Amal Ilmiah, Ilmu Amaliah -2ページ目

Amal Ilmiah, Ilmu Amaliah

Amal は 「行動」という意味
Ilmiah は 「知識的」 という意味
Amal Ilmiah は 「知識に基づいた行動」 という意味
Ilmu は 「知識」 という意味
Amaliah は 「行動的」 という意味
Ilmu Amaliah は 「行動に応用出来る知識」という意味。



アルハムデゥリッラーイスラム歴の12月13日の小石投げ(ジュムラー)が巡礼の一連の最後の行事となりました。

 

Air1は預言者様が行った巡礼の一番似ている巡礼の一連の行事を用意してくれました。ミナでのキャンプはイスラム歴の12月13日までと書いてありましたが、実際西暦のカレンダーでは、1日早まったので、イスラム歴の12月13日は金曜日になってしまいました。そのため、たくさんの男性陣がナファル・アッワル(ミナのキャンプを早めに(イスラム歴の12月12日)に終えること)にするか、ナファル・アヒール(ミナのキャンプを後に(イスラム歴の12月13日)に終えること)にするかを迷っていました。それはマスジディル・ハラームで金曜日の礼拝できるのはこの日しかなくなったからです。特に私達はAir1の予定より2日間早く帰るので、マスジディル・ハラームで礼拝できるチャンスも少なくなりました。

 

Air1にいる日本人の巡礼者たちはナファル・アッワルでメッカーに戻ると決めました。それは何人かの方が病気になったのと、スポンサーの方が皆に会いたいからです。

 

うちの主人はスポンサーなしで出発したため、他の日本人の皆が先に戻るので、自分も早めに戻った方がいいんじゃないかと迷っていたみたいです。けれども、後にAir1がミナを出るのは金曜日の朝だとアナウンスしたので、金曜日の礼拝には間に合うよと言われましたので、安心しました。

 

金曜日のファジュルの礼拝の前に、最後のジュムラーを投げに出発しました。教えでは、ジュムラー投げはファジュルの礼拝後の方がいいと書いてありましたが、私はゆっくりしか歩けないので、帰りに皆のスピードに合わせれるか自信がありませんでした。なので、ファジュルの礼拝の前に出発して、ジャマラット(ジュムラーを投げるところ)で礼拝し、ジュムラーを投げて、帰るという予定で行きました。

 

テントを出発した時はウドゥー(お清め)をした状態でした。マクタブからジャマラットまでは片道4キロ、往復8キロでした。ここで私が’事件’を起こしました。気を害するのなら、スルーしてください。

実はミナに来てから私はトイレの大きい方にはあまり行けていませんでした。それはいつもトイレでの待ち時間がすごくて、やっと入れてもすぐ外からコンコンノックされて、早く出てと言われてしまいます。なので、極力トイレに行くことを少なくしていました。

 

12日にジュムラーを投げに行った後の帰りに、まだテントまで4キロの距離があるのに、急に行きたい波に襲われて、すごく困難な状況にいたのに、それを知った主人がクールな顔で見ていて、すごくムカついていました。今はあなたのクールな顔ではなくて、今必要なのはトイレですよ!それを見て彼は頑張っていぶ!頑張ってテントに戻ろう!とそればかり言っていました。結局腹痛と戦いながら、頑張って4キロを歩き、無事に着きましたが、もう2度と経験したくない気持ちでした。

13日の朝、トイレ魔に襲われたのは主人でした。朝出発して3キロの時点に、主人がお腹痛いと言い、すごく困った顔していました。それを見て、ほら!昨日の私の気持ち解るやろう?と言うわけにもいけないでしょう?でもジャマラットにも着いてないし、礼拝もしてないしどうしょうと思いました。主人の顔もすごく困ってそうで、それを見て可哀そうだと思って、近くにいるアスカル(警備員)に近づき、 英語で Excuse me, is there any toilet here? (ここら辺にトイレはありますか)と聞きました。

するとアスカルが私に微笑んで、Oh you want to go to Maktab Thailand?(おーあなたはタイ人のマクタブに行きたいのね?)と返事されました。

え?ぎゃあーこんな時に通じないのは結構きついわー アスタグフィルッラー。すると人の流れと反対の場所を指していました。それに従っては行ったのですが、トイレはどこにも見当たらなかったです。するとまた他のアスカルがいて、でもまた英語で話しても無理かなと思った私、彼に トイレ?と聞いたら、 ヤラーヤラー(どけ、どけ)と言われたので、その人にしつこく近づき、トイレ?と聞いても通じず、急にアッラーのお告げがあるように、女性用のトイレの前になんかアラビア語でハマム ニサ(女性用トイレ?かな?、間違ったらすみません)。 アスカルに Where?ハマム where?と聞いたら、アッラーよ、私の言語の限界を許してください。けれども、アッラーの助けはありました!そのアスカルは私達の要求を理解してくれました!

そのアスカルは大きな柱を指していました。なんとなくですが、一番下の階に行って、そこにいるスタッフに聞いてみたいなこと言われました(確信はないですが、行ったらトイレはあったので、よし!(笑))。そして無事に主人がトイレに行くことができました!(笑)そのあともトイレにあるウドゥーするところがあったので、ウドゥーすることができました。またまた人間の小ささを思い知ることになりました。

 

トイレを出て、またジャマラットの3階に戻りました。ちょうどアザン(礼拝時間の知らせ)がなり、近くにマレーシア人の巡礼者たちがいたので、そこに入れてもらい、一緒にファジュルの礼拝をしました。無事に礼拝を行い、新しい友達もありました。そのあと、最後のジュムラーを投げ、これで本当に本当に巡礼の一連の行事が終わりました。どうか私達の巡礼を受け入れてください、アーミーン

 

ミナの旅から学んだことは、 人生には必ず試練があります。笑いながらも苦笑いしながらも((笑))泣きながらもその試練に立ち向かわないといけません。その試練があった時に、近くの人に希望を預けて、助けを求めたりすることがあるけど、その人が思ったより助けてない時もあれば(私がトイレに行きたいのに、主人が何もしてくれないみたいに) (笑)、時には、奥様が主人のためにトイレを探してあげたりしたし (笑)(なんだか自分の株を高く売ろうとする私)(笑)。でもすべてをアッラーに任せたら、マシャーアッラーアッラーの助けは近いです。私達に訪れた試練をどうにかアッラーへの感謝を表す機会にしないといけません。自分の中に感謝の気持ちが常にあれば、どんな試練も軽く感じることができます。

wallahu'alam bisshowab

これでDa Mutos の巡礼の話は終わりますが、巡礼後の過ごし方を書いてないので、もう一回このテーマのブログを書く予定です。

 

写真 1:マクタブの前に貼られた横断幕、注意事項をインドネシア語で書いてありますが、なんか絵と言葉が一つずれたみたいで、将来サウディアラビアの政府が修正してくれることを願います。

   2:道に座るなのミススペル(正しくはDon't sit on roads)

   3:椅子の置き場にもJaplish(和製英語)があり、ちゃんと正しく 'Please return the chair'(椅子を戻してください)と書いてあるものもあれば、 please re-chairと和製英語風に書いてあるものもありました。

   4:テント前に設置されたお湯の場所、 アラビア語にはP と B はありませんので、お湯のことをPanasと書かずに、Banasになっていました。

 

 



 

小巡礼を終え、アパートで休むことにしました。ここではマディナーメンバーが三つの部屋に分けられました。N姉とS姉は同じ部屋、Iさん、Tちゃん、Eちゃん、とIちゃんは同じで、私だけが全く新しいメンバーの人と同じ部屋になりました。

 

マディナーの部屋と大違い、メッカーのアパートの部屋も素晴らしかったです。いつも優しい言葉で話すDさん、Dさんはご主人と一緒に巡礼に来ました。そして名古屋の近所ですが、滅多に会えないけど、心はいつも通じ合えるIさん。Iさんは家族で巡礼に来ました(御主人、中2のK君、と小4のAちゃん)。この部屋ではアイデア満載のIさん、いつも頑張っているAちゃんが入りました。そしてが家族三人で巡礼にきたAir1の最年少のAlちゃんとGちゃんがいました。このメンバーとは半日しか一緒にいませんでした。その夜はミナに移動しなければいけませんから。

 

夜もやってきて、私達はミナへの旅に行きました。Air1は市バスをチャーターして、私達を乗せました。この市バスはジャカルタのKOPAJA市バスにすごくにていて、ただ運転席は左側ですね。運転手の精神はKOPAJAとそんなに変わらず((笑))バスに乗るだけでジェットコースターに乗った気分が味わえました。(言い過ぎか?)(笑)、アパートから30分ぐらい乗り、東南アジアの巡礼者用のマクタブ96のテントに着きました。

 

第一印象はわーキャンプだ!です。(笑)テントがすごく丈夫で広いですが、私の体の方が広い(笑)。前の巡礼者から聞いた話は、毎年のテントの場所は違うらしいです。この年Air1のテントはマクタブ96の入り口の近くにあり、男性用のテントは女性用の反対側にあり、女性用のテントの真ん前はHISの巡礼者のテントでした。日本からはもう一つ旅行会社がいて、MIANという旅行会社ですが、HISの裏にあるという話でしたが、トイレですら会えず(なんでトイレよ(笑))全然MIANの巡礼者に会う機会がありませんでした。

 

アルハムデゥリッラー中学校、高校はギャルスカウトをやり、大学も一応山岳部でしたので、ミナは特に問題ありませんでした。それにご飯3食も提供されていたので、崇拝行為以外は自動的に食べて、寝て、トイレだけでした。それにテントに先に着いたマディナーメンバーが場所取りしてくれたので、テントの中はまたマディナーメンバーと一緒に寝ていました。

 

同じテントには日本のAir1以外、香港と韓国のAir1のメンバーもいました。皆は楽しい人ばかりで、忘れられないこともたくさんありました。

 

イスラム歴12月8日からミナに泊まり、9日にはアラファーに移動しました。アラファーから日が落ちるまで(マグリブ礼拝の時間まで)いました。巡礼の勉強会では、アラファーは丘になって、そこにたくさん祈りをささげると勉強しましたので、主人は丘に登っていくと想像しました。実際はミナからバスに乗り、アラファーでテントが用意されており、祈りもテントの中でした。

 

教えではズフール礼拝の後から日の入りまでは木の下で祈りをすることをおすすめされていますが、木の数と人の数が比例しないし、その日の気温が49度でマジ暑かったでし、結局外で祈りをできたのは30分ぐらいでほとんどテントの中で祈りとクルアーンを読むことにしました。

 

夕方になり、ムズダリファーに移動しなければならないのですが、こちらもずっと歩くものだと思いましたが、これもバスに乗って移動でした。ムズダリファーは広い土地でたくさんの小石がある場所だと思っていました。それはこのムズダリファーにいる間に70個の小石を探して、次の行事でジャマラットで投げないといけないからです。けれども、ムズダリファーに着いて、なんと広いアスファルトされたところで、その上に何枚ものカーペットが引かれており、その夜はそのカーペットの上に寝袋を広げて寝ることになりました。

 

70個の石どうしようと戸惑っていたら、友達が小さな袋をもってきて、これはジャマラットで投げる小石にしてと言って、去っていきました。え?なんですでに包装されているの?と思いましたが、見たら、ジャマラット用の小石はあちらこちらで準備されており、ただサイズはバラバラなので、その包装されたものから選んでください だったみたいですが、これじゃあ、本来の巡礼と違うよねと思いながら、自力でそこらへんの小石探しましたが、アスファルト面積が大きいため、結局包装されたものから「探す」ことにしました。ニヤリ

 

ムズダリファーではAir1はいくつかの面積のカーペットの場所取りをしてくれました。その中でも夫婦が使える場所も用意しました。マディナーメンバーが私と主人が使えるように場所取りしてくれたのに、主人がそこに行かないと言って、同じ部屋の友達といることを選びました。恥ずかしいか?と少し寂しかったのですが、まあ私いない方が集中できるだろうと思うようにしました。ショボーン

 

なので、夫婦の場所に私だけシングルな感じでいました。寂しかったよお父さん! (笑)でもしばらくしたら私も寝てしまい、その役2時間後に回りのざわざわで起きてしまいました。一番びっくりしたのは、寝ている間に誰知らない人たちがたくさん私達のカーペットに寝ていたことでした。

 

アラファーとムズダリファーは私の人生でも深く印象に残っています。私は世界中にいる色々な人を見た気がしました。色んな人とその人達の普段やっていることまで見えました。一瞬最後の審判の日にマフシャールの広場で人間が集められるときの光景が浮かべました。皆は自分のことでいっぱいいっぱいで、他人を気にすることなくうろうろする光景。アスターグフィルッラー、果たして、私はアッラーの前に行くときは、自分の行いが書いてある本をもって、輝いている顔でまっすぐ歩けますか?アッラーよ、どうか私達をムハッマド預言者様のグループに入れて、明るい顔であなたの前に行けるようにしてください、アーミーン

 

ムズダリファーの夜はあっという間に終わり、ファジュルの礼拝後にミナに戻るバスに並んでいました。この日は巡礼をしない人たちはマスジディル・ハラームでイードの礼拝をしていました。私達はミナでファルドゥの礼拝をコソール(まとめて)して、今日はジャマラットに行って、ジュムラ・アコバー(石)を投げに行きます。マクタブによっては行く時間が決まっており、私達は夕方のアスル礼拝後の時間に行きます。

 

ジュムラを投げてから、ハドユ(犠牲)の羊がすでに殺されていたので、タハルル(髪の毛を切ること)とイフラム服を着替えることができます。主人は絶対丸坊主は嫌だと言って、私もそう思ったので、そうねと言って、少しだけ切ればいいんじゃないと話していました。が、その30分後に丸坊主の主人に会い、え?丸坊主いやじゃないの?と聞いたら、主人がまあついでだから、丸坊主しちゃった!と答えました。(笑)すごく違和感でしたが、まあアルハムデゥリッラー爆  笑爆  笑

 

Air1からタワフ・イファダー(巡礼の一部の行事)をイスラム歴の12月11日の朝2時に予定していました。理由は夜なのであまり暑くなくてタワフ後にそのままファジャル礼拝できるからでした。でもそれよりも早く行きたい人または遅く行きたい人がいればどうぞとのことでした。なので、巡礼を考えている方は自分の体調と合わせていけばいいです。ただ忘れてはいけないのはミナにいないといけないのは少なくても12月12日までで、最長でも12月13日までです。なのでタワフを10日から12日の間にやりたいのなら、まだミナに戻る義務があり、13日まではミナへ戻る通常のバスなどがないので、歩くかタクシーか自分の日頃の行いに見合う値段のバスに乗るしかないです。(笑)冗談ですが、通常のものがない分、皆普段より高い値段設定をするので、すこし手持ちのリヤルを持たないといけないです。この費用は旅行会社が持ってくれませんからです。

 

ミナにいる間は一回嵐が来て、丈夫なテントもすごく揺れ、たくさんの砂が入って、目にもたくさん入りました。でもアッラーのおかげ、他のところはテントが倒れたり、けが人もいましたが、うちは皆が無事でした。ラーハウラーワラークッワタイッラービッラー、アッラーの力がないと私達は無力です。

 

ミナにも福岡にいたときに会った親戚、近所にも会うことができましたし、違う旅行会社で行った名古屋の友達にも会いました。

 

アルハムデゥリッラー、アルハムデゥリッラー、アルハムデゥリッラー、アッラーが私達の巡礼を受け入れてくださいますように!アーミーン

 

写真は左から右、上から下へ

写真 1:アラファーのテントの前

   2:アラファーの夕暮れ、ムズダリファー行きのバスを待っていた時、

     アッラーよ、ムハンマド様のグループに入れてください

   3:タワフ・イファダーを終えたほっとした顔(北海道のAさん、写真ありがとう)

   4:ミナのテントの風景、アズィズィヤーからマクタブ96の間

    (アラビア語看板のクリスピークリームドーナツ、残念ながらリヤルの状況が厳しかった)

   5:ミナトンネルの出口のジャマラット駅

   6:理解するのに時間を要する看板、スペル違いのdon't sit on road(道に座るな)でした。

     (Eさんからもらった写真)

   7:ジャマラット3回、石投げ光景

   8:ジャマラットに投げた石の残り

   9:アルハムデゥリッラーすべての巡礼の行事が終わり、どうか受け入れてください。
 

 


 

 

 




 


 

 

 

 

クルアーンの第3イムラーン章173節:

 

3-173.人びとが、かれらに向かって言った。「見なさい、あなたがたに対して大軍が集結している。かれらを恐れるべきである。」だがこのことが却ってかれらの信仰を深めた。そして「わたしたちには、アッラーがいれば万全である。かれは最も優れた管理者であられる。」と言った。

 

 

 

 

613号室の撮影会((笑))が誰かがノックしたため、中断されました。その時はすでにメッカー行きのバスが下に来ていて、皆も乗っていると言われたため、急いでバスに行きました。バスに着いたら、リラックスした状態で座っている主人を発見しました。少しムカッとしたので、なんで部屋に迎えに来なかった?と聞いたら、Air1はあなたたちを置いて行く訳がないでしょう?と言われました。ガーン!まあまあもうイフラムの服を着ているし、怒る訳にも行けませんので、こんなことで喧嘩するわけにもいけないわと思いましたので、ヨシとしました。

 

そしてマディナーからビル・アリというミカットに向かいました。(メッカーに入るのにはいくつかのミカットがあり、ビル・アリは一番マディナーに近いものになります)。バスに乗ってしばらくしたら、寝てしまいました。

前回のブログで書いたように、イスラム歴が1日早くなったので、メッカーに来たら、小巡礼をして、その夜にミナキャンプに出発すると書いていました。そのため、キャンプに持っていく荷物を大きいスーツケースと別に持つように言われ、メッカーについても荷物詰めで忙しくしないで、すぐミナキャンプに出発できるように荷物を抱いていました。(笑)。大きいスーツケースは前日に先にバスに乗せて、メッカーに届けられました。

けれども、ミナでのキャンプは1-2日の可愛いキャンプではなくて、5-6日も泊まるので、皆の荷物はすごい大量!(笑)。それにバスに乗った時にすでに主人がイフラム服に着替えたのに、日本人のムスリムであるため、イフラム服のプレゼントをもらい、嬉しいけど、どこに置きましょうかと置く場所に困りました。仕方なくそのイフラム服も抱いて、メッカーに行きました。

 

マディナーを出発した時は、あ!巡礼に行くんだ!と(やっと?)実感が湧きました。(笑)。それは皆がTalbiyahの言葉を言いながら過ごしていたからです。ラバイカッラーフンマラバイク~~等々。そのあと、私が寝てしまい、急にバスが止まりました。ちょうど私達のバスにガイドさんが誰もいなくて、皆で騒がしくなりました。え?ミカットに着いた?と思い、主人に小巡礼をするニーヤをしようと誘いました。それから、あまり時間がないので下りずにそのままメッカーに向かいますという知らせが来ました。

すると自然にバスの全体でラバイカッラー フンマ ラバイク、ラバイカラーシャリカラ ラバイク インナルハムダー ワンニックマタ ラカワルムルク ラーシャリカラック と言ってすごく感動しました。アッラーよ、どうか私達のタマテゥの巡礼のための小巡礼を受け入れてください。アーミーン

 

グーグルマップより、マディナーからメッカーは500キロで5-6時間で行けると書いてあります。けれどもハッジのシーズンですと10時間くらいかかりました。マディナーを夕方6時に出発し、メッカーのアパートに着いたのは朝の5時少し前でした。もうすぐファジュルの礼拝の時間になるので、アパートの礼拝場所で一緒にファジュルの礼拝をしてから、マスジディル・ハラームに小巡礼しに行くように言われました。

 

私はアパートから眺めたザムザム・タワーの時計色々な方向に輝いているのを見て感動しそうになったら、横にいる主人がね、バットマンの映画で出たゴターム町に風景そのものだね!と言い、えええそう言われたら、正にその感じだけどさー、感動が薄くなった責任誰がとりますか? (笑)なぜここにバットマンが出てくるの?

 

ファジュルの礼拝が終わってから、皆で一緒にマスジディル・ハラームに出発し、小巡礼しに行きました。

出発から皆で言うタルビヤーの言葉に感動して、涙がポロポロでした。アッラーよ、ここに来れたのはあなたのおかげです。ありがとうございます。来ましたよ、巡礼に来ましたよ!、どうか私達の善行を受け入れてください。アーミーン

 

アパートからバス停まで歩きました。そこからマスジディル・ハラーム行きのバスに乗りました。 

バスを降りたら、主人の顔色が悪いです。なんでかな?と理解しようと思う私ですが、近づいて行ったら、私を避けるように遠くに行き、何回も近くに行こうとしてもずっと避けるように行きました。バスの降り場からマスジディル・ハラームの近くまでずっとその感じだったので、私は主人に文句を言い始めたんです。なんで先から私を避けているの?と聞き、ずっとその感じのなら、他の皆とタワフ(カバーを7回回ること)するよと言いました。それを聞いて、先よりももっと主人が困った顔をしました。ね!先からどうしちゃったの?と聞いたら、主人が重い口を開け、あのさ、先からイフラム服が脱げそう!と言いました。ん?何?なんでそんな大事なこと早く言わないのかい?その時すでにマスジディル・ハラームの入り口の前でした。すぐに主人のマディナーのルームメイトを呼んで、すみません、主人のイフラム服が脱げそうで、助けてくださいとお願いしました。すぐに713号の皆が主人を囲んで、イフラム服を直してくれました。その輪から出てきた主人がすごくすがすがしい顔して、安心感が満ちあふれていました。 (笑) 先から言ってよね。

 

ガイドさんが先に2ルカアの礼拝をしてから、タワフ、サイをして、それで途中でバラバラになり、どこかわからないのなら、サイの終点のマルワ谷で会いましょうと言われました。

 

私達は97番の門、ちょうどキング・アブドゥル・アジズ門の左側から入りました。私達が来た頃はすでにマスジディル・ハラームの中にたくさんの巡礼者が入っており、キング・アブドゥル・アジズ門が閉まっていました。マスジディル・ハラームに入り、ラバイカッラーフンマ ラバイク マシャーアッラー いつもテレビや絵でしかみたことがないカーバが目の前にある!急に顔があつくなり、美しい!アルハムデゥリッラー、ずっと会いたかったカーバが目の前にある!毎日少なくとも5回はこの場所に向かって礼拝をしているカーバ!アッラー、本当に感謝してもしきれないぐらいありがとうございます。ここにいさせてくださって本当にありがとうございました。

 

礼拝が終わったら、タワフをし始めました。アッラー偉大なり、人を集めることも離すこともできるお方。Air1からの巡礼者(日本、韓国、香港)を含めて、数百人います。同じ場所からタワフをし始め、一緒に回るはずだったのに、途中で気づいたら、主人しか知り合いがいないです。巡礼者の海に同じベストを着る人主人以外一人も見えませんでした。そのままタワフし続けて、私はずっと主人の肩掛けかばんの紐を握って回っていました。7回カーバを回って、2ルカアの礼拝をしました。そのあとザムザムの水を飲むところでやっと韓国からの巡礼者に会いました。アルハムデゥリッラーけれども、日本からの巡礼者は誰ひとりいませんでした。

多分皆がサイの場所にすでに行っているんだろうなと思いながら、結局韓国からの巡礼者と一緒にサイを始めました。

スブハナッラー、この時ハジャール様が水を探しにあちらこちらに走り回った光景を想像するだけで、絶対不安でしたなー、それでもイブラヒム様の言うことに従って、イスマイル様と二人で砂漠の中に取り残されました。それに対して、私は?主人のイフラム服が脱げそうだけですごくイライラした 泣 泣。反省しました。

 

サイの5周目にやっと日本から巡礼者に会いました。話を掛けたら、皆はまだ3周目のサイでした。そこでまたサイが終わったら、マルワ谷で会う約束をしました。

サイが終わり、マルワ谷で香港と韓国からの巡礼者には会いました。彼らにタハルル(髪の毛を切る儀式)を頼みました。すぐにでも日本からの巡礼者に待とうと思っていたのですが、30分待っても皆が来なくて、結局マスジディル・ハラームの中を見ていました。カーバをいくら見ても美しくて。。イブラヒム様がすごい方だなとか、信仰深くて、周りがアッラーを信じていない人ばかりなのに、ずっとアッラーへの信仰を続けれるのはすごいことだと思います。将来また子供たち、孫たちと一緒にここに来たいと思いました。どうかかなえますように!アーミーン

マスジディル・ハラームを見学しながら、ずっと日本からの巡礼者を探しましたが、全然来なくて、初めてきたマスジディル・ハラームだったので、不安もあります。自分でアパートに戻れるのか?いろいろ心配してきました。結局マスジディル・ハラームから出る決意をし、出口にすごく心配そうに立っていた香港からの巡礼者がいました。遠くから私たちを呼んでいました。それは同じベストを着ていたからでした。話を聞いたら、この人は気分が悪くなったお母さんと一緒にいて、ご主人がまだサイ中で待っているそうです。この二人はタワフは終わったが、気分が悪くなったので、まだサイをしていないそうです。すると、食べ物ないかと言われ、アルハムデゥリッラー肩掛けかばんに飛行機からいくつかのビスケットを入れていたので、それを渡しました。

しばらくしたら、誰も現れていないので、先ほどのお母さんと一緒に頑張って帰ろうと誘い、バス停があるところに向かって歩きました。するとザムザムタワーの前に香港からの巡礼者が何人かいて、先ほどのお母さんたちがその香港のメンバーと行くと言ったので、主人と二人でバス停に行こうとしたら、別の香港の巡礼者に会い、しかも今回は2回目のメッカーだから、道がわかると言われて、合流して、無事にアパートに戻れました。アルハムデゥリッラー。

 

アパートからマスジディル・ハラーム、1階でタワフ(最短ルート)、サイをして、またアパートに戻るまで11キロ(約1万6千歩)すごいでしょう?日本にいた時はほとんど車移動なので、一日いい時は2~3千歩しか歩いていないです。マディナーの時も毎日1万歩は歩いていました。アルハムデゥリッラー日本で歩く練習しようとずっと計画しましたが、全然歩けなかったのに、マディナーもメッカーも毎日たくさん元気に歩けて、アッラーの助け他ないし、アッラーに感謝です。

 

この巡礼の旅のほとんどから学ぶことはアッラーの助けなしに、本当に人間が無力で何もできないこと、アッラーの元では無理なこともないし、一番最良な助けはアッラーからの助けであります。wallahu'alam bisshowab

 

写真 1:ザムザムタワー(主人にとってはゴターム町のバトマンタワー)

   2:小巡礼終えた私

   3:小巡礼終えた主人

   4:愛しいカーバ