突然の広島旅行二日目!
ホテルから歩いて、そんなに時間かからず、
原爆ドーム。
やはり、重みを感じます
まずは、平和記念資料館へ
目を背けたくなるような、
辛いこと
たくさん。
でも、これが八十年前にあった
現実。
受け止めなくてはいけないし、
考えなくてはいけないよね
平和記念公園があったところにも、
街があり、
たくさんの人が暮らす、
繁華街だったとのこと。
それがたった一瞬で。
放射線と
熱と
風で
全て失う怖さ。
そして、その恐ろしさは、
そこで終わらず、
いつ発症するかわからない怖さと
たたかいながら、
生きていく。
絶対に、繰り返してはいけないと
思いました
ほんとに。
何人の人が亡くなりましたというのは
数だけど、
その一人一人にエピソードがあり、
人生があり、つながりがある。
その全てを奪うなんて
誰にもできないし、させてはいけないんだな
と思います
そして、ボランティアの方による
解説があったので、
お願いしました!
とても、とても素敵な方が、
お時間はどれくらいありますか?
と聞いてくださりながら、
平和記念公園の中を案内してくださいます
この平和記念公園が作られた歴史、
建築のこと、設計のこと、
だれがどうやって考えたか
この一直線になることと
坂道の秘密など、
一人で回っていてはなかなか
気づかない細かなことをたくさん!
過ちは繰り返しませんから
の意味
海外からの読み取り方
中に何が入っていて、
どうなっているのか、どう管理しているのか
最近発掘された遺構や、
被曝をした木
原爆の子の像は、
貞子さんのことを思い、
子どもたちが声をあげ、
子どもたちの力によって、広がり作られた像
そして、
中の鐘と折り鶴は、
湯川秀樹さんによる寄贈とのこと。
残った橋
この橋が残ったことにより、
爆心地はどこかを推定したそうです!
燃料会館の地下で命が助かった
野村さんのお話を伺い、
実際に地下の展示へ行ったり、
爆心地にも行ったりしました。
どうやって、人々に
原爆が影響を与えたのか、
この原爆ドームが残っていると
考えられる理由
この原爆ドームが保存されることに
なるまでのいきさつ
世界遺産になるまで
などなどなどなど。
中からどうやって、補強しているのか、
中の構造がどうなっているか、
この原爆ドームが元はどんなところで、
噴水があったり、
塀があったりしたものが、
今どうなっているのか
お話だけでなく、
資料を見せながら話してくださるので、
とてもよくわかりました。
ここが、昔の正面で、
川の交通もあったから、
川にも階段があって。
柵を支えていた柱は、
飛んで行き、
川辺のところに
まるでベンチかのようにありました。
(普通に人が座ってます)
でも、それは、原爆ドームの柵の柱!
全然気が付かない、奥深いところまで
教えていただき、
考えることができて、
ボランティアの方に本当に感謝です!
とてもとても親切な方でした![]()
ボランティアの方に、
説明していただいて、
とても有意義な時間となりました!!
原爆ドーム、平和記念公園。
しっかり行きたいと思っていた場所なので、
行けてよかったです![]()












