音楽大学を卒業してすぐ、都内にいくつも音楽教室を構える大手楽器店で、ヴァイオリン講師として稼働を始めました。


ずっと夢だったヴァイオリンの先生としての実績を積むこと、それからフリーランスとして音楽だけで食べていくための収入を得るためでした。



楽器店で働くまでには、実技試験(自由曲と初見演奏)と役員面接があり、受かると実際のレッスンの演習があり、役員の方が生徒役をして初心者向けのレッスンを見ていただきました。



そして、いよいよ自分のクラスが開校。たまたま他の先生からの引き継ぎもあり、4箇所のセンター(田無、花小金井、立川北、東大和のお教室)で教えることになりました。



生徒さんのことはいつまでも覚えているものです。


楽器店での初めての生徒さんは、郵便局にお勤めの明るい50代の男性でした。音大出たてで指導も荒削りな私に、いつも笑顔で優しく接してくれ、時にはN響の定期公演のチケットを譲ってくださることもありました。



ヴァイオリンを弾くという点では、3歳から21歳まで弾いてきた私の方が“先生”であっても、人生経験や職場のキャリアで見れば、生徒さん(親御さん)の方が大先輩、なんてパターンは多々あります。



時々、生徒さんの中には、私の指導に不満を持ち、「酒井さんは水商売の方が合っているのではないですか?」といった、辛辣なメールをもらったこともあります。



今となっては、生徒さんの要望に沿えなかったこと(初心者向けというより、音大で習ってきた上級者向けのレッスンをしてしまっていた)、生徒さんの人生の中のタイミングなど、様々な事が重なって、そのような言葉に繋がったのだなと俯瞰してみることもできますが、当時は言葉をそのまま受け止めてしまい、ものすごくショックでした。




また、幼児向けのレッスンにも不慣れで、なかなかヴァイオリンを弾くところまで持っていけずに(人見知りされてしまったり、お子さんの気分が乗らない日はそのまま帰るなど)、そのうち親御さんも諦めて退会してしまうなんてこともありました。



こどもが大好きな“気持ち”だけでは、全く意味がないなのだなと痛感する日々でした。




そんな中、ずっと応援してくれていた生徒さんもいました。


田無のお教室でレッスンをしていると、「自分も先生として教えることがありますから、先生の苦労はよくわかりますよ」と話してくれ、私が結婚して静岡へ引越す直前に、ご自宅へ呼んでいただいた方もいました。今でもSNSで繋がっています。



それから、田無のお教室でいつもおしゃべりばかりして、◯◯のお菓子が美味しいとか、先日ボーイスカウトに参加してきましたとか、ヘリコプターを操縦してきましたとか、ほとんどヴァイオリンを弾かずにレッスンが終わってしまう50代男性の生徒さん。

コンサートのご案内をするといつも駆けつけてくれて、静岡へ引っ越した後もコンサートへ顔を出してくれたり、マメに連絡をくれました。

その後ご病気で早くに亡くなられて、今は遠くから見守ってくれている気がします。




当時、幼稚園生や小学生だった生徒さんのことも、よく覚えています。

あれからもう15年ほど経つということは・・・

あの頃あどけなかった生徒さんは、今頃大学生とか、社会人なのでしょうが、記憶のままです。



他にもたくさん、思い出すお顔があります。


器用に弾いていた女性デザイナーさん。この方も今でもSNSで近況を拝見しますが、自らヴァイオリンを製作しているとか。


アマオケに所属していた方、学校の先生、ご挨拶をきちんとしてくれる当時小学生だった男の子、いつも丁寧で上品な奥様、看護師で同い年の女性…。



ヴァイオリンを教えるお仕事は、出会う方の人生に関わることができて、私も生徒さんから色々なことを教わったり、ヴァイオリンについても改めて言葉にすることで考えさせられます。



30代半ばになっても、まだまだ反省の多い日々ではありますが、新卒の頃を思い出してみると、少しはヴァイオリンを通して生徒さんへ伝えられる事が増えた気がします。