昭和55年7月に大型2種免許を、今は無くなっている札幌北自動車学校で真駒内試験場で小野寺方式で100点で合格した。二段ハンドルは試験官に言われてしていなかった。先生に言ってくれ。合格しただけで先生はしていない。願書に洞爺村立成香中学校卒業、勤め先柴崎タイル工業株式会社と書いた。刈谷が狙っている教習生が言っていたようだ。職人の刈谷だ。刈谷は北海道タイル高等職業訓練校は修了していない。

 

 中心点小回りを4月頃から独自な方式でした。疲れてきた為だ。刈谷が「その通りできないのか?」予定では、3月頃で受かる予定だった。かかっても4月と思っていた。今では「小野寺方式」と言っている。新しい運転免許試験場(手稲)で使っている。爺の先生が「頭がいいから何でも真に受けるのか?この馬鹿」「お前みたいな馬鹿がいるからみんな困るんだ」と言っていた。爺の先生は技能の高原状態も言っていた。「職人は教えないと言うぞ?」

 

 刈谷は「俺に逆らったら駄目なんだ」「逆らうと受からない」