明日、3月20日

今年もプロ野球が開幕する

いくつになっても

この時期が来るのが待遠しい

俺自身、野球の経験は無いが

一番好きなスポーツは野球だ


俺が子供の頃に育った

兵庫県西宮市

当時は2球団があった

阪神タイガースと阪急ブレーブスだ

他にも関西には

南海ホークス

近鉄バファローズ

電鉄会社経営ばかりで

4球団あった

その中でも

俺が好きだったのが

南海ホークスだ

西宮と言う土地柄

しかも甲子園球場が校区だったので

同級生などは

ほとんどが阪神ファン

次いで、巨人ファンが多かった

まだまだ長嶋や王の影響が

色濃く残っている時代だったからだろう

で、南海ホークスだが

俺以外にファンは数人だったと思う

はっきり言って、不人気球団だった

俺は子供の頃から変わり者だったので

阪神や巨人のような人気球団に

なぜか魅力を感じなかった

人と違うことをするのが好きだったし

人に流されるのが嫌だった

まことに、憎たらしいガキだったと思う


当然、試合観戦も

徒歩3分の甲子園ではなく

数キロ離れた西宮スタジアムへ連れて行ってもらった

阪急・南海戦、南海はビジターだ

その頃の阪急は

サブマリン山田久志、世界の盗塁王福本豊といった

そうそうたるメンツだった

いつも優勝かAクラスの強豪チームだった

逆に南海は

野村克也選手兼任監督が率いるが

1977年終盤に解任され

ロッテに移籍してしまった

後を追うように

江夏豊、柏原純一などの主力もチームを去り

チーム力は大きく低下していった・・・


ただ、子供の俺には

そんなチーム事情などは関係なかった

強いとか、弱いはどうでもよかった

そんなことより

南海の、緑のユニホームがカッコよかったのだ

その頃の南海は

メジャーリーグの

オークランド・アスレチックスを参考にした

緑と黄色が入り混じった

カッコイイ、ユニホームだったのだ

俺のグリーン好きは

この頃に培われたのだろう・・・

そんな南海の選手の一挙手一投足を

ワクワクしながらスタンドで応援した

しかし、阪神巨人戦などとは違い

西宮スタジアムはいつもガラガラだった

今みたいな

バカ騒ぎの応援も少なく

ただただ、選手を追いかけていた・・・


そんな中で

うれしい事もいっぱいあった

知らない南海ファンのおっちゃんが

「ぼうず、これ食えや」などと言って

イカ焼きやら、お好み焼きやら

しょっちゅう色んな物を食わせてもらった

肩車をしてもっらた記憶もあるし

南海の旗もふらせてもらった

いい時代だったな・・・

選手との距離も今より近かったような気がする


今は球場にいっても

わけのわからん応援を

ひっきりなしに繰り返し

じっくり野球を見たい俺などは

メチャクチャ居心地が悪い・・・

特に、某球場のライトスタンドなどは

俺にはついていけない

まあ、今のファンはアレが楽しみで球場に来るのだし

仕方ないのだろう・・・


話がそれたが

中学や高校時代は

友達としょっちゅう

本拠地の大阪球場へ試合を見に行った

パリーグの試合は

あいかわらず

いつもスタンドはガラガラ

球場周りに人が多いなと思うと

大阪球場に隣接する場外馬券売場の客だったり・・・

それでもよかった

ホークスの野球が見れたら

それだけでよかった


そんな愛すべき南海ホークスが

1988年をもって

ダイエーに売られてしまった・・・

しかも本拠地を福岡に移転すると言う

最初は耳を疑ったが

まぎれも無い事実だった

当時、16才だった俺は

悲しくて悲しくて

悔しくて悔しくて

南海を恨み

ダイエーを恨み

福岡県民すら恨んだ・・・

だいじな宝物を盗まれた気がした


大阪球場での最終戦には

もちろん駆けつけた

その日は

いつもと様子が違った

球場周辺が人であふれかえっていた

南海ホークスの最後の勇姿を見ようと

何万人もの人が駆けつけたのだ

俺は何とか球場には入れたが

入れない人が大勢いた

オマエラ、なんでもっと以前に球場へ来なかったんだ?

もっともっと観客が入っていれば

ホークスは売られずにすんだかも・・・

そんな憤りを感じた



最後のセレモニー

門田が泣いていた

藤本が泣いていた

吉田が泣いていた

選手ミンナが泣いていた

観客も泣いていた

俺も泣いた


当時の故杉浦監督が最後に言った

「いってまいります」の言葉

ついに帰ってはこなかった


そんなホークスも

福岡に移って20年がたった

今年の交流戦では

記念事業の一環として

懐かしい南海のユニホームを

1日限定で着るらしい

写真を見てもらえばわかるが

今見てもすごく洗練されたユニホームだと思う

もっとも、川崎がモデルなので

良いように見えてる部分もあるが・・・

今回交流戦で着るのは

俺が子供の頃に着ていたヤツではないが

それでも、すごく懐かしくて

うれしく思う


今考えたら

あの時、福岡に移転させたのは

正解だったと思う

今では福岡で愛され

強くなり

2度目の身売りはあったが

すごく立派な球団になったと思う・・・



そして2008年

今年もまた、プロ野球が開幕する


俺が大好きだった

大阪球場も、西宮スタジアムも

今はもう無い


野村克也は70才を越えても

いまだにユニホームを着続けている


俺はもうホークスのファンではない

俺が大好きだったホークスは

緑のユニホームがすべてだったから・・・