双子山親方のゼンマイ研究
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にしんの目玉が真っピンクに光ってるので、にしんは桃色

 チャットの話 

チャットってのは活字とそれを打つタイミング、フォントなどでコミュニケーションするものだと思うんだけど、それは僕は慣れてる、オンラインゲームをやってたから。活字だけのコミュニケーションをやっていて一番僕がもどかしいと感じたのは、表情がないという事、次に音声が無いという事。

 違和感は意外かもしれないが音声よりも表情の方が先に来ると思う、僕はこちら側で感じる表情の違和感で強いのは、笑う必要が無いという事だった。 それはつまり日常でいかに自分が愛想笑いというものをよくしているか、愛想笑いの定義は置いておいても、一般的に愛想笑いとされている笑いをいかに普段しているかというのを感じた。

 笑うという行為は、笑った顔を相手に伝える事が肝心だという事。笑うという行為はコミュニケーションの形だという事。人を笑わせるという行為も、個人対個人であれ個人対集団であれ、コミュニケーションであるという事が第一だと思った。

 話を戻そう、音声が無いという違和感について、音声というものについて感じた事。音声というかチャットで省かれた部分は主に声なのだが、声というものが無いという事によってチャットでは活字がどんどん単純化していくのではないか、これはチャットに限った事では無い、

 活字ってのは声からできたもので、本来は個人的なものなんだけど、チャットってのは活字のスピードが早く早くなってく、つまり単純化していく、推敲された個人を強調するような文章は嫌われる、なぜか?チャット上は活字でしかコミュニケーションが無い為、個人を偽る事が簡単にできてしまう、個人を偽る事は試される為、個人を偽らない人間はチャット上での集団に入れない、

 そうじゃないな、チャットってのは新しいテクノロジーだから慣れてない、だから人は躊躇する、その結果偽る、のかもしれない。

 どうも言ってる事がむちゃくちゃやな。

 音声ってのは活字を含むのか?活字は音声を含まないのか?音声ってのは活字を含んでいる、活字の場合音声は想像によってカバーされる。 だろうか?人によって違うだろうな。

 

 次の話、チャットってのはまだ途上であり、完成してないものだと思う。

ボイスチャットというのがある、カメラで映像を送るものもある、僕がやってみたヤフーチャットってのにはこの二つの機能が付いていて、          まあいいや、テクノロジーの話をいちいちしても面白くない、とにかくチャットってのはまだ途上もいいところだと感じた。これからどうなっていくのか僕はわからないが、どんどん市民権を得て浸透していく事は間違いない。といってもどの時点で完成するのかはわからない程可能性があるものだと思うし、チャット単体で述べれるようなものではなく、ネット自体の可能性がどうなるか僕にはわからないのだが。   ネットの可能性については別に調べた事も無いので全然わからない。 けどモニターってものを離れるには大分時間がかかると思う、モニターというかまた携帯の話も絡まってきてめんどくさいで書かないんだけど、  あとチャットに限った事ではないが、空気というか雰囲気が情報で一番複雑なものだと思うんだけど、(雰囲気の定義はおいとく)そういった複雑な情報を一瞬で伝えるのは全然できなくて、小説のように積み重ねるしかない。やっぱり伝わる情報量が物凄く限られてるってのは強く思う。

 回線速度がもっと早くなったら一気に変わるのかもしれない。カメラの映像が鮮明で滑らかになって、ボイスは多人数で喋ってもその音の方向で個人が特定できるようになり、風景とか背景も体感できるくらいになって、喋る場所やその日の天気なんかを演出できるようになったら面白いと思う。

 ネットの進歩を見てると結局今はテクノロジーに動かされてる面が大きい時代なんかなっていう感じが漠然とする。

 

 次、ヤフーチャットってのをしてるのだが、なぜ僕はヤフーチャットをするのか、面白いから。どこが面白いのか、単純にコミュニケーションの形態が斬新で面白い。

 だけど、面白くないと思う時も多い、だがそれは日常世界で面白くないと思うケースとまったく同じだ。ということは、やはりコミュニケーションの形態が主に僕を引きつけているのだろう。

 飽きる、という心配だが、はっきり言ってある。これは飽きるだろうなという感覚がすでに初めて一週間である。それは当然現実世界の方が面白いってのがある、ネット上ってのは現実世界の延長だから、現実世界そのものと面白さを比べると当然現実世界として捉えたものの方が面白いのは当たり前だと思う、それに個人の相手ばかりしていても二次的な情報、二次の二次の二次的な情報が殆どなのだから飽きるのはどうしようもない。

さらに飽きる理由を加えるなら僕がチャットに対して野次馬的な興味心で当たっているからだ、野次馬ってのは観察でしかない、観察ってのは主体性がない、だから自分の頭に観察結果の回答がそれなりに出たと感じれば飽きてしまう。

 最近の僕は思えば観察一辺倒だ。消費とは違う、僕は生産を念頭に置いて観察している。


 どうも引きこもり生活を続けていたせいで面白い事が言えなく、書けなくなっている。いやそれは引きこもり生活のせいではない。出力が圧倒的に少ない生活をしている為である。

出力の一つの訓練としてこれを書いていこうと思っているが、基本的にレスポンスは考えていない。レスポンスが無くても出力はできるからだ。

 はっきり言ってネット上で情報を吐き出す時の緊張感は気持ち悪くて嫌いなのだが、これが僕の身の回りにある最も適度な緊張感だと思うから仕方がない。

 型にはまらずに書いていきたい、続けるべきだ。  はっきり言ってレスはいらない。それ以前にブログって何なのか知らない。どうでもいい。文章がネット上に保存されるらしいってのがいいってだけだ。

 まあこんなの誰も読まないだろうけど。