見るようでした。どちらの言い分もよく分かりますし、同性愛者の苦悩も計り知れないものですね。ただ、どちらの意見もこの世(現世)のことのみで考えていては、結局平行線のまま相容れない、何の解決にもならないというのが私の意見であり、正法という、神の創られた法、自然界の法則を知るという事がやはり必要なのではないのでしょうか?何故なら真理(正法)というからにはそこには全ての答えがあるし、反対にすべてに答えられなければ真理(正法)ではないということにもなります。その辺も踏まえつつもう少し考えてみようかと思います。

まず、世の中に男と女がいるの言う事は、同性愛者の方達も分かっていると思います。この仕組みを作ったのは誰か?人間ではありません。やはり神(神という言葉に引っかかる方もいるかもしれませんが、全宇宙の根源、第一原因、、、何でも良いですが、とりあえずここでは神という言葉で統一します)が創ったとしかいえません。これは人間の意志(我)では変えることの出来ないものです。このことを仏教では「諸法無我」と言います。ですが人間は万物の霊長である神の子として、神より完全な自由が与えられていますから、法則を知って生きる事も、法則に逆らって(我を張って)生きる事も出来ます。ただ、この神の創られた法則、正法に反したときに苦しみや悲しみ、を感じるようになっています。この苦しみや悲しみは神が罰を与えているわけではありません、自分で自分に嘘のつけない心(これが人間が神の子である証拠)が、自らを裁き苦しみや悲しみを感じるわけです。

男も女も神の子であるという点では平等、対等なのですが、男と女とはやはり役割が違います。まず女の役割、女にしか出来ない事は何か?当然それは子供を生み育てるという事です。これは男には出来ない事ですから、いくら自分は女だと言い張ってみても苦しみがあるだけです。オチ〇チンを取ってマ〇コをくっつけてみてもそれは女風になったにすぎません。

ちょっと話はずれるかも知れませんが、女の人でも子供を産まずに一生を終える人もいますよね。そういう人は女としての役割を果たしていないがどうなのか?その様な女性の中には、前回の人生(前世、過去世)で多くの子供を持ち、自分の時間がまるで持てなかったという人や、何か特別な使命があるという魂の人は今生では子供を持たない人生を送るようです。ただこのような人でも死んだ後(もしくは生きている間に)やはり子供を産み育てる事が女の役割であると、いずれ気付く事になります。何故なら神の子である人間には自分に嘘をつけない心があるからです。

この、嘘のつけない心があるという事は、正法を理解するうえで、とても重要です。仏教では因果応報(善因善果、悪因悪果)、キリスト教でも「自ら蒔いた種は、自ら刈り取る」と説いています。物理でいうところの因果律ってやつです。神は神の子である人間が神の法則に逆らって、どんなに離れていってもいずれ神の元に帰れるようにこのような仕組み、法則を作ったのです。まさに慈悲と愛の法則と言えます。ですから自分の身に起こっている事や、降りかかってくることは全てが自分にせいであるという事です。

そのように考えますと、性同一性障害という病気になったのは誰のせいか?同性愛者になったのは誰のせいか?ということです。やはりこれは自分のせいなんじゃないでしょうか?前回、同性愛者は過去世でもそのような傾向性があったと書きましたが、法則に反した分だけ障害という苦しみを経験するんじゃないですかね。これは自分以外の誰のせいでもないし、誰のせいにも出来ないと思います。勿論当の本人は苦しんでいるのですから、大変だという事は理解できます。が、やはり間違いは間違いとして、男は男、女は女として生きていくよう、少しずつでも修正していかなければならないと思います。

でもこれはナカナカ難しい事ですよね。しかも同性愛者の人は「私は男(または女)しか愛せない」というかたくなな心がありますから、修正は容易ではないと思われます。ただ人生は永遠ですから、いつか修正しなければいけません。人生は永遠であるということ、自分は生き通しの魂であるということ、つまり転生輪廻する(あの世とこの世を循環している)ということも法則です。ですからこのようなこと(正法)を知らないと、性転換手術をするというような間違いを起こしてしまうわけです。

我々が死んだ後の世界(そのうち改めて詳しく書きますが)はどのようになっているか、それは想念の世界ですから、自分の思ったことがすぐ現象化される世界です。この世は因果応報と言っても、そぐ現象化されるわけではありません。悪いことを思ったり、したからと言って、すぐ悪い結果が出るわけではありませんし、心で思っても実行するまでに時間がかかったり、やはり止めておこうと改心する事もできます。あの世は「ヤッテヤル」と思えばもうやってしまっているという事です。

その様なあの世の世界の、いわゆる地獄と呼ばれているのはどのような世界、環境、かといいますと、ようは「私は間違っていないと言い張っている」状況だということです。ですから、この世で反省の習慣のない人は、あの世で厳しい状態が長く続くという事です。


いや~、また、難し~って言われそうですが。自分でももっと簡潔に書ければとは思いますが、、、頑張りま~す、、、、


しかし、同性愛者が主張する事、被害者意識的なものには辟易します。病気や障害があるのや、悩みがある、いらない差別を受けているのも彼らだけでは無いんですけどね。とはいってもどのような人間でも、自分に嘘をつけない心(神に通じる、神そのものである心)が自分を救っていくわけですから、ふて腐らずに精進しなければいけませんよね。

あっ、書き忘れましたが、同性愛者に対して不適切な発言をすればそれはそれで、いずれ自分を裁き、その責任も取らなくてはなりません。キリストやブッタの弟子にも元売春婦がいたそうですが。それに対してキリストの弟子が文句を言ったそうですが、キリストは「いままで一度も間違いを犯していないものはその者(元売春婦)を殴れ」と言ったそうです。

どのような人も神の子であることには変わりありませんということでした。おしまい。

ではでは。