興味を持ったときに
「やってみたい」
「行ってみたい」
「見てみたい」
と表現できることは素敵だなと思います。
それを言ってもいいという安心感があるから表現できるのでしょう。
私は「~してみたい」という欲求は生きる意欲だと思っています。
といっても、私はもともとそういう考えを持っていたわけではなくて、私の子ども時代を振り返ると、親の病気を気にするあまり欲求を抑えて生きていました。
「これを言ったらお母さんが病気になっちゃう」
「治療にたくさんお金がかかってるから言ってないいけない」
やりたいこと、欲しいもの、それが見つかると同時に家庭の状況が頭に浮かんで、やりたいことを諦め欲しいものを欲しいと言わない、言ったらダメだと思い込んでいました。
当時は、それが当たり前になっていたので疑問を持つこともなかったのですが、今となっては苦い思い出です。
一方で、私の子ども達は「やりたい」を叶えています。
「僕は陸上部に入る」
「私はバスケをやりたい」
「私はトランポリンをやりたい」
そう言って、それぞれ興味をもって表現してくれたことが嬉しいです。
親として出来ることは送迎をしたり、月謝のために働いたり、見に来て欲しいというから毎回子どもの頑張る姿を見に行ったり…
面倒だと思っていたことでもやってみると、子どもの「~したい」に応えることや叶えるられることが喜びになっています。
親の気持ちを知って、私の当たり前は思い込みだったんだと気づいたら、今さらながら「素直に表現しておけばよかったんだな」と感じています。
(夕飯前のお菓子や100円ショップに入ると何か買いたい症候群なんかには「ダメ」と言うのですが、子ども達も「ほらね!」「やっぱりダメって言った」と返してきます。こういうことには、その時々で飴とムチを使いますが笑)
そういう経験を通して、これからの私の人生は
「やりたい」を叶えていくことにします。
今まで、やりたいと同時にやれない理由を探していた自分を卒業したいんです。
でも、自分に甘いから
小さなことからはじめます。

3人同時に歯が抜ける。
歳が近いからゆえの醍醐味。
「よかったねー」
「おめでとう」
とそれぞれに声をかけて成長を喜んだ。
みんな下の歯が抜けたので、
良い歯が生えてきますようにと願いを込めて
3人それぞれ抜けた歯を上に向かって投げた。
歯抜けの姿が可笑しくて可愛くて、
楽しみが増えた。
自分の子どもの頃は、歯が抜けることに対して痛い、怖い、早く抜けて欲しい…ただ、それだけ。
親になって感じたのは、心配と喜びと愛しいという気持ち。

