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今回から方便品第2に入ります。私たちが朝晩の勤行で読誦する経文です。

「方便」とは、サンスリットの原語によれば「巧みなる接近(の手立て)」という意味です。

仏が衆生を導いていく教育的手段ともいえましょう。

今回は「方便品八箇の大事」から「第一「方便品」の事」を学びます。

 

勤行は、「妙法連華経。方便品第2。爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗」から始まり、方便品の読誦は、

「十如是」を3回繰り返して終わります。ここで諸法実相が説かれ、万人成仏の道が開かれます。

法華経迹門で一番、重要な箇所であり、私たちは、妙法を讃歎する意義を込め、如来寿量品第16の「自我偈」と合わせて、

唱題行の助行として読誦しています。

 

ひとたび法華経を信じ持てば、凡夫は仏の生命を開くことができる

 

この方便品の読誦の中で、「無数方便。引導衆生(無数の方便もて衆生を引導して)」、

「如来方便。知見波羅蜜。皆巳具足(如来は方便と知見波羅蜜、皆巳に具足すればなり)」と、「方便」が2回出てきます。

経典の方便品は、この後も続きますが、そこでも、何度も繰り返し「方便」という言葉が出てきます。

通常、方便というと、「正直捨方便」「方便権教」とあるように、当面の理解のための仮のものという印象があります。

なぜ、仏の教えにとって要となる品に「方便」という表現が用いられ、品の題名ともなり、

「如来は方便と智慧を具足している」とまで述べられているのか。

天台大師の「法華文句」では、方便品の解釈にあたって、まず、「方便」の意義の洞察から始めています。

そこでは、同じ方便でも、他経すなわち爾前経の方便と、法華経の方便とは違うことを示すために、

「方便」には三種あることを述べられています。

第1が「法用方便」、第2が「能通方便」、そして第3に「秘妙方便」です。

法用方便と能通方便は、爾前経において、仏が衆生を導くために、種々に用いた手立てです。

ともに、相手の理解に応じて説く随他意の教えです。