更新~ | H-MANオフィシャルブログ「H-MANのナカナカナイブログ」Powered by Ameba

更新~

いやいや、更新が遅くて、怒られちゃいました、否、せかされちゃいました。でもまぁ、私のブログは、日記書いてるわけじゃないので、、、ご勘弁を、、、

と、いきなり言い訳から始まりましたが。新年おめでとう御座います、今年もヨロシクお願い申し上げま~す。

つっても、もう11日も立ってますが、、、、世間様は成人式だそうで、、、

、、、、、何、書きましょうかね、、、去年、紹介し損ねた本とか、DVDとかもあるのですが、、、あんまり乗り気じゃないですねェ、なんか、、、そんなときにはコメントに答える事にしているので、そうしますかね~、、、

でもな~、、、

ま、いいっか。

では今回は『コメントにコメント』にします。



前回貰ったコメントより~




『資本主義や金に信仰している人がいて、みんな必ず何かを信仰している』と仰ってましたが、それは信仰とはまた違うと思います。

無宗教の私からすれば、神なんて存在は全く信じていなく、『信仰』という言葉は神を信じている人が使う言葉であり資本主義や金を第一に考える人のことを 彼は資本主義を信仰している と言うのは違和感を感じます。


そもそも神はいません。いるならなぜ生まれて何時間かで死んでしまう赤ちゃんや残酷な殺され方をする方がいるのですか? それがその人の寿命だというなら残酷な殺され方はしないでいいじゃないですか。
その人のそれまでの行いが悪いものでなくてもそういうことは起きます。
神なんてものは偶像でしょう。


だからと言って私は神を信仰する人が変だとか批判しようとは思いません。
人それぞれ違うんだし誰が何を信じようが、その人の選んだことでその人の勝手です。

H-MANさんもあまり創価学会を批判しないで、嫌いでも相手から関わってこない間はH-MANさんから仕掛ける必要ないと思いますよ。

創価学会を擁護する気は全くありませんが。


長文すいません。
これからも活動頑張って下さい。
失礼します。



①②③④と番号をふらさせていただきました。では、

①ですがこの「全ての人が、資本主義やらなんやら、何がしかの、信仰をしている。」というのは高橋先生の弟子の園頭先生がよく言っていたことなのですが、一種の「ユーモア」なんじゃないですか?私もそのつもりで書いていましたが。例えば、私達が良く使う「ヤバイ」というのは格好良かったり、美味しいモノを食べた時に使ってますが、本来の「ヤバイ」は反対の意味だったりもします。

多くの人は「信仰」なんて聞くと、神社仏閣、教会に行ったり、仏壇神棚に手を合わせたり、お供え物をしたりと考え、そういうことをしている人を信心深いと思うかもしれませんが、そういうことではありません。ただ、信仰とは何を信じて、基準にして、拠り所として、生活をするかという事ですから、やはり全ての人が何かを信仰しているのだと思いますが。

家庭、政治、仕事や趣味、、、などがあってそれと並列して信仰が有るわけではなく。本来の信仰とは生活や行為そのものが、真理、正法に適っているかということです。

チョット分かりにくいかな?

②「神は人間が作り出した概念であり、偶像だ」というのはよく聞きますが。しかしそのように言い切ってしまう前にもう少し考えを深めてみるのはどうでしょうか?

まず、人間が作ったものは何が有るのでしょうか?家とか車とか、今使ってるパソコンとか、洋服、机、、、、なるほど、人間はいろいろなものを作り出しています、でもその材料は、人間が作ったのでしょうか?元をたどれば自然の中にあるもので、人間はそれを利用し加工したに過ぎません。そんな人間が創った神はもちろん神ではありません。そういう意味では神はいないとも言えるかもしれません、なんともややこしい話ですが。

では人間がいろいろなものを作るのに使っている材料や、地球、宇宙は誰が作ったのか?私達のこの身体、の緻密な仕組みを誰が作ったのか?勿論、両親が子作りしたのですが、じゃあ「この子の体温は何度にして、次の子の体温は少し高めで、、、」と言って作るわけではないですよね。そのように考えるとやはり人知を超えた何か、神としか呼べない、第一原因があると思いますが。全てが偶然というのは少々出来すぎではないでしょうか。それに宇宙にも、地球にも我々の身体にも秩序があるわけですからそこには何かの意思が働いているという事です。しかもその意思は愛と慈悲から発しているからこそ、秩序があるわけですよね。人間、生物、鉱物、、、ありとあらゆるものと、その根源であり、慈悲と愛の塊のことを神って言うんじゃないですかね?

「じゃあ、慈悲と愛の塊の神がいるのに何故、戦争や悲劇がなくならないか?」と無神論者や、このコメントをくれた人は言っていますが。それは神から、唯一自由を与えられた万物の霊長であり神の子である人間が、神の子であることを忘れ自由を間違って行使しているという事でしょう。ではそのような人間に対し慈悲と愛の塊である神様は何をしているのか?神は人間に自由と一緒に法則を与えた。転生輪廻の法である。全ての想念や行為は自分に帰ってくる、善因善果、悪因悪果、因果応報というやつです、これは法則ですので信じようが、信じまいが100%働きます。ですから神は人間が間違った事をしてもいずれ人間自身が自らの間違いに気が付き、いずれ神の手元の戻ってくるように法則を創って気長に待っているわけです。もちろん転生輪廻とは、人間の一度の人生では学べる事は限られてくるので、何度も生まれ変わりそのつどいろいろな事を経験し、永遠に魂を磨いていくことです。転生輪廻、因果応報という法則はまさに愛と慈悲の法則といえると思いますが?どうでしょう?

そして、①とも通じますが、転生輪廻の法、因果応報の法則のことを正法といい、それらの法則を信じることを、神を信ずるといい、生活し、行動することを正しい信仰というわけです。ですから神とは、愛であり、慈悲であり、全ての第一原因、根源、エネルギーであり、法則である、という事です。

ではコメントにあるような、一見、何の罪もない赤ちゃんが死んでしまったりするのは何故か?それにもやはり原因があるわけです。まず第一に、両親の不調和が原因でしょう。ですから両親はそのことをを反省しなくてはいけません。では赤ちゃん自身はどうかというと、やはりそのような両親を選ぶカルマ(業)が有るわけです。その辺の事は以前「親子の関係」というのを書いたので探してみてください。そのうち改めて書いても良いですが。

だいたい戦争や悲劇を神が起こすわけないでしょ、そういうのは神じゃなくて悪魔って言うんですよ。それを神のせいにしたり、神がいない根拠にするのは早計でしょう。しかも、誰もが神の子であり、神に生かされてるのにもかかわらず「神などいない」と言ってる人をも神は生かしているのですから、神とはやはり愛と慈悲の塊であり、神はいるんじゃないですかね。


③だったら私も勝手にやれば良いということになちゃいますけど、、、、、いずれにしても、無神論のという立場で考えたり、主張をする事は矛盾だらけで、何の解決にもならないと思います。なぜなら「神がいない」というのは考える事を止めたに過ぎないからです。

参考までに

『宇宙からの帰還』立花隆 著

という本を読んでみるのも良いかもしれません。もちろん高橋信次先生の本を読んだほうが良いに決まってますが。

④こちらこそコメントをありがとう御座います。しかし、いくらあなたが否定しても、あなたは神の子だし、学会員の人たちも神の子なのですから、いずれ間違いは自ら修正することになります。という事はいずれ、全ての人は幸せになれるということです。めでたしめでたし。

ではでは。