私は日本生まれ、日本育ち。
妻は北米出身で、私たちはいわゆる「国際結婚」をしています。
今は北米で暮らし、日々、文化や価値観の違いに気づかされながらも、家族として歩んでいます。

 

妻は大人になってから、ADHD(注意欠如・多動症)と不安障害があることがわかりました(診断済み)。
そのことをきっかけに、私は「支える側」として、さまざまな葛藤や戸惑いを経験してきました。
時には理解し合えず、時には孤独を感じ、それでも「家族であり続けたい」という思いでここまできました。

  

このブログシリーズは、そんな日々の中で私が感じたこと、学んだこと、そして少しずつ見えてきた“希望の輪郭”を、全10回に分けて綴る記録です。

同じように、心の疲れや迷いを抱えながらも、
それでも誰かを思って歩き続けている方に、
「あなたは一人じゃない」と伝えたくて書いています。自分自身にも言い聞かせながら。

毎日の、心の小さな灯りのようなブログになれば嬉しいです。



〜第3話:沈黙の中で見つめるもの〜

 

――会話がすれ違う苦しさの中で――

言葉を選んでも、伝わらない夜がある。
 

優しく言おうと努めても、なぜか「責めてる」と受け取られてしまう。
ただ冷静に話したいだけなのに、気づけば空気が張り詰めている。

 

そんな時、心のどこかで「もう話しても無駄かもしれない」と思ってしまう自分がいる。
けれど、それでも沈黙の中にいると、胸の奥に痛みが残る。
 

「伝わらない」という事実が、こんなにも孤独なものだとは思わなかった。

話し合うことは、ぶつかることでもある。
 

でも、本当にぶつかりたいのは相手ではなく、「この距離」なんだと思う。
わかってほしいという思いと、わかり合えない現実の間で、
どちらを選ぶこともできずに立ち尽くしてしまう。

カウンセラーから、「彼女にとって言葉は“防御”でもある」と言われた。
 

そうかもしれない。
 

彼女の沈黙の裏には、痛みや不安が隠れているのだろう。
そして、僕の沈黙の裏にも、諦めきれない想いがある。

 

だからこそ、いまは沈黙の中で立ち止まる時間を大切にしたいと思う。
 

すぐに答えを出さず、言葉を探さず、ただ静かに呼吸を整える。
 

いつか、言葉が届く日が来ると信じて。


次回、「第4話:それでも、支えてくれる人たち」

ーー誰かに理解されない日々の中でも、静かに手を差し伸べてくれる人たちがいる。気づかないうちに、心を支えてくれていた存在に気づくとき――

少しだけ、世界の見え方が変わるを綴る。