別れた男の葬儀にきている。
風の噂で死んだ事を知り、なんとなく通夜と葬儀の日程を聞いた。
それとなく死因を聞いてみると、ここ数年病気を患っていたらしく闘病生活を送っていたらしい。
教えて貰った斎場へ行ってみると、そこは東京から外れた少し田舎の町で、電車を二回も乗り継ぎし、駅からはタクシーで行くしか交通手段がないとゆう不便な土地だった。
その日は梅雨の中休みなのか、空は青く晴れ渡り天気予報では今年最高気温かもしれないと言われていた通り、物凄く暑かった。
黒服を纏った私は、駅に着く頃には乗換えと暑さでぐったりしており、来た事を少し後悔した。
斎場は、土手沿いに面していて、曲がりくねった細い道はこのまま自分も死者の世界に連れて行かれそうになる様な錯覚を覚えさせる。小道を抜けた先の大きな門をくぐると
ひっそりと静かに存在し、長い煙突から白い煙を短く吐き出していた。
建物の入り口に置かれている掲示板には本日、執り行われる葬儀の遺族の名前が書かれており
思っていたよりも名前が多く、少しビックリした。

その男とは仕事を通して知り合った。
男は私と同い年で初めて会った日に意気投合し、連絡先を交換した。
次の日には電話がかかってきて、「仕事抜きで会いませんか?」なんて言われて、自分がいつも仕事帰りにたまに行く新宿のこじんまりしたバーで酒を飲んだ。
その後、何度か会っている内に段々好きになって、気がついたら狂おしく心を燃やしている自分がいた。
男には妻も子供もいるというのに。
だけれど一度火の点いた恋心は誰にも止められない。例えそれが自分自身であっても、手のつけようがないのだ。
相手が職業柄、時間の融通が利くのもあって拘束時間が決まっている私に合わせ幾らでも都合がつけられたのも火に油を注いだのかもしれない。
私には同棲していた彼氏がいたが、仕事が忙しいと嘘をついて男との時間を作った。
男は私を「美和さん」と呼び愛でてくれた。昔から周囲に「みー」とか「みーこ」など愛称で呼ばれる方が多く、彼氏ですら私をちゃんと名前で呼ばない。だからちゃんと名前で呼ばれるのは恥ずかしいと言ったが、「それがいい」と言って決して2人だけの時は苗字では呼ばず下の名前を呼んだ。
そして同年代なのにいつも敬語だった。
指摘すると男は少しはにかんで「クセなんですよね。」と言った。
その頃、私の心は頂点に達していて見つめられただけで立っていられない程胸が高鳴り、抱き締められる度に死んでもいいと思った。
彼氏に感じ得なかった切なさと愛しさは私の心を支配し、もっと独占したいとゆう欲求がどんどん育って行き、結婚している事実が憎かった。
けれど、ある日突然気がついてしまったのだ。
男は本当に私を愛してくれてはいない、と。
別に会う回数や時間が減ったからではない。
以前と変わらず頻繁に会っていたし、その度に肌を重ねあっていた。
結婚しているからと言うわけでもない。
もっと根本的な部分だ。人間の心の底の部分。
何故もっと早く気がつかなかったのだろう。男は誰も真剣に愛せない人だと。
それから少しずつ私から距離を置いて遠ざかる努力をした。
最初のうちは苦しかった。男に会いたくて会いたくて堪らなくなり、その都度、自分に言い聞かせた。もう忘れなければならないと。次、いつ会いたいとか電話やメールをするのはいつも私で思えば男からはただの一度も連絡がなかった。距離を置き始めて向こうから何かあるかと密かに期待してはいたが、一向に私の携帯電話は鳴らず「私の存在はそんなもんか」と悲しくなり一気に恋の炎は跡形もなく消えた。
幸い仕事は、入社3年目の女子社員とは思えない異例の昇進をした事により自分の手からは離れてしまい、その後はたまに姿を目にする時はあったが、直接会うことはなかった。そして男の存在は頭の片隅に追いやられ長い間、埃をかぶったままだった。


ノートに名前を記帳し、受付にお香典を渡す。促されるまま進むと、若い女が弔問客を丁寧に相手していた。状況からするに男の親族であるのには間違いない。この女は男の何であろうか?そう思いながら女にお悔やみの言葉を述べる。
「この度はご愁傷様で御座います。純一郎さんとはお仕事をご一緒させていただいた事が御座いまして、今回の訃報を聞き大変に驚きました。」
「いえいえ、こちらこそわざわざ有難う御座います。お忙しいのにお越しいただいて主人もきっと喜んでいると思います。高梨さんでいらっしゃいますでしょう?」
名乗ってもいないのに、女の口から自分の名前が出てきた事に驚いた。何故私の名前を知っているのだろうか?
「そうですが・・・。」
「申し遅れました。私、純一郎の家内の由実子と申します。生前、主人からお話はお伺いしておりました。今度仕事をする人はとても仕事ができる女性だと。」
まるで心を見透かしたような言葉だった。口元には薄く笑みを浮かべている。この女、知っている。私が男の浮気相手だと言う事を。
「そうでしたか、大変恐縮なお言葉で御座います。純一郎さんは、とても素晴らしい方でいらっしゃいましたので仕事も円滑でした。また機会があればと思っておりました手前でしたので残念でなりません。」
ここぞとばかり残念だとゆう表情を作り知らぬフリを通す。今の仕事で動揺を隠すのには慣れている。
その位じゃまだまだ私の感情を揺さぶるにはパンチが足りない。でも男が私の事を話していたなんて意外だった。そう思ったのは男が家庭の匂いを一切感じさせなかったからだ。
妻と子供がいる以外、それも同業者から聞いた話で本人からは全く家族の話を聞いたことがなかったし、結婚指輪もはめていなかった。残業で遅くに電話して「これから会いたい」なんて無茶を言ってもすぐに会いに来てくれたから結婚しているなんて本当は嘘だと思っていた。
テンジョウさんは、ずるい。
私の気持ちに薄々気が付いていながら、優しく笑いかけてきたり、ご飯に誘ったりする。
それなのに一線を引いていて上手く私の言葉をかわしたりするのだ。
テンジョウさんに、恋人はいない。
なんでも前に恋人だった人の事を今でも好きなんだとか人づてに聞いた。
本人に確かめていないから、本当の事はわからないけれど私はまだその人を好きなんだと思っている。
女の直感てヤツだ。
そうゆう人は何となく雰囲気が出ているもので、言葉に出さなくてもわかってしまう。
周りに薄い膜が張っているってゆうんだろうか?
好意は嬉しいけど、それ以上を寄せ付けない膜。
だから私の恋は不毛なのだ。
わかっているのだけれど、すぐにはこの気持ちをリセット出来なくて悶々とする日々。

―最近、会ってないなぁ。

仕事の帰り道にそんな事を思いながら、ふと空を見上げるとまんまるのお月様が見えた。
雨上がりで空は澄んでいて輪郭までくっきり見える。
その時、急にテンジョウさんに電話をしてお別れを言わなくちゃと思った。
テンジョウさんを好きな私にお別れを。
多分、彼はまだ仕事中の筈で電話には出ないと思い留守番電話にメッセージを残そう。
なるべく普通に、なるべく自然に。
『さようなら』みたいな直接的な言葉ではなく何の用もない電話のように。
自分の中に灯っている光りを消せればいい。
これは儀式だ。
何故急にそんな事を思ったのかはわからない。
満月には不思議な力があるって友達のサトコが言っていたっけ。
この急な気持ちの変化も満月のせいだろうか。
そうであるならば、不思議な力が切れない内に早くしなければ。不毛な恋とのさよならを。
アドレス帳から呼び出して携帯電話の通話ボタンを押す。

トゥルルルル…トゥルルルル…ガチャ。

「もしもし?」
予想外で一瞬何が起きたのかわからなくて声に詰まってしまった。「あっ………。」
「ん?トーコさん?どうしたの?」
「いや…あの、仕事中で電話に出ないと思っていたのでビックリしました。」
「あぁ御免ね。打ち合わせ中だったから出るのが遅くなってしまって。何かあった?」
「特に用事はありません。月が綺麗だったから、思わず…。すみません。」
「本当?…あっ本当に満月だ、綺麗だね。」
それから適当に世間話をした。
こないだ行ったレストンが美味しかったとか、あの本が面白かったとか。
電話から聞こえる声に耳が熱くなる。
「テンジョウさん。」
「ん?なに?」
「…また…電話します。」
「うん、俺からも連絡するね。」
じゃあ、そう言って電話は切れた。
心臓がドキドキしていて、気分が高揚している自分がいる。反面寂しくなっている自分も。
単なる暇人の電話みたくなってしまい、お別れの儀式は失敗した。
まだ耳は熱い。
近くでテンジョウさんの声が聞こえる気がする。
少し甲高い、優しい声。
まだ諦められそうに、ない。

風邪を引いてしまった。

季節の変わり目だからだろうか、喉の調子が悪いとは思っていたが

朝起きたら扁桃腺が腫れて熱が出ていた。

仕事には休む連絡を入れ、ボーっとする頭と鉛の様に重たい体を引きずりかかりつけの病院へ行く。

しかし運が悪い事に休診。


なんだよ、こんな時に―。


俺は大学病院のあの殺人的待ち時間がイヤで、「町医者」と呼ばれるこじんまりした病院をかかりつけにしていた。

もう大学病院でもいいかと思いながら、そう言えば以前に1度だけかかった事がある内科を思い出し

そこなら前回も待ち時間も少なく診てもらえたし、ここからも近いのでそちらへ行く事に決めた。


案の定、待っている患者は少なくすぐに診察室へ呼ばれた。

「あーかなり扁桃腺腫れてるね。熱もあるし、抗生剤の点滴を取りあえず打って行ったら?今よりも楽になりますよ。」

そう言うと俺の答えを聞かずに「おーい。大橋さんに点滴よろしくね。」と開いてるドアのところから

奥にいる看護婦さんへ声をかけ

「じゃぁ奥の処置室へ行ってください。後、飲む抗生剤と解熱のお薬出しておきますから。」と半ば強制的に診察は終了した。

フラフラした足取りで処置室へ行くと看護婦さんが用意をして待っていた。

年齢は俺と同じくらいだろうか?

大きな瞳と、その瞳と同じくらい黒く綺麗な髪の毛。

きちんと綺麗に切りそろえられたボブへヤーが何だか彼女にとても似合っていた。

ネームプレートには『百瀬』と書かれている。

そう言えば前回来た時も、彼女に処置をしてもらった様な気がした。

「こちらへどうぞ。」

診察台にも似たベットに座る様促され、素直に其処へ座る。

左腕の袖を捲くられ点滴の針を刺す部分を『百瀬』さんは一生懸命探す。

俺はじっと彼女を見つめた。

「どうされましたか?」

視線に気がついたのか、ふと顔をあげ柔らかく微笑むと優しく言った。

「いや、、、何でもないです。」

恥ずかしくて俯きながら答えると、ふふっと笑い

「点滴って緊張しますよね。ほら、、、、」


こんなにドキドキしてる。


一瞬、この状況がどんな状況かわからなかった。

彼女は床にひざまずき俺の胸に耳を当て鼓動を聞いている。

下を向くと艶やかな黒髪と白くなめらかなうなじと長い睫が見える。

胸に添えられた手と寄りかかる体から発せられる体温が

女の子を抱きしめた時に感じるふわふわで気持ちがいい温かさとシャンプーの甘い香りに

俺は不覚にもドキドキしてしまった。

こんな近くに異性を感じたのは久しぶりだ。

そのまま抱きしめてしまおうかと思ったが、熱でやられている頭に残るほんの少量の理性がそれを押しとどめた。

随分長くそのままでいた様なきもするし、短かかった気もする。

時間の感覚がわからない。

「あ、あの、、、、、」

そして彼女は頭を離し、俺を見ると

とろける位優しい顔でニコッと笑った。







「・・橋さん・・・大橋さん?」


呼ばれた声でハッと我に返った。

「大丈夫ですか・・・?」

『百瀬』さんが心配そうに此方を見ているではないか。


あれ?さっきまで・・・・


「呼ばれてもお返事がなかったのでお熱がまた上がってこられたのかしら?早く点滴打ちましょうね。」

あの出来事は何も無かったかの様に、『百瀬』さんはテキパキと腕を消毒し点滴の針を打った。

「横になられた方が楽ですよ。ご気分が悪くなわれたらすぐに言って下さいね。」

さっきと同じ笑顔。

カーテンを閉めそのまま出て行ってしまった。

熱が上がりすぎて、夢を見ていたんだろうか。

横になりながら考える。

でも、夢にしては体温がリアルだった。

何となくまだ体に残っている『百瀬』さんの体温。

まだ少しドキドキしている。


やっぱり、夢だったのかな。

だったら抱きしめておけばよかったな。


不埒な事を思っていると急にカーテンが開き、ビックリして顔を向けると『百瀬』さんが立っていた。

手を後ろにして静かにカーテンを閉めなおすと

俺の耳元で囁いた。





さっき、抱きしめてくれてもよかったのに。





彼女は悪戯っぽく笑った。