シリアンクリスチャンとは?
街の中、そこら中に「スモールチャーチ!」
と呼ばれる建物がある。

おそらく、日本で言うコンビニ並みにある(笑)(インドにコンビニはないけど、、、、、)
「何すんの??」って聞いたら、
毎朝と毎夕に線香を挙げて
簡単な礼拝をするらしい
「どの宗派がするの??」って聞いたら
特に決まりはなく、誰でも自由らしい。
まあ、そういう訳で
このケララは人口の20パーセントがクリスチャン!!
っていう話はしてたけど、
それもそれでいろいろあるっぽい
その中でも、紀元52年にここら辺に対して直接布教したと言われる
使徒のひとりである聖トマスさんから信じた人々の
末裔とされる
シリアンクリスチャンと呼ばれるグループが
力を持っている!!

でも、他にもいろいろ
カトリックの宣教師さんから信じた人々、
カトリック信者や
アウトカーストの人が改宗して信じた
プロテスタント信者、
また、同じシリアンクリスチャンでも
結構いろいろあるみたい!!!
歴史的には
12弟子の1人
トマスがここら辺に来て
布教し始め、数多くの奇跡を行い
多くの高位カーストの人が改宗したらしい
まあ、確かな証拠はないけれども
ローマのコインがたくさんここら辺から発掘されたり
(実際たくさん見ました!!)
ユダヤ人のコミュニティーが今でもあったり
(実際行きました!!)
否定する証拠もないらしいっす!
しかし、4世紀ころに
ここら辺に東シリア教会の宣教師が
入り、その土着のキリスト教に驚いたらしい!
「商人として西アジアからマラバール海岸にやって来た彼は、木製の十字架を身につけた人びとを発見した。彼らはキリスト教徒を自称していたが、クナイ・トマンの目にはイエス・キリストを異教の神とする異教信仰のように映った。そこでトマンは、エデッサ(今はウルファと呼ばれるトルコ領内の都市)の東シリア教会の主教にその状況を報告し、状況の改善を訴えた」(川島)
そんでもって、クナイ・トマンはこうして東シリア教会の信仰をケララのキリスト教徒たちに伝えたらしい
だから、この地方のクリスチャンはシリアンクリスチャンと今日呼ばれてるらしい。
という訳で聖トマス・クリスチャンたちと東シリア教会とを結びつける働きをしたといわれてる。
しかし、その一部はいろいろあって、世界で唯一ローマ法王の許可が無いカトリック教会をこの地で形成したりしているらしい。
その後、1498年にバスコ・ダ・ガマがインドに到着して
ポルトガルがこの辺りをローマカトリックに熱意を持って改宗させたらしい
その中でも有名で、僕もビックリしたんですが
あのフランシスコ・ザビエルは、このケララでの布教に力を注いだらしいです。
そして彼らの手によってローマ・カトリックへと改宗した人たちは、
いまではラテン・カトリックと呼ばれているっぽいです。
まあしかし、いい事ばっかりでもなく
ポルトガル人たちはシリアン・クリスチャンたちに対してもその宗教的熱意を強く注いだらしく
その結果、シリアン・クリスチャンたちは分裂し、カトリックと非カトリック(主にヤコブ派)という大きな区分がつくられることになってしまったそう!

っで、最後に今はどうかっていうと、
ローマ・カトリックの教えに従おうとしない多くの人びとは、
アンティオキアの西シリア・ヤコブ派教会(West Syrian Jacobite
Church)に加わったらしい。
しかし、このヤコブ派も19世紀にさらに分裂したらしく
まず、マールトーマ派(Marthomites)と呼ばれる人びとは、イギリス国教会派の影響で、このヤコブ派教会から分離し
西シリア・ヤコブ派教会は、インド・シリア正教会(Syrian Orthodox Church
of India)とインド・ヤコブ派シリア正教会(Jacobite Syrian
Orthodox Church of India)に分裂したという結果、、、、
これは、Catholicosに従う人びととPatriarch of Antiochに忠誠を誓う人びととの間で生まれたらしく
教会施設の管理などを巡って現在に至るまで争いが続いているそうです
この二つの教会はそれぞれ約一〇〇万人の信者をもっており、シリアン・クリスチャンの宗派の中でも最大級のものっぽい

しかし、その後も
イギリスの植民地の影響とかあって
聖公会が増えたり
プロテスタント
ペンテコステ系の教会も
多いらしい。
なんか名前ばっかり出てきて
自分でもこんがらってしまうけど、
まあ、要するにゴチャゴチャしてますよね!!
参考文献
[Malankara
Orthodox Syrian Church]